1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

雑談は続く・・・。

2009-11-27 18:02:39 | 雑談の記録
なんだかなぁ~。さっき記録したブログを読むと、なんかヤなかんじだね。
「若輩官僚的」発想だもんね。

そう、ボクが少年野球に関して得た知識なんてここ3、4年のことで薄っぺらいものなんだよね。
だから偉そうなことは言えないのです(反省)。

お思い起こせば3年前、リョー坊が1年生でリーグ入りたてだった頃。
シニアの応援に連れて来てくださいと言われ、「は?、なんでぇ?」だった。
メジャーの遠征試合に連れてきてくださいと言われ、「は?、なんでぇ?」だった。

行ってわかったけど、子供が行くことよりもボクが行くことのほうに大きな意味があったんですね。
少年野球についてナニも知らなかったから。

そう、ボクなんて四十のおっさんですが、こと野球に関してはヨチヨチ歩きなのです。

実は、野球の技術向上のためのトレーニングなんて、まだ考える余裕はありません。
今は、身体機能について本を読んだり実践したりしている最中です。
野球に到達することなく終わるかもしれません。

最近は「センス」について考えています。「センス」は習得できるものなのか?。
それと「メンタル」。

こないだの優勝祝賀会でSGA理事がこんなことを言っていた。
「どんなに凄い技術があっても、試合でそれが出せないなら無いのといっしょ。全力を出せば少年野球レベルだったら優勝するって。技術に差はない。まずは全力を出し切ることが大事なんじゃないの。」
(熊本弁での談を上手に訳してみました)。

全力を出す精神力の養生と元気が必要ってことなのだ。

うなずける。

だけど、全力を出す精神力の養生と元気って、どんなふうに取り組んだらいいの?。

それはね、やっぱり、「厳しい練習」と「声」によると思うのです。

「厳しい練習」は指導者にお任せしましょう。

じゃぁ「声」は・・・。

各家庭での挨拶が非常に重要ではないかと思います。

ちなみにボクは、子供達に「おはよう」と言われる前に「おはようございます」ということを日課にしていて、ずっ~と実践しています(プチ自慢)。なんでかっていうとPTAをやっていたとき、家庭教育で一番大事なのは「挨拶」であると学んでいるからです。っていうかぁ、そんなの当たり前です!。


人間が人間たる理由は言葉を発するからだと思っています。
言葉を話すようになったキッカケはよくわかんないけど、まぁ、最初は合図みたいなもんだったんでしょう。

文明社会以前の古い時代において、危機を避けるために私達は声を掛け合っていたのかもしれないし、狩猟において声を武器にしていたのかもしれない。

声は組織で勝負をするときの重要なツールだと考えることができるかもね。
現代社会を円滑に生き抜くためのコミュニケーションツールとしての「声」「言葉」だけど、その基本が挨拶なんだもんね。

さてさて、ボクの思考はどこまでも迷走するのだけれど、声を出したら負けというルールで野球をやったらどうなるだろうと思うワケ。もちろん審判も声を出してはダメ。全てジェスチャー。

1イニングやるだけでも面白そう。
息苦しくなって死んじゃうかもしれない。
声の大事さに気が付くかもしれないね。
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自制無き叫び!?

2009-11-27 11:51:01 | 雑談の記録
貴重なご意見本当にありがとうございます。

確かに「クソ」なのは、そういうことをやらせている「指導者なのかな」と思います。
しかし、本当に「自制」ができる「指導者」ってどれだけいるのかなって思うのです。
投球制限があるリトルが「いい」と言いたいワケでもありません。

体を気遣って出場を控えさせられたことに逆恨みする保護者がいるのも現実だし、勝利を望むあまり怪我を見て見ぬふりをする取り巻き保護者がいるのも現実。

問題なのは「指導者」だけではないと思うのです。
「指導者」も人間、「保護者」も人間。人間は合理的な判断ができない生き物だと思っています。
「自制」とはいったものの、「これはこれ」、「それはそれ」と私達は「上手」に使い分けをしているように思います。っていうか、ボクはそういう人間です。クソ人間かも・・。いや・・ジゴ人間?。

小学生の心と体は発達途上で未熟です。
「自制」がきく大人ばかりならいいですが(「自制」がきく大人ばかりなんてツマンナイ)、大人は「自制」がきかないものという立場を私はとります。

なので「制限」を求めるわけです。

高校野球は少年野球の最高峰だと考えています。
ですが、WBCを引き合いに出し高校野球でも投球数制限を設けるべきという話しには与しません。
WBCに出場している多くの選手はプロで、主催そのものがビジネス。投球動作には怪我はつきもので商品の損害・消耗のリスクを低減させるのが投球数制限の根幹をなす理由と思っています。要するに選手の体を気遣っているわけじゃぁないんでしょと(ホントのところはよくわからないですけど)。

じゃぁ、なおのこと高校野球では体に気を遣ってやらないといけないって意見が聞こえてきそうですが、投球数制限程度の気遣いなんて必要ないと思います。
高校生なんだもん、そんなこと、自分で考えて実行しろと言いたい。
高校生なんだもん、「怪我」をすることは「死」も一緒だと覚悟を決めて野球をやってもらいたい。
だから、見ている人は「感動」しているのだと思います。

それからもうひとつ。連投と酷使に耐える投手はクレバーだと思います。全てにおいて。

こないだ、OTKコーチが投球動作における股関節の使い方に関する最近のトレンドを話してくれたとき、ピンときました。すぐさま、クレバー投手のフォームを確認しました。あのヒザの折れはそれを意識するための初動だったのかなぁ。

また、話しは飛びます。
こないだmetooさんのブログで両手投げvs両打ちの動画が紹介されていたけど、3年ぐらい前にそんなことが起こるだろうことをこのバカブログで記録したように思います。あと、数年もしないうちに150キロ投手なんてフツーに出てくると思ってるし、高校生で160キロ投手だって出てくると思ってます。加えて40キロの緩急差をつける恐るべきコントロール投手だって出てくるわけで、そういうのをめちゃめちゃ期待しているのです。また、そういう投手と打者との戦い、チームとしての新たな野球の戦い方を期待しているのです。

そのためには、少子化になったとは言えども、少年野球から一人でも多くの才能溢れる選手が育つ環境を作るのが「自制」のきかない大人の役目だと思うのです。

野球ファンとして・・・
少年野球時代に前途有望な選手に怪我されちゃぁかなわんのです。
自制のきかない野球ファンとしての心の叫びなのです。
「ウォー!学童野球!投球数制限!賛成!バンザーイ!」なのです。


一方で逆説的な考え方も可能でしょう。
つまり、「自制」のきかいない大人達の環境を「上手」にすり抜ける優秀な選手を発掘してもいいかもしれません。しかし、そういう選手に限って「感謝の気持ち」は育っていないもので成人してからイロイロ問題行動を起こすのかもしれません。


ナニが言いたいのかよくわかんなくなってきましたが、野球に怪我はつきものですけど、野球ができなくなるほどの怪我のリスクは下げるべきだと思うのです。体が未熟な小学生選手には・・・。

返答になってるかなぁ~。
コメント (3)
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