今年2020年はベートーヴェン生誕250周年ですが、50年前、200周年の時の日フィル第九のプログラムを見てみます。
↑ 表紙
↑ このコンサートは生誕200年である1970年の直前、1969年12月23日と24日に東京文化会館で開かれています。
豪華な独唱陣。
片野坂 栄子(1941年生)
春日 成子(1944年生)
砂川 稔(1930年生)
平野 忠彦(1938-2014)
↑ 23日のチケット。裏面の印によると10月20日に東京有楽町の交通会館チケットビューローにて購入。
↑ 小説家・安岡章太郎(1920-2013)。日フィル夏季合宿にて思い出話を披露。
このプログラムに寄せた文で安岡氏はこのように書かれています。
(前略)とにかく音楽は芸術であり、それが文化的土壌の異質な国に、これだけ急速に、これだけ広範囲にひろまるといふことは、おそらく一種の異変なのではあるまいか。霞が関の三十六階ビルや高層自動車専用道路の出現で、古い東京の景観が根こそぎ引っくり返ったといふ人たちは、戦後の洋楽普及によってどれだけ日本人の音楽的感性が変ってしまったかということも、注意すべきだろう。
(中略)昨年、東響がやった「第九」は独唱も合唱もアマチュアだったといふが、それなりに良かったと思ふ。たしかに私がきいても独唱は素人くさかった。しかし、バリトンが直立不動の姿勢で顔面紅潮し、近衛さんの指揮棒一閃、声をはり上げた瞬間は、さながら新品中尉が老師団長の命令一下、
「全員、突然に前へ・・」
と絶叫して、二百何十人かの全員が総攻撃で敵陣にとびこむ如く、その意気は素人らしくて、かへって良かったのである。
→ Freude! いまの時代でもアマチュアたちは総攻撃していますよ~
↑ 1970年日本フィル春季定期。
6月17日は小澤征爾指揮でマーラー8番。
↑ 当時の日本フィルの団員表。コンサートマスターはルイ・グレーラー(Louis Graeler 1913-1987)、アシスタント・コンサートマスターは瀬戸瑶子さん。
以下、小澤征爾さんのレコードの宣伝です。
↓ 裏表紙のステレオ広告(トリオIDS6700)
↓ 生誕200周年にベートーヴェン特設コーナーを作った「コタニ」という新宿のレコード店(『芸術生活』1970年2月号)
。。。情報を追加していきます。
それにしても世界的な音楽家の中でも日本の受難を我が身にように心配してくださる音楽家がいることの不思議。単に来日時厚い「おもてなし」を受けただけを理由にするには弱すぎる気がします。
> クラシックもまだ商売になっていた
確かに。今だったらクラシック音楽に絶対無縁そうなオジサンたちも当時はベートーベンが必須科目だったように感じます。趣味の選択肢が少なかったんですかね?
一番近い盛り場が銀座でしたので新宿のコタニはほとんど知らないのですが、恐らく間違いないかと。でもベートーヴェン200年祭のディスプレイが各社あるのが感無量です。クラシックもまだ商売になっていたのですねえ…。
メータというと若いころはともかく最近は外見から真面目で怖いオジサマという勝手な想像をしていましたけど実は機知に富んだ人なんですね。うれしく思います。過去の来日時のインタビュー記事等を探してみたくなりました。
ところで昨年の11月のベルリン・フィルのサントリー公演、ブルっぱちは聴きに行きたかったのですが高すぎて手が出ませんでした。それに抽選でしたよね。でも今となっては無理してでも行っておけばと後悔しています。
さきほどコタニという新宿三丁目のレコード店と思われる画像を追加しましたのでご覧になってください。本当に新宿のコタニでしょうか?
「危機なんて考えたこともないね。だってLAじゃボクのコンサートはいつも満員だから。あ、でも日本ではあるのかも。昨夜のコンサートには空席があったからね!」
お得意のジョークでしたが、何ともニクいなあと感心した覚えがあります。
数年後NYフィルに移ったメータの許にソニーのスタッフが新型のデジタルレコーダーを持ち込み、一通り技術的な説明をした後に真面目な顔で聴いていたメータから「一つ質問があるんだけどね」と。
「このデジタルってのは白黒なのかい?カラーなのかい?」
完全に一本取られた感じですね…。
リーマンショックのお話、とてもわかりやすく、ためになりました。
他の記事も読ませていただきます!
これからもよろしくお願いいたします。
Edipo Reさまの初ナマ小澤は第九だったのですね。ちなみに自分はマーラー復活でした。最近また健康を害していらっしゃるようですが、お元気な指揮姿をまた拝見したいです。
分裂後の新日フィルには興味あります。ゴタゴタ騒ぎを少し勉強して、当時の雑誌記事も探していずれブログに書こうと思っています。
それにしても中野サンプラザでクラシック演奏会とは。。おっしゃるとおり貴重なご経験だと思います。響きを重要視するクラシックファンは寂しい気持ちで帰路に就いたことでしょうね。
近々帝国ホテルのシャリアピン記事も書きますのでよろしくお願いいたします。コロナ前の記憶は薄くなってきていますけど。
フォロワー、フォローなるモノにまったく不馴れ、失礼多いと思いますがよろしくお願いいたします。
ただし既に分裂後の新日フィルで(半分くらいはトラ)しかも会場がその年オープンした中野サンプラザだったのです。同じ年にはNHKホールも出来、正直ひどい(当時は)と思っていたのですが、サンプラザはさらにひどい代物でした。
まあ内装の殺風景にも驚きましたが、それ以上にまるで残響の無いドライなアコースティックには辟易。第一楽章が終わったところで小澤さんと顔を見合わせたコンマスのグレーラーが渋い顔で首を横に振っていたのを思い出します。
その後サンプラザはクラシックの演奏会に使われることもほとんど無く当方も足を踏み入れていませんが、今考えれば貴重な体験だったのかも?また沢山広告を打っている小澤さんの録音も、当時は芳しくない批評が多かった記憶が。風向きが変わったのはパリ管との「火の鳥」全曲あたりからでしょうか。