1978年7月12日にメシアンは16年ぶりに来日したそうです。→メシアン初来日
「メシアンは16年前(1962年)にも日本に来た。「トゥーランガリラ交響曲」の上演、監修ということで、一ヶ月程滞在し、日本びいきになって、その印象と、日本の小鳥の歌声にもとづいて「七つの俳諧」を作曲し、我々日本に於ける彼の知己に捧げてくれた。
当然もう一度日本に来たがって、今年彼の70歳の誕生記念に、日本で「主イエス・キリストの変容」(La Transfiguration de Notre Seigneur Jésus-Christ, 1969)を上演できないかと、色々と検討してきたのだが、百人の合唱付14楽章1時間半の大曲となれば、容易なことではない。日本のオーケストラではとても出来ないと、あきらめたのだが、フランス政府の肝煎りで実現したわけである。
今回の国立管弦楽団の公演は、すべてフランス音楽だったのだが、「変容」だけでなく第三夜も、頭にラヴェルの「スペイン狂詩曲」をおいたものの、あと「忘れられた捧げ物」(1930)、「鳥たちへの目覚め」(1953)、「クロノクロミー」(1960)とメシアンの作品でうめられた。メシアンはフランスの文化使節として来たようなことになった。滞在は10日ばかりだったが、前記の公演以外に、ロリオ夫人のリサイタル、それに新日本フィルでの「七つの俳諧」の日本初演もおりこまれて、さながら東京にメシアン・ウィークが出現した。」
『芸術新潮』1978年9月号、別宮貞雄氏の文章より。
↑「主イエス・キリストの変容」日本初演。マゼール指揮フランス国立管弦楽団、フランス国立放送合唱団(1978年7月15日NHKホール)
→このとき、日本のメシアニアンたちは狂喜したことでしょうね!
しかし、メシアンの友人でもある別宮氏は1950年代以降のメシアン作品は「19世紀的な甘さから絶縁した、いわば大へんきびしい作品となっている」ことから、公演に対して一抹の不安を持っていたそうです。
それにも拘わらず、NHKホールほぼ一杯の聴衆は、あたたかい拍手で作曲者を何度もステージに呼んだし、新聞評でも「圧倒的感動を生む」と絶賛されたということです。
さらに難解かと思われた「クロノクロミー」の夕も、熱烈な拍手で、同行のラジオ・フランスの部長も「大した成功じゃないか」とちょっと驚いていたようです。
ボクもCDで「我らの主イエス・キリストの変容」を1時間40分弱通して聴いてみましたが、決して親しみにくい音楽ではないけどメシアニアンでない自分には「トゥーランガリラ」っぽくなる部分以外は正直よくわからなかったです。実演となると大迫力だったでしょうけど当時の聴衆ってホントに感動してたのか?
ただ、ブルックナーの9番の第2楽章と同じように、日本のお寺のお経っぽいサウンドがちょくちょく出てくるのは面白かった。キリスト教と仏教って実は似てるんでしょうか。
。。。一日すぎたら何故かまた聴きたくなってしまいました。飯屋煮庵への道?
↑メシアン・ウィークの開幕、座談会「メシアン現代音楽を語る」
↑ ロリオ夫人のリサイタル。