1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

『景行天皇伝説を巡る冒険』24.先住者のふるさと

2022-12-23 20:29:00 | 景行天皇の記録
【先住者のふるさと】
景行天皇は、この菊池川流域に伝わる古い歴史を当初から知っていたのではないでしょうか。

崇神天皇の時代、山鹿・菊池の地では先住の人々が彼らの文化様式で生活を営んでいたのでしょう。阿蘇大明神が「海神、吾を知れるや」と呼びかけたのは、先住民であった彼らがまさしく南方の海を渡ってきた海神族だったからではないでしょうか。そして、阿蘇大明神や景行天皇が茂賀の浦で見た「火」というのは、鍛治・加工、あるいは褐鉄鉱を原料とした製鉄の燃えさかる炎だったのかもしれません。
古墳時代の末期、菊池川流域では装飾古墳の文化が花開きます。装飾に利用される鮮やかな赤色は、褐鉄鉱を焼くことでできるベンガラです。この全国的に見ても特殊だとされる装飾文化の背景は、その原料を生み出す資源、つまり鉄を含んだ地質とともに、褐鉄鉱に親和性の高かった人々の存在が考えられます。

学生のころ八重山地方を旅しました。ある離島の大潮の日、浜辺では海開きのお祭りが行われていました。大きな鍋を使った牛肉の鍋料理が振る舞われ、島人たちに混じってその郷土料理を頂きました。夜はある民家の宴に呼ばれて泡盛を飲みました。
そのときのことです。その宴で一緒に飲んでいた年老いた方から、ある物を頂きました。それは「鈴石(すずいし)」でした。長径が5cmくらいの丸みを帯びたやや光沢感のある褐色の石ころは、その名のとおり手に持って耳元で振ってみるとコトコトと音を発したのでした。
その古老から、これは君が持っておくべき石だと言われたような気がします。当時は浅学な学生で、頂いた石が何なのかさっぱりわかりませんでしたが、後に調べたところ鉄の酸化物が主成分で、鉱物として赤鉄鉱もしくは褐鉄鉱であることを知りました。海神族は西表島の鈴石も製鉄に利用したかもしれない。そんなことを考えながら、この石を眺めると、胸が温かくなるような不思議な気持ちになります。





やはり、景行天皇は、当初から震岳の頂きに八神殿を祀る計画だったと思います。景行天皇の時代でさえ九州の土豪の一部はヤマト政権に対して恭順を示しませんでした。先々代の崇神天皇の時代はなおさらだったかもしれません。国内統一のためには示威行為だけでなく武力の行使も必要だったことは容易に察しがつきます。ヤマト政権に属さない勢力と激しい戦闘も引き続き起こっていたのでしょう。

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