🌸🌸恨みを成長のエネルギーに🌸🌸
私は高校時代に恩師から、
「攀念痴(はんねんち)を持ってはならない」
と繰り返しを教えられてまいりました。
「攀念(はんねん)」とは人を恨むという想念の意味。
「痴」とはそういうことをすることは愚かなことという意味。
当時の日本は戦争に負けて大変な辛辣をなめておりました。
そういう中でも、決して心に恨みや憎しみを抱いてはならない。
そのエネルギーを建設的なことに使いなさいと説き聞かさせれたのです。
田舎の高校で成績も中くらいだった私が、
東京へ出て曲がりなりにも経営者として務まったのは、
恩師の教えを守り、すべてのエネルギーを
自らの人格向上に投じてきたからに他なりません。
昨今、韓国の人々の反日的な言動に、苦々しい思いを抱いている日本は多いことでしょう。
かの国には「恨(ハン)」という独特の思考文化があるようですが、
彼らの常識を逸した言動を見ていると、
恨みや憎しみといった強烈な負の情念が、遺伝子に深く刻み込まれているような印象を受けざるをえません。
人を恨むと、膨大なエネルギーを浪費し、理想的な判断ができなくなります。
自分が慰安婦だったと、公の場で泣きわめきながらアピールするなど、
正常な神経の持ち主であれば恥ずかしくて絶対にできないことです。
日本にもかつて、経済的困窮に追いつめられた家族を救うために、
やむを得ず、深い苦界に身を投じた女性が少なからず存在しました。
しかし、不幸の極みとも言える境遇に落ちた人たちは、
いずれも口を固く閉ざして、
自らの境遇を声高に訴えることはありませんでした。
恨みや憎しみのエネルギーを、もっと建設的なことに使ってほしい。
そう願わざるをえません。
私が高校出て会社に就職したときは、何の知識も技術もなかったがために、
ずいぶん虐(いじ)められ、家畜のようにこき使われましたが、
先述した恩師の教えを思い出して、懸命に耐えました。
努力が認められ徐々に待遇は、よくなったものの、
当時のカー用品業界は平気で人を騙すような悪習が蔓延しており、
これを改めるべく、独立をし、自転車1台で行商を始めると、
今度は行く先々で冷たい目に遭いました。
それでも、私は志を失ったり、他人に恨みや憎しみを抱いたりすることなく、
ひたすら会社をよくし、業界を改革することにエネルギーを投じ続けたのです。
雪の日に、当社だけがタイヤチェーンを値上げしなかった時には、
業界から卑劣な圧力を受けましたが、私は一歩も引きませんでした。
また、不渡りのリスクがある手形払いを、現金払いに切り替えた時や、
売り手に都合のよい"一品大量販売"から、
お客様のために、
あえて手間の掛かる"多品種少量販売"を選択したときは、
「そんなことは無理です」と強い反対に遭いましたが、
今では、それが業界の常識になっています。
さらには、お得意先という立場をよいことに、
非常識で不条理な要求をつきつけてくる相手とは、
どんなに商いの額が大きくとも即刻取引を停止してきました。
もっと上手く立ち回っていれば、余計な苦労を抱え込むこともなかったでしょう。
当初は、業績もなかなか伸びませんでした。
けれども、「良樹細根(りょうじゅさいこん)」の言葉どおり、
そこでも迷わず信念を貫くうちに、
しっかりと根が育っていったのです。
(「良樹細根」良い樹は必ず細かい根が地中に深く広く張っている。)
当社の姿勢を評価してくださり、贔屓(ひいき)にして下さるお客様が徐々に増えていき、
ことさらに売り上げを伸ばそうと思わなくても、
どんどん業績が拡大していったのです。
世の中には、自分の主義主張を通すために、
徒党を組み、大声を上げ、過激な行動に走る人がいます。
しかし、
そういう中に、思いやりに満ちた温かい心や、人から尊敬されるような人格の持ち主はいませんし、
世の中を、よりよく変えていくこともできないでしょう。
かつての日本には、自分に降りかかる理不尽や不条理を黙って受け入れ、
静かに耐え忍びつつ、
また、立派に立ち上がる人がたくさんいました。
私の両親も、戦争で全てを失いましたが、決して愚痴を言うことなく、また一からやり直しました。
どのような環境に生まれ育つかは、その人の人生を決定的に左右しますが、
私はこの日本で、両親のもとに生まれ生まれてきたことを、心から幸せに思います。
そして、これからも攀念痴を持たず、自らのエネルギーを自分の人格を高め、
社会をよりよくするために惜しみなく費やしてまいりたいと願っております。
(「致知 5月」鍵山秀三郎さんより)
何でも、成長のエネルギーにしたいですね。
