1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

受験生を持つ親の記録

2010-03-19 18:06:34 | 子供の記録
長女ユーちゃんは、昨日の朝からジョギングを始めました。
中学の部活が終わってからかなり太ったらしく、ダイエットも兼ねてのことらしいけど、高校生活をスタートするにあたっての体力作りが大きな目的。

話しは変わりますが、知人、友人のたくさんの方々からお祝いの連絡をもらいました。
そのことは全てユーちゃんに伝えてあります。本人もそのたびに「ありがとうございます」と言って頭を下げております。この場をかりてボクもお礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。


さて、こうしてユーちゃんはめでたく志望校に合格したわけですが、実は、険しい道のりでした。

多くの人から「hiratakuwaさんのムスメさんなら、ダイジョウブ」と言われていましたが、中学3年間の総合成績は平均以下。偏差値50を超えたのは数回。とても志望校が安全圏であるとは言えませんでした。

本人は塾に通っているし勉強もしているふうでしたが、ボクからみると「本当に志望校に受かりたいのか、本当に志望校の吹奏楽部で頑張りたいと思っているのか」と悩まざるを得ない生活態度だったのでした。

昨秋、こんな出来事がありました。

2学期の期末考査の結果を、ボクには見せずに学校へ返したのでした。
これはカミさんも共犯でした。
「お父さんは、もう見たと・・・・・」
要するに悪い成績を見られたら、また、ボクに怒られる・・・、そんな単純な発想。
要するに、「イヤなことから逃げちまえ」精神。「逃げ根性」とも言う。あるいは「逃げポリシー」
ボクが怒り狂ったのは言うまでもありません。
この期に及んで・・・、なにが吹奏楽部だ!、なにが受験だ!、なにがガガガガ・・・!。
ユーちゃんの部屋を破壊しました。
そしてユーちゃんを外に投げたのでした。

実はこれまで、ユーちゃんは、こと『勉強』に関しては、掲げた「目標」や「やると決めたこと」を全て反故にしてきたムスメなのでした。その度に叱っていたのですが、それをいつも、許していて大目に見ていたのは他でもないボク。ユーちゃんは、スッカリ「逃げポリムスメ」になっていたのでした。それは、テストの答案を見ても明らかでした。「逃げポリ」は字にも現れます。

怒りの夜、ユーちゃんがどこに身を潜めていたのかは知りません。
しかし、翌日は何食わぬ顔で朝食を食べておりました。
ひっくり返った勉強机もメチャクメチャになった部屋も元に戻っていました。

その後、本腰を入れて勉強していたのかどうか、定かではありません。
自室にこもり「お勉強」はしていたようです。
しかし、模試の結果に反映されている様子はありませんでした。

トニカク、ボクはボクでいろんなことで忙しくしておりました。

三者面談で志望学科が決まったようでした。
「繊維工業科」でした。

「エッ?、ナンデ、ユーちゃんは繊維なの?・・・」
「だって、アタシ、Tシャツとか染めるの好きだし・・」
「ソ、ソウ」

トニカク、ボクはボクでいろんなことで忙しかったし、深く考えるのはヤメにしました。
志望校に受かってくれさえすれば、どこの学科だろうが、それはそれででいいのではないのだろうか。
そう思いました。

前期試験の倍率は3倍を超えていました。
これは当然の数字で市内の高校はどこも似たり寄ったりでした。
前期試験の合格者の多くはスポーツ特待でゲタを履いている学生たち。
一般で受かるためには、相当の学力(数学)が無ければ難しい状況でした。
なので、前期試験の不合格は当たり前と言えば当たり前の結果なのでした。

さて後日、後期試験の倍率が発表されました。
第一志望学科の倍率は2.7倍を超えていました。その倍率は10学科中群を抜いており、市内高校でも2番目という高さでした。ボクはテレビの報道に目を白黒させてしまいました。
「エッ!?なんでそんなことに?」
慌てて志望校のHPを検索。
昨年度の出願倍率がありました。
昨年の志望学科の後期試験倍率は「1.0」でした。

・・・・ナ・・ル・・ホ・・ド。

その晩・・・・、
「・・・ユーちゃん、・・・・お父さんは、どういう理由でユーちゃんが第一志望を決めたかよくわかんなかったけど・・・・、シャバはヨク出来ていると思わんね・・・・・、結局、ユーちゃん、こういうことなんだよね・・・、逃げて・・・・逃げ続けた先に、逃げ込んでいった人間がそこに群がり、壁となり、山となり・・つぶし合う・・・逃げた人間の縮図がここにはあるんだよ・・・。・・・さて、ユーちゃん、・・・・どうする?・・・・・」

「・・・・・・」


後期試験まで残り約1ヶ月。
ボクはユーちゃんに提案をしました。
「今日からリビングで勉強しようか」

ボクはユーちゃんがどんな勉強方法をしているのか知らなかったから・・・・。

その日のユーちゃんの「お勉強」はこんなかんじでした。
歴史に取り組んだのですが、ノートと教科書・参考書を広げ、歴史の細かい事を蛍光ペンとシャープペンを使い分け、ノートに綺麗に箇条書きで書き写していくのでした。
ボクはしばらくそれを眺めていました。


