興味を引くタイトルなので読んでみました。
学者ですから、知識をうまく裁いた本です。
でも、最後には親鸞や西行などを引き出して教養書にしてしまいました。
話しのタネになるような面白い内容はありませんでした。
ブッダに子がいたことは、イエスになかったということくらいに
興味あることです。
仏典でも、聖書でも
事実をどのように扱うか、弟子達の苦労でした。
もちろん、聖フランチェスコも同じです。
事実を隠すか、事実を美化し、脚色し、必然性の物語にするか
苦労するものですが
ブッダは息子を弟子にしてしまいました。
不思議なこじつけですが
イエスの父、そして、いたかもしれない兄弟は
聖書から切り捨てられました。
今の時代の代理父にして消されました。
ブッダはどうだったのか、
その後の人たちの「美化」苦労物語ですね。
でもこの本では何の意味を見出せず
それなりのもっともらしさで終わります。
まあ、そんなことでしょう。
そんなことなら「雨ニモ負ケズ」を
仏教的に取り上げてもらいたかった。
昭和記念公園のベンチで読みました。
・・・・・・・・・・・・・・・・
茨木のり子の詩
ほかにもないか、と聞かれました。ネットで拾うことができます。
とりあえず、ネットから引用します。
部分
日に日を重ねてゆけば
薄れてゆくのではないかしら
それを恐れた
あなたのからだの記憶
好きだった頸すじの匂い
やわらかだった髪の毛
皮脂なめらかな頬
水泳で鍛えた厚い胸廓
ゴツ字型のおへそ
ひんぴんとこぶらがえりを起こしたふくらはぎ
爪のびれば肉に喰い込む癖あった足の親指
ああ それから
もっともっとひそやかな細部
どうしたことでしょう
それら日に夜に新たに
いつでも取りだせるほど鮮やかに
形を成してくる
あなたの部分
・・・・・・・・・・・・
放送大学「西洋音楽の諸問題」
日本における宗教音楽を取り上げた講義を聞いていました。
生島に残る「オラショ」を紹介していました。
音楽的に取り上げられていましたが
キリスト教の日本に伝来し
熱心な信者ができたら
キリスト教弾圧
そして、隠れキリシタンとして生き延びます。
しかし、時間は残酷にも伝承は形式をゆがめ
キリスト教とは別のものになってしまいます。
「サンダカン八番娼館」の女性と同じ運命なのですね。
そんな事実は、キリスト教だけでなく仏教にもありますね。
宗教の残酷さと怖さを感じました。
でも、宗教音楽は、気持ちの浄化にいいですね。
講義では、ゴシック期の宗教音楽を夕焼けの海を映しながら
流しました。
これぞ宗教世界ですね。
講義とは関係なく、感動しました。
お調子者の私は、その後
「マタイ受難曲」を流して居眠りしていました。
いい日でした。
学者ですから、知識をうまく裁いた本です。
でも、最後には親鸞や西行などを引き出して教養書にしてしまいました。
話しのタネになるような面白い内容はありませんでした。
ブッダに子がいたことは、イエスになかったということくらいに
興味あることです。
仏典でも、聖書でも
事実をどのように扱うか、弟子達の苦労でした。
もちろん、聖フランチェスコも同じです。
事実を隠すか、事実を美化し、脚色し、必然性の物語にするか
苦労するものですが
ブッダは息子を弟子にしてしまいました。
不思議なこじつけですが
イエスの父、そして、いたかもしれない兄弟は
聖書から切り捨てられました。
今の時代の代理父にして消されました。
ブッダはどうだったのか、
その後の人たちの「美化」苦労物語ですね。
でもこの本では何の意味を見出せず
それなりのもっともらしさで終わります。
まあ、そんなことでしょう。
そんなことなら「雨ニモ負ケズ」を
仏教的に取り上げてもらいたかった。
昭和記念公園のベンチで読みました。
・・・・・・・・・・・・・・・・
茨木のり子の詩
ほかにもないか、と聞かれました。ネットで拾うことができます。
とりあえず、ネットから引用します。
部分
日に日を重ねてゆけば
薄れてゆくのではないかしら
それを恐れた
あなたのからだの記憶
好きだった頸すじの匂い
やわらかだった髪の毛
皮脂なめらかな頬
水泳で鍛えた厚い胸廓
ゴツ字型のおへそ
ひんぴんとこぶらがえりを起こしたふくらはぎ
爪のびれば肉に喰い込む癖あった足の親指
ああ それから
もっともっとひそやかな細部
どうしたことでしょう
それら日に夜に新たに
いつでも取りだせるほど鮮やかに
形を成してくる
あなたの部分
・・・・・・・・・・・・
放送大学「西洋音楽の諸問題」
日本における宗教音楽を取り上げた講義を聞いていました。
生島に残る「オラショ」を紹介していました。
音楽的に取り上げられていましたが
キリスト教の日本に伝来し
熱心な信者ができたら
キリスト教弾圧
そして、隠れキリシタンとして生き延びます。
しかし、時間は残酷にも伝承は形式をゆがめ
キリスト教とは別のものになってしまいます。
「サンダカン八番娼館」の女性と同じ運命なのですね。
そんな事実は、キリスト教だけでなく仏教にもありますね。
宗教の残酷さと怖さを感じました。
でも、宗教音楽は、気持ちの浄化にいいですね。
講義では、ゴシック期の宗教音楽を夕焼けの海を映しながら
流しました。
これぞ宗教世界ですね。
講義とは関係なく、感動しました。
お調子者の私は、その後
「マタイ受難曲」を流して居眠りしていました。
いい日でした。