🍀般若心経の解説🍀18
🌸🌸「無眼界(む げんかい)」🌸🌸
「眼界も無く」と読みます。
さて、説一切有部(せついっさいうぶ)などの伝統仏教教団では、
この世の存在のすべて(一切法)を、
(1)五蘊、
(2)十二処、
(3)十八界
という範疇のもとに説きます。
略して、
蘊・処・界の「三科(さんか)」ともいいます。
「うん・じょ・かい」とは、
なかなかリズミカルな響きがあるでしょう。
(1)(2)は、すでに学びましたね。
ここでは(3)の十八界を勉強することにします。
「界」からですが、
ここでは「人間存在の構成要素」ほどの意味をもちます。
つまり、
眼・耳・鼻・舌・身・意の「六根」と、
それらの対象である
色・声・香・味・触・法の「六境」と、
見・聞・嗅・味・触・知の認識作用をなす「六識(ろくしき)」を、
それぞれ「界」と呼びます。
すなわち、
(2)十二処に、「六識」を加えて「十八界」となります。
次に、五蘊・十二処・十八界のそれぞれ、
および三者の関係を図表で現してみましょう。
(下段図参照)
じつに整然と構築された法(ほう)の大系ではありませんか。
そして、これらの一々を、
つまり
「色蘊とは何か」
「眼界とは何か…」
と、とくに説一切有部の学匠たちは、
まさに微にいり、細をうがって
分析にこれ、つとめたのでした。
かれらに対して、
「般若心経」は、
そのような存在の分析を誇ることに終始する
形而上学(けいじじょうがく)的な立場に猛省をこめて、
「五蘊・十二処・十八界」の一々の項目に、
「無」という字を冠したのでした。
(「あなただけの般若心経」より)
🌸🌸「無眼界(む げんかい)」🌸🌸
「眼界も無く」と読みます。
さて、説一切有部(せついっさいうぶ)などの伝統仏教教団では、
この世の存在のすべて(一切法)を、
(1)五蘊、
(2)十二処、
(3)十八界
という範疇のもとに説きます。
略して、
蘊・処・界の「三科(さんか)」ともいいます。
「うん・じょ・かい」とは、
なかなかリズミカルな響きがあるでしょう。
(1)(2)は、すでに学びましたね。
ここでは(3)の十八界を勉強することにします。
「界」からですが、
ここでは「人間存在の構成要素」ほどの意味をもちます。
つまり、
眼・耳・鼻・舌・身・意の「六根」と、
それらの対象である
色・声・香・味・触・法の「六境」と、
見・聞・嗅・味・触・知の認識作用をなす「六識(ろくしき)」を、
それぞれ「界」と呼びます。
すなわち、
(2)十二処に、「六識」を加えて「十八界」となります。
次に、五蘊・十二処・十八界のそれぞれ、
および三者の関係を図表で現してみましょう。
(下段図参照)
じつに整然と構築された法(ほう)の大系ではありませんか。
そして、これらの一々を、
つまり
「色蘊とは何か」
「眼界とは何か…」
と、とくに説一切有部の学匠たちは、
まさに微にいり、細をうがって
分析にこれ、つとめたのでした。
かれらに対して、
「般若心経」は、
そのような存在の分析を誇ることに終始する
形而上学(けいじじょうがく)的な立場に猛省をこめて、
「五蘊・十二処・十八界」の一々の項目に、
「無」という字を冠したのでした。
(「あなただけの般若心経」より)