ユーちゃんには悪かったけど、ボクは言いました。
「ユーちゃん、そういうの、馬鹿ノートっていうんだよ、それは「お勉強」で勉強じゃぁないんだよ・・・、ユーちゃん、近道しよう、・・・・近道・・・・」
ボクはユーちゃんに今までの模擬試験の問題と答案を持ってくるように言いました。

「・・・ユーちゃん、・・・正解だったところはもう気にする必要はないよね、それは出来るっていうことだから・・・・、じゃぁ間違えたところ、出来なかったところをどうするかだけど・・・・」

ボクはユーちゃんに、歴史の間違ったところの「正解」をノートの真ん中に書かせた(ナニを書かせたか思い出せない)。
そしてその「正解」の言葉を中心に引き出し線を書いて、「正解」に関連することを書き出すように言いました。もちろん、教科書や参考書を見ずに。

「・・・それで、全部?、思い出せることを全部書くんだよ、頑張って思い出す・・」

「・・・はい、・・・・教科書、参考書を見てみようっかぁ・・・、ほらぁ~、まだまだイロイロあるねぇ~・・・、ユーちゃん・・・・、とりあえず、この繰り返しでいいよ・・・、今更、ノートにキレイに書く必要なんてないんだから・・・、汚くって構わない・・・、先ずは自分で考える・・・それをノートにダダダと書く・・・脳には揺らぎがあるから・・・思い出したり思い出せなかったたり・・・いろんなことが起こるんだけど・・・、・・・ナニかを憶えようとするときは、ナニかとナニかを関連させて憶えるほうがラクチンなんだよ・・・・・、だってさ、ナニかを思い出すときや喋るときって、思い出すことで次の思い出が出てきて、それが次々つながってってかんじじゃん・・・、だから、憶えるときはその逆をすればいいって、タダそれだけのこと・・・・、エッ?、なんで早くに教えてくれなかったのかって?・・・・、何度も言っていることだよ・・・・、それは今まで、話しを聞く準備がユーちゃんに出来ていなかったから・・・・・、今日初めて「憶える」ということにユーちゃんが気が付いただけなんだよ・・・」


深夜酔っぱらって帰った日もあったし途中で家を空けた日もありました。だけど、毎日少しずつだったけど、苦手だった数学や理科についても一緒に学んでいきました。その頃は、早朝にリョー坊とトレーニングもやっていましたし、広告取り活動やSGA理事から依頼される突然の書類作り、リーグ内の問題もありました。仕事だってここ数年なかった忙しさでした(今だって超忙しいです)。ボク自身、限界に近かったと思いますが、親が頑張らずして子が頑張るかとの思いで必死でした。ユーちゃんがどこまでボクのことを見ていたかは知りません。でも、もう言葉の世界ではありませんでした。ユーちゃんの心に火を点けるためには、ボクはボクの出来ることを頑張るしかない、そう思っていました。

ユーちゃんは頑張り始めました。
おそらく、この一ヶ月間が中学生になって初めての勉強期間ではなかったのでしょうか。

ユーちゃんは受験日の3、4日前にとうとう発熱して丸1日寝込んでしまいました。
原因は体力消耗による風邪でした。ユーちゃんは弱い子ちゃんなんです。
心配しましたが、それは本当に一生懸命頑張っている証拠でもありました。また、今までユーちゃんにとってのビッグイベント、例えば小学校時代の演劇、中学時代の音楽コンクール、いつも数日前に発熱して寝込んでいましたが、当日には体調をそれなりに整え実力以上の力を発揮していた姿を見ていたので、これはウマク行くのかもしれないと思いました。さらに、寝ることによる「記憶の整理」も期待されました。

受験は一人で行かせました。もちろん合格発表も一人で。

合格発表の朝、ボクはユーちゃんに言いました。
「どんな結果がでようが、結果は結果でちゃんと受けとめよう、電話くれよな」
この言葉の後に、「ユーちゃんが頑張っていたことはお父さんがよく知っているから」、と言えなかったことがチョッピリ後悔だったのですが・・・・・。
ただ、それ以外に後悔はありませんでした。仕事のこと、野球大会のこと、リーグのこと、リョー坊のこと、ホースケのこと、カミさんのこと、このバカブログの読者のみなさんのこと、どれも大事ですが、・・・・・ユーちゃんにしてあげること、ボクはボクなりの全力投球でした。

2.7倍という倍率に負けず、モーチベーションを持たせ、諦めさせず、最後までやり抜く。
ハッキシ言って難しい課題でした。ダメだったときの対処も考えていました。

結果はご存じのとおり合格でした。
さて、ここで訂正なのですが、実は、最終的な倍率は「1.8」だったそうです。
倍率発表のあと一部の受験生が志望学科を変更したようで、別の学科で2倍超えがあったそうです。


いよいよ、ユーちゃんの本当の戦いが始まります。
吹奏楽部は100人に迫る大所帯。精鋭Aパートは55人、続くBパートは15人。
厳しい世界です。ステージにさえ上がれないことだって十分ありえます。
戦況は刻々と変化していくと思います。これからは、親としては見守ることしかできません。
人間関係に悩み、恋に悩み、力及ばず結果が出ないこともあるかと思います。
ですが、たぶん、彼女はそれを乗り越え立派な人間に成長していくことでしょう。
ボクはそれを期待しています。

ユーちゃん、ガンバレ!。
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