浅草で見つけたがちゃがちゃ
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遅き日のつもりで遠きむかし哉 蕪村
春雨や暮なんとしてけふも有 蕪村
堂守の小草ながめる夏の月 蕪村
(蕪村には「そこそこ」が似合う。芭蕉は「まだまだ」という自戒が気になりますね。日本人は「まだまだ未熟」というような前進が好きなのすね。でも、私は「まあまあ」あるいは「そこそこ」がいいですね。
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少しだけ蕪村にのめり込む気になりました。この「そこそこ」感がいいですね。長い付き合いをしないと肌合いが分かりませんね。俳句は知的理解ではなく、手垢がつくほど馴染むことが大切だということは分かるような気がします。でも、その気になってはいけませんね。まだまだ馴れる修行の時期なのですから。そして、振り返ることなく乱作しましょう。)
・・・・・・・
一度、過去のものを見てみようかとも思うのですが
更新するので手いっぱいです。
それでいいのかもしれません。
過去のものなど期待する程のものではないですね。
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遅き日のつもりで遠きむかし哉 蕪村
春雨や暮なんとしてけふも有 蕪村
堂守の小草ながめる夏の月 蕪村
(蕪村には「そこそこ」が似合う。芭蕉は「まだまだ」という自戒が気になりますね。日本人は「まだまだ未熟」というような前進が好きなのすね。でも、私は「まあまあ」あるいは「そこそこ」がいいですね。
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少しだけ蕪村にのめり込む気になりました。この「そこそこ」感がいいですね。長い付き合いをしないと肌合いが分かりませんね。俳句は知的理解ではなく、手垢がつくほど馴染むことが大切だということは分かるような気がします。でも、その気になってはいけませんね。まだまだ馴れる修行の時期なのですから。そして、振り返ることなく乱作しましょう。)
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一度、過去のものを見てみようかとも思うのですが
更新するので手いっぱいです。
それでいいのかもしれません。
過去のものなど期待する程のものではないですね。