『N響80年全記録』(佐野之彦著、文藝春秋)を読んで、N響を世界に通用するオーケストラに成長させた最大の貢献者の一人はクルト・ヴェス(Kurt Wöss, 1914-1987)だと思いました。
ヴェス氏は1951年から54年までN響の初代常任指揮者をつとめました。
日本におけるヴェスは、「古き音楽の都を彷彿とさせる典雅で流麗な気風を漂わせ、穏やかでゆったりとした指揮ぶりは柔らかで暖かな歌声を喚起させた。聴衆はもちろん、演奏する楽員たちも音楽の楽しさを十分に堪能したのだった。ある作曲家は、『今日まで、我々のやって来た音楽は、我々があまりにも真剣すぎて、いきりたちすぎて、硬いものでなかったろうか。時々決死的な様相さえ感じられる程、ぎりぎりのものではなかっただろうか』と分析し、日本人は音楽で『遊ぶ』ことの意義を教えられたのだと指摘した。」(同著98ページ)
なるほど、日本人はいわば特攻精神で音楽に取り組んでいたわけですね。
「特に1952年1月12日に催された『ウィーン音楽の夕』は、その人気を決定づけた。同夜は、『これまで日比谷公会堂のN響演奏会で、こんなにも楽しい笑顔と喜びの声と拍手が渦巻いたことがあったろうか』と評された。」(同99ページ)
日本人のクラシック・ファンをも堅苦しさから救ってくれたんですね。
クルト・ヴェスを支えた、奥さんのマルガレータさんは「東京大学の先生をやるかたわら、能を研究し、お花のけいこに通い、日本や中国の料理も習っている」という才女でした!(週刊朝日昭和29年4月11日号)
↓ クルト・ヴェス(大竹省二氏撮影)
ちなみにヴェスの後任はエッシュバッハーというスイスの指揮者でした。
(音楽芸術昭和29年9月号より)