2008年1月20日、昨夜は飲み会だったため会社に車をおいてきた。今日は昨日に続いてできるだけ歩くことにして、会社までの5.5㎞を歩いた。以前何回か歩いて通勤したことがあったので、だいたい同じ道を通ってみた。会社の近くにこの神社があることは知っていたし、いつも車で下を通っていたが、上まで坂道を登ったことはなかった。高台にあるので下からは上の様子はよくわからなかったし、住宅街の中だからそれほど大きな神社ではないと思っていた。今日は休みで時間があったので、初めて坂道を登って行ってみた。
すると思っていたより立派な神社なのに驚いた。近くにこんな大きな神社があったとは、やはり歩かなければ気づかないことは多い。いつも車でばかり移動していると地元のことも知らないことがきっと多いと思われる。健康のためにも地元を知るためにも歩くことが大切であることを改めて感じた一日であった。
2008年1月19日夜、市民講座を聞いたあと、次の予定の新年会まで時間があったため、古町から万代シティの書店まで歩いて萬代橋を渡ることにした。時々雪がちらつくものの風がなかったためそれほど寒くはなかった。しかし歩いている人はさすがに少なく、皆早足で通り過ぎてゆく。ここ数日は雪が降ったりやんだりで、ところどころに雪が残っている。
新年会は古町側なので、また戻らなくてはならない。今日はJRの白山駅から古町までも歩いたし、意識して歩く日にした。
久しぶりに古町を1番町から6番町まで歩いてみてわかったことは、空き店舗と駐車場の多さ、そして歩く人の少なさである。私が新潟に来た40数年前には、繁華街と言えば古町しかなかった。しかし、その頃の店で今残っているのは数軒しかない。デパートも4つか5つあったが、今は2つしかない。最近また超がつくような郊外型大型店舗ができて、一層かつての中心商店街は厳しい状況に追い込まれていく。
2008年1月19日、新潟市民プラザ(NEXT21)において、新潟水俣病市民講座の第3回目が開催された。「熊本・新潟水俣病から世界に発信」というテーマで水俣病研究の第一人者である医師の原田正純氏(熊本学園大学教授)の講演であった。印象に残ったというより驚いたことが3つある。
一つは、発生から半世紀を過ぎた今でも水俣病の認定申請をしている人がまだ1万人以上もいるということ。2つ目は、原因が明らかになってからもチッソをはじめ、同様なアセトアルデヒド工場から有機水銀が排水され続けたために、水俣病被害がさらに拡大しただけでなく、教訓化されないまま、同じことが繰り返される結果になってしまったこと。3つ目は、被害にあった人たちのほとんどが、化学物質に無縁で、自然とともに暮らし、自然の食物連鎖の中で生きていた人たちであったこと。そしてそのことが、水俣病を患う原因となってしまったということである。
一般の人には、公害は過去のものというイメージが強いが、今でも世界中の発展途上国では、きっと同じことが繰り返されているのではないだろうか?それを食い止める責任も含めて、もっと多くの人々がまず真実を知る必要がある。