私は高校時代に恩師から、
「攀念痴(はんねんち)を持ってはならない」
と繰り返しを教えられてまいりました。
「攀念(はんねん)」とは人を恨むという想念の意味。
「痴」とはそういうことをすることは愚かなことという意味。
当時の日本は戦争に負けて大変な辛辣をなめておりました。
そういう中でも、決して心に恨みや憎しみを抱いてはならない。
そのエネルギーを建設的なことに使いなさいと説き聞かさせれたのです。
田舎の高校で成績も中くらいだった私が、
東京へ出て曲がりなりにも経営者として務まったのは、
恩師の教えを守り、すべてのエネルギーを
自らの人格向上に投じてきたからに他なりません。
昨今、韓国の人々の反日的な言動に、苦々しい思いを抱いている日本は多いことでしょう。
かの国には「恨(ハン)」という独特の思考文化があるようですが、
彼らの常識を逸した言動を見ていると、
恨みや憎しみといった強烈な負の情念が、遺伝子に深く刻み込まれているような印象を受けざるをえません。
人を恨むと、膨大なエネルギーを浪費し、理想的な判断ができなくなります。
自分が慰安婦だったと、公の場で泣きわめきながらアピールするなど、
正常な神経の持ち主であれば恥ずかしくて絶対にできないことです。
日本にもかつて、経済的困窮に追いつめられた家族を救うために、
やむを得ず、深い苦界に身を投じた女性が少なからず存在しました。
しかし、不幸の極みとも言える境遇に落ちた人たちは、
いずれも口を固く閉ざして、
自らの境遇を声高に訴えることはありませんでした。
恨みや憎しみのエネルギーを、もっと建設的なことに使ってほしい。
そう願わざるをえません。
私が高校出て会社に就職したときは、何の知識も技術もなかったがために、
ずいぶん虐(いじ)められ、家畜のようにこき使われましたが、
先述した恩師の教えを思い出して、懸命に耐えました。
努力が認められ徐々に待遇は、よくなったものの、
当時のカー用品業界は平気で人を騙すような悪習が蔓延しており、
これを改めるべく、独立をし、自転車1台で行商を始めると、
今度は行く先々で冷たい目に遭いました。
それでも、私は志を失ったり、他人に恨みや憎しみを抱いたりすることなく、
ひたすら会社をよくし、業界を改革することにエネルギーを投じ続けたのです。
雪の日に、当社だけがタイヤチェーンを値上げしなかった時には、
業界から卑劣な圧力を受けましたが、私は一歩も引きませんでした。
また、不渡りのリスクがある手形払いを、現金払いに切り替えた時や、
売り手に都合のよい"一品大量販売"から、
お客様のために、
あえて手間の掛かる"多品種少量販売"を選択したときは、
「そんなことは無理です」と強い反対に遭いましたが、
今では、それが業界の常識になっています。
さらには、お得意先という立場をよいことに、
非常識で不条理な要求をつきつけてくる相手とは、
どんなに商いの額が大きくとも即刻取引を停止してきました。
もっと上手く立ち回っていれば、余計な苦労を抱え込むこともなかったでしょう。
当初は、業績もなかなか伸びませんでした。
けれども、「良樹細根(りょうじゅさいこん)」の言葉どおり、
そこでも迷わず信念を貫くうちに、
しっかりと根が育っていったのです。
(「良樹細根」良い樹は必ず細かい根が地中に深く広く張っている。)
当社の姿勢を評価してくださり、贔屓(ひいき)にして下さるお客様が徐々に増えていき、
ことさらに売り上げを伸ばそうと思わなくても、
どんどん業績が拡大していったのです。
世の中には、自分の主義主張を通すために、
徒党を組み、大声を上げ、過激な行動に走る人がいます。
しかし、
そういう中に、思いやりに満ちた温かい心や、人から尊敬されるような人格の持ち主はいませんし、
世の中を、よりよく変えていくこともできないでしょう。
かつての日本には、自分に降りかかる理不尽や不条理を黙って受け入れ、
静かに耐え忍びつつ、
また、立派に立ち上がる人がたくさんいました。
私の両親も、戦争で全てを失いましたが、決して愚痴を言うことなく、また一からやり直しました。
どのような環境に生まれ育つかは、その人の人生を決定的に左右しますが、
私はこの日本で、両親のもとに生まれ生まれてきたことを、心から幸せに思います。
そして、これからも攀念痴を持たず、自らのエネルギーを自分の人格を高め、
社会をよりよくするために惜しみなく費やしてまいりたいと願っております。
(「致知 5月」鍵山秀三郎さんより)
何でも、成長のエネルギーにしたいですね。