🍀般若心経の解説🍀12
🌸🌸「不垢不浄(ふくふじょう)」🌸🌸
誰しも、2日も3日も、あるいは1週間もお風呂🛁に入らなければ、
垢じみて、異臭😵を発して、まわりの人々から「汚らわしい」とみなされます。⚡️
一方、OL嬢🌸が毎晩のお風呂🛁はもちろんのこと、また出勤前にシャワーをあびて出社すれば、
石けんやシャンプーのよいにおい🌸をあたりにただよわせ、☁️☁️
周囲から好ましい目😍で見られます。
上司から
「この子は身だしなみ👗が、はなはだよろしい。
ワシの息子の嫁さん🌸に」
ということになるかもしれません。😄
このように考えますと、
お風呂🛁やシャワー💦は、われわれを
「垢」の状態から「浄」の状態🌸へ
転換🔄させるものと一般にいうことができるでしょう。🎵
したがって、
我々の日常生活では「垢」と「浄」は、意味🍀をもって存在🌸していることは確かです。
それゆえ、それらの否定である
「不垢不浄」とは、
いったい、いかなることでしょうか。☁️☁️
ある高名👑な宗教学者🏫の例話を、次に紹介しましょう。
わたしは、それをかりに
「コップのたとえ🍀」と名づけてみました。😄
さて…
ここに、高価なガラスのコップ🍷があるとします。
このコップ🍷をトイレ🚽にもっていって、あなたのオシッコ💦を入れます。
そのあとでコップ🍷をきれい🎵に洗います。
煮沸消毒🏥をして、完全にきれいにしてもよいです。😄
そして、
そのきれいになったコップにビール🍺を注ぎます。
そのビール、あなたは飲めますか?😄
何も知らない人は、おそらく平気🍀で飲むでしょう。✊
コップそのものは、汚くないからです。🎵
コップはきれいなはずです。☀️
いやコップはきれい、汚いということを超越しています。😄
それが「空」ということです。☁️☁️
「不垢不浄」です。💕
それを、
きれい🌸だとか、汚い😵だとかこだわっているのは、われわれの心💓なのです。
いわば、
その心💓が「浄・不浄」という観念☁️☁️をこしらえているのです。🎵
「きれい・汚い」という、こだわり(執著=着)を捨てなさいというのが
「不垢不浄」のいわんとするところとお考えください。😄☀️
(「あなただけの般若心経」より)