1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

誇り高き野球バカ×4

2012-04-26 23:51:46 | リトルリーガーの記録
翌朝、福岡に向かう車の中でボクはカミさんにこんな軽口を叩いて、息子の状態を楽観視していた。
「たぶん、リョウタロウは、マンガのヒーロー気取りで投げてたんじゃ」
しかし、会場の駐車場から試合会場へ向かう道すがら聞かされた息子の様子は、ボクの予想に反して相当悪いものだった。満足に食事が摂れていないとのことだった。それは心身消耗し過ぎてメシも喉を通らないというのではなく、右手が満足に使えないということだった。朝食では牛乳をこぼし、大好きな納豆をかき混ぜることができず、それを見かねた保護者が手伝ってやったとのことだった。

グランドに着いたときには、昨日のトーナメントで敗退したチームとの練習試合が始まっていた。グランドは福岡県宗像市の丘陵地にあり、その北方に面した玄界灘からはまだ冬の風が吹き込んでいた。息子はグランドコートを着て、その風に向かって文句でも言っているようにベンチから懸命に声を出していた。ボールを拾い、バット引きもやっていた。そのサバサバした様子からは、特に問題は無いように見えた。不自然に曲がった右腕を除けば。

攻守交代時に監督に挨拶をした。
監督は、申し訳ないという苦渋の表情で帽子を取った。ボクは監督の許可を得て息子をベンチの外に呼び出した。

先週の練習試合では全く問題はなかったらしかったのだが、週中くらいに右肘に違和感を感じたそうだった。ただ、試合開始時に違和感を感じつつも全力で投げれば自分の納得いくボールが投げれたらしく、そこで「全力」で行くと決心したらしかった。
「じゃぁ、ケガを覚悟で投げたんだな。」
「うん」
前日の試合を観ていた理事からは、こんな報告を受けていた。
ブルペンでのボールの走りは素晴らしく、1回は一人をフォアボールで出すも、残りは全て三振で滑り出しは上々。しかし、3回に入って突然球威が落ち、その後、ホームランを浴びて4回で肘痛のためマウンドを降りたとのこと。
息子に詳しく聞いてみた。
2回1死後の投球時に痛みが走り、その後は投げる度に痛みが増し、4回が限度らしかった。
「それで、痛みの程度はどうなんだ」
「昨日の夜よりはマシ」
「それで、今は、痛みでどっちにも動かんとや」
「どっちにも動かんね」
ということで、カミさんが持ってきた黒の綿バックを三角巾がわりにして腕を吊してやった。
「ちょっとこれでガマンしとけ」
「ワカッタ」
息子はベンチに戻っていった。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカバカバカ

2012-04-26 19:04:01 | リトルリーガーの記録
3月に始まった新シーズンの息子の背番号は「1」。
練習試合では、あわや完全試合という好投もあった。
本人も調整とフォームチェックに余念が無かった。投球日と投球数をきめ細かく決めて、無理のないような調整を実施していたし、鏡を見ながらのシャドウのほか、自分で動画を撮影してはそれを入念にチェックしていた。
この時点でチーム状況は、規定による選手不足で全日本選手権の予選には出場できないことがほぼ確定していた。それは、つまり、僕ら親子が目標としていたワールドシリーズへの道が完全に閉ざされたことを意味していた。
しかし、息子は、己が全力を尽くせば、連盟の春季大会で九州を制することができると信じていたようだった。ただ、練習に励む息子には明らかに「力み」が見られた。力を抜くよう言うべきだったが、それを受けつけないような凄みが息子にはあった。怪我だけが心配だった。

春季大会は3月10、11日に福岡で行われた。
息子は1回戦に投手として先発出場していた。しかし、その日は次女ホースケの卒業式のため、ボクとカミさんは熊本にいた。
雨で試合開始時間がずれ込んだために、昼過ぎに連絡があった。初戦敗退の連絡だったが、結果以外の内容も含まれていた。それは息子の怪我に関するものだった。
4回を投げ終えた時点で、自らもう投げることができないと監督に申し出てマウンドを降りたそうだった。その後は、守備にもつかず打席にも入らなかったとのこと。トニカク、右肘をかなり痛がっている様子とのことだった。
夕刻、息子とケイタイで話すことができた。
「痛いか?」
「痛い」
「投げれんくらい痛いとや?」
「ウン、もう投げれんね」
「トニカク、明日、そっちに行くけん、おとなしくしとけ」
「ワカッタ」
男親子の会話は素っ気ないものである。息子の声に暗さはマッタク感じられず、ボクは心配に値するような怪我ではないと思った。しかし、これはバカバカしくて誰にも言わなかったことだが、電話のあとから自分の右肘が痛み出したのだった。そして、これは後から判ることだけど、そのときの息子は投げるどころか歩くときの振動でさえ肘に激痛を感じていたのだった。

・・・続く・・・
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