本日は「飛騨金山おもちゃ病院」を実行するべく下呂市金山町を訪れました。
会場の「よってこ家本町」は金山町商工会の管轄で、毎月七日の「七日市」に抽選券でくじが引ける場所。そのイベントに便乗する形です。
9時に現地到着、準備を進める…しかし広告されていたにも拘らず来院ゼロ!(爆)
抽選会場の担当者も来客が少なく色々雑談をながら過ごしました。
飛騨街道金山宿は乱開発がされておらず、萩原宿より昔ながらの建物が比較的多く残り、木造3階建の遊郭建築を複数発見しました。
ひとつは現役の割烹旅館、もうひとつは閉店で空き家状態ですが後者のほうが昔ながらの風格を保っています…思わずスマホで撮影(笑)
…これを観光の目玉にすれば飛騨金山も魅力ある町として売り出せるのですが。
※実際元遊郭は被写体として人気があり、写真を撮ったりスケッチにする観光客も少なくないんだとか。
※前者の旅館も中身が知りたいので10月の飛騨萩原おし祭りの機会を狙って泊まるかもしれません(爆)飛騨金山~飛騨萩原間はJR高山本線で移動すれば無問題ですし。
この後も会場担当者・来客との会話に終始。
よってこ家の内部には昔の金山町の様子が写真で飾られており、昔を偲ぶ方々が少なくありませんでした…伊勢湾台風のときの洪水の写真は昔母親から聞かされた話とよく似ていたので何となく判ったり。
益田郡金山町(あえて旧名表記)は元々益田郡・加茂郡・武儀郡・郡上郡に所属した小さな町村の寄せ集めで、もし当時益田郡に入っていなければ武儀郡か加茂郡になり、下呂市に併合されていなかったでしょう。
4郡から寄せ集まった背景には、遊郭があるほど栄えた過去があったからでしょう。美濃太田が歓楽街のある街だったこととも似てます。
ただ過去の歴史を紐解くと…駅が益田郡にある、町域が一番広い武儀郡は隣の神淵村が加茂郡七宗町に編入されて飛び地になる、加茂郡や郡上郡は町域としては少ない…諸々問題あって本来大半を占める中濃地区でなく飛騨地区にカウントされて現在に至ります。
とはいえ多くの地元民は生活圏が中濃寄り。飛騨とつくのに抵抗を覚える人は今も少なくありません…平成の大合併のときも下呂市へ合併したくない住民の声が今も多いらしいです(実際役場関連の用事が地元で完結しなくなったとか)。
※行政への不信はもっと地元民が声を大にして叫ぶべきだった…それこそインターネットを駆使してホームページなどで訴えれば若い人たちが率先して動いた可能性大。
何だかんだで11時を過ぎてもおもちゃの来院がなく終了。年1回ペースでは忘れ去られるので今後年4回まで増やすか検討中…それならもしかすると来客が増えるかもしれません。
それなら美濃加茂や川辺のおもちゃドクターを引き連れて何とかできるか?
よってこ家の内部は閑散としていたので(以前は市場が開催されていた)今後プラレールひろばを持ち込んで盛り上げることも検討せねば。