チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ホロヴィッツは「つぎはぎ魔」?

2014-06-28 22:55:43 | メモ

『音楽の友』1978年10月号に音楽評論家・野村光一氏(1885-1988)による「ホロヴィッツの素顔」という記事があり、読んでみたら少しびっくりしました。そしてホロヴィッツの印象が良くない方向に変わってしまいました。。



ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz, 1903-1989)は1978年5月にニューヨーク・デビュー50周年を記念してショパンの曲によるリサイタルを催したのですが、それを聴きに行った方が野村氏に感想を送ってきたそうです。

「生の演奏を聴いたかぎり、ホロヴィッツの音はレコードから出てくる独特の音にちがいないが、生の音はレコードほど綺麗でない。彼の音はメランコリックな柔らかい弱音と、鋭い金属性の強音との両極端からなっているが、音と音との間につながりや緊張感がないので、空虚な感じがする。私はレコードでのあのレガートの美しさ、緊張感、そして激しく美しいフォルテとメランコリックなステキなピアノとの間のさまざまな素晴らしいニュアンスは一体どうしたのだろうと問わざるを得ませんでした。」

野村氏は、同じライブに立ち会った他の人からも手紙を受け取ったのだが、ほぼ同じ内容だったといいます。


また、この感想を裏付けるように、野村氏はこの4、5年前にアメリカのピアニスト、アルバート・ロトー氏(Albert Lotto, b.1946)からこういう話を直接聞いていました。

「ホロヴィッツの許を訪れてピアノ奏法を教えられることになったのだが、その際、肩から指先までの腕の使い方は最も自然な、合理的な奏法に依っていたが、打鍵する瞬間、指の最尖端を内側に意識的に曲げると、ホロヴィッツ独特の音色になってしまう。しかし、それは人為的であって、自然でないから、自分はホロヴィッツから習うのを止めた」


さらには、ホロヴィッツの演奏を録音したある技師の話が新聞記事になったそうです。

「ある曲の演奏をいろいろ録音し、それらを継ぎはぎして作ったテープを彼の許に持参したら、彼は大体よいが、このトリラーよりもっとよく弾けているトリラーがあるから、それと取り替えろとおっしゃったのである。それから一週間後に、今度は『コーダをもっと激しく弾いたのがあるから、それにしろ』と言った。それでまた取り替えて夜の9時30分に持参すると、『遅い楽章のテンポをもう少し遅くしたほうがよい』と言い出すのだ。ただし、その指定の遅さとの違いは耳ではほとんど分からないくらいだったそうだ。それもまた取り替えると、それでやっと御満足がいったそうである。こんなことの繰り返しなのだ.....云々」


。。。あちゃー、そうだったんですか。。クライスレリアーナのCDとかすごいなー、って喜んで聴いていたんですけど。多少騙された感?今度は継ぎはぎに注意してCD聴いてみます。(CD初期の頃の盤で)

実は来日した1983年のはるか前から「ひびが入って」いたりして。。?(それはないか)