今日で43歳になってしまった。
昨日まで42歳で、今年一年何事も無くやり過ごせば、来年の今頃は44歳になるだけのことだ。
実のところ、自分の誕生日に関して特別な感慨を得ることができない。
これは世の慣わしに反している行為(限りになく無為に等しいけど)と受けとめられるかもしれない。
カミサンから、今夜は特別な料理をしようかと申し出があったと書けば、上品な雰囲気が醸し出されるが、「今日はなんか食べたいモノあるね?」が実情なワケである。
寝起きにムスメから「おとうさん、誕生日おめでとう」と言われ、反射的即座に深々と御辞儀をして「お陰様で本日この日に43歳を迎えることができました。ありがとうございました。」と慇懃にやってみせて笑いを取るのが関の山である。
これがリアルな43歳の誕生日の朝というものである。
「歴」というものが無かった、つまり「数」の概念が無かった、たかだか1万年前の誕生日について考えてみたい。
「歴」が無いのだから誕生日などという概念はないはずで、だから、ソレを考えること自体がナンセンスと言われればその通りなのだけど、今風に1年ごとに誕生日を気に懸けていたかどうかは甚だ疑わしいワケで、また、その度に本人が「感謝」を表明してたかどうかについては論を俟たない事柄だと考えるワケである。もし「誕生日」があったとしても、本人や家族の目下の心配事は明日のメシだったのではないかと考えるのが妥当ではないだろうか。
43歳のひねくれ論である。
そして時は流れて現代。
滅多矢鱈に「誕生日」を押しつけてくるシステムが普及してしまった。
言わずもがなである。
その徹頭徹尾の徹底的で完全無欠な代表が、FBに見られる友人のお誕生日についてのお知らせだ。
現在、ボクのFBの「友人」は40数人といったところ。FB始めたての10人くらいまでの「友人」については、オモシロ半分で「友達リクエスト」した友人だけど、その後はサッパリ。
元々の友人に「友達リクエスト」ってのも相当違和感あるし。ボクにとってはもの凄く敷居の高い行為なのである。一方、「友人」の「友人」にリクエストすることは極希ではあるけどあるにはある。
話しがソレてしまった。
そう、ボクが言いたいのは、FBがやってる「お誕生日のお知らせ」についてだ。
もし、友人が相当の数に増えてしまったらほぼ毎日のように「お知らせ」がやってくるワケだ。無機質でお節介なアプリが機械的に間違いなくピシャリと作動していることが友人の誕生日を証明しているとでも言うように。
実際、ボクは「お誕生日のお知らせ」については無視を決めている。
ボクはFBを日課にしているワケでもなく、仕事に利用しているワケでもない。
ただ、ナントナクやっているに過ぎない。無目的である。発信したい情報が無いわけじゃないけど、人に伝える価値のあるものがあれば一人占めしていたほうがいいなと考えるタイプである。ただ、ここ数年、明らかにのぼせまくっている野球のことは、伝えたいと思っている。書き捨てるだけで興味の無い人には全く無価値でしかないけど。
また、話しがソレてしまった。
「誕生日」についてである。
世界で一番多い誕生日が何月何日か知っている人がいれば紹介してもらいたいけど、日本で一番多い誕生日が9月下旬で一番少ないのが1月1日だという巷の噂をホンモノと受けとめると、最近の我々は「都合」によって生まれて、あるいは生まされているということになる。
本当は、この論の前に、「歴」における1日が全人類の誕生日の凡そ1/365に当たる旨を前置きした上で、「お誕生日のお知らせ」を無視している懺悔として、この場を借りて全人類に対して祝福メッセージを送る壮大な計画を実行するつもりだった。
しかし、最近の我々が「都合」によって産み落とされているという可能性が高いということであれば、「歴」における1日が全人類における誕生日の1/365に当たるというのは真っ赤なウソになるワケである。
であるからして、このへんを明らかにするために計画を変更したい。
FB関係者に告ぐ!。
世界で1番多い誕生日は何月何日なのか調べなさい!、今すぐに!
そしてその日を「世界誕生日デー」に制定しなさい!。
また、どうでもいいことを書いてしまった・・・。
それから本日、誕生日メッセージを送ってくれたFBユーザーの方々(連中)、お気遣いありがとうございました(連中向け:そんなもんいらんちゅーの!、だいたい43のオッサンにナニが「おめでとう」だ、一番縁遠い言葉ばい、キモッ!)。
昨日まで42歳で、今年一年何事も無くやり過ごせば、来年の今頃は44歳になるだけのことだ。
実のところ、自分の誕生日に関して特別な感慨を得ることができない。
これは世の慣わしに反している行為(限りになく無為に等しいけど)と受けとめられるかもしれない。
カミサンから、今夜は特別な料理をしようかと申し出があったと書けば、上品な雰囲気が醸し出されるが、「今日はなんか食べたいモノあるね?」が実情なワケである。
寝起きにムスメから「おとうさん、誕生日おめでとう」と言われ、反射的即座に深々と御辞儀をして「お陰様で本日この日に43歳を迎えることができました。ありがとうございました。」と慇懃にやってみせて笑いを取るのが関の山である。
これがリアルな43歳の誕生日の朝というものである。
「歴」というものが無かった、つまり「数」の概念が無かった、たかだか1万年前の誕生日について考えてみたい。
「歴」が無いのだから誕生日などという概念はないはずで、だから、ソレを考えること自体がナンセンスと言われればその通りなのだけど、今風に1年ごとに誕生日を気に懸けていたかどうかは甚だ疑わしいワケで、また、その度に本人が「感謝」を表明してたかどうかについては論を俟たない事柄だと考えるワケである。もし「誕生日」があったとしても、本人や家族の目下の心配事は明日のメシだったのではないかと考えるのが妥当ではないだろうか。
43歳のひねくれ論である。
そして時は流れて現代。
滅多矢鱈に「誕生日」を押しつけてくるシステムが普及してしまった。
言わずもがなである。
その徹頭徹尾の徹底的で完全無欠な代表が、FBに見られる友人のお誕生日についてのお知らせだ。
現在、ボクのFBの「友人」は40数人といったところ。FB始めたての10人くらいまでの「友人」については、オモシロ半分で「友達リクエスト」した友人だけど、その後はサッパリ。
元々の友人に「友達リクエスト」ってのも相当違和感あるし。ボクにとってはもの凄く敷居の高い行為なのである。一方、「友人」の「友人」にリクエストすることは極希ではあるけどあるにはある。
話しがソレてしまった。
そう、ボクが言いたいのは、FBがやってる「お誕生日のお知らせ」についてだ。
もし、友人が相当の数に増えてしまったらほぼ毎日のように「お知らせ」がやってくるワケだ。無機質でお節介なアプリが機械的に間違いなくピシャリと作動していることが友人の誕生日を証明しているとでも言うように。
実際、ボクは「お誕生日のお知らせ」については無視を決めている。
ボクはFBを日課にしているワケでもなく、仕事に利用しているワケでもない。
ただ、ナントナクやっているに過ぎない。無目的である。発信したい情報が無いわけじゃないけど、人に伝える価値のあるものがあれば一人占めしていたほうがいいなと考えるタイプである。ただ、ここ数年、明らかにのぼせまくっている野球のことは、伝えたいと思っている。書き捨てるだけで興味の無い人には全く無価値でしかないけど。
また、話しがソレてしまった。
「誕生日」についてである。
世界で一番多い誕生日が何月何日か知っている人がいれば紹介してもらいたいけど、日本で一番多い誕生日が9月下旬で一番少ないのが1月1日だという巷の噂をホンモノと受けとめると、最近の我々は「都合」によって生まれて、あるいは生まされているということになる。
本当は、この論の前に、「歴」における1日が全人類の誕生日の凡そ1/365に当たる旨を前置きした上で、「お誕生日のお知らせ」を無視している懺悔として、この場を借りて全人類に対して祝福メッセージを送る壮大な計画を実行するつもりだった。
しかし、最近の我々が「都合」によって産み落とされているという可能性が高いということであれば、「歴」における1日が全人類における誕生日の1/365に当たるというのは真っ赤なウソになるワケである。
であるからして、このへんを明らかにするために計画を変更したい。
FB関係者に告ぐ!。
世界で1番多い誕生日は何月何日なのか調べなさい!、今すぐに!
そしてその日を「世界誕生日デー」に制定しなさい!。
また、どうでもいいことを書いてしまった・・・。
それから本日、誕生日メッセージを送ってくれたFBユーザーの方々(連中)、お気遣いありがとうございました(連中向け:そんなもんいらんちゅーの!、だいたい43のオッサンにナニが「おめでとう」だ、一番縁遠い言葉ばい、キモッ!)。