食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

E U

2010-03-05 08:08:32 | 日記
 明治初期、、、、、


 青山喜八、という人物が、東京麻布で骨董商を細々と営んでいた。


 その近くに、オーストリア・ハンガリー帝国の大使館があった。


 、、、、ある日、、、、


 そこの大使である、ハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギーが、乗馬の最中に落馬してしまう。


 傷を負った彼の看病を、青山家の三女である、光子が請け負うことになった。


 、、、やがて、、、、、


 2人の間に恋が芽生える。  そして、周囲の猛反対を押し切り、結婚するに至った。


 子宝に恵まれ、暫くの間、東京で生活するも、数年後、クーデンホーフの故郷、ボヘミア地方(現在のチェコ国内)に移り住むことになる。


  、、、、さて、、、、


 このクーデンホーフ家、代々、ハプスブルグ家に仕えてきた、ヨーロッパ屈指の名門家だったのだ。


 当時、東洋の未知の小国・日本からきた野蛮女性に対する周囲の目は冷ややかで、「卑族結婚」と侮辱され、ヨーロッパ社交界からは、好奇の眼差しを向けられていた。


 当時の世界を鑑みれば、彼女の前に産み落とされた心労は、察するにいかばかりかの余を残す。


 筆舌に尽くし難い痛苦の中、光子は、ドイツ語、フランス語、英語を必死で学ぶ一方で、異文化の知識、習慣、礼儀、、、、などを猛勉強する。


 、、、そして、いつしか、、、

 この、「黒い目の野蛮人」は、周囲から、畏敬の眼差しを受ける存在へと変貌し、東洋的な美貌と機知に富んだ、「黒い目の伯爵夫人」として、ヨーロッパ社交界の中心的存在になるのである。


  、、、、、さて、、、、、、


 現在、その名を、世界に馳せている、E U、、、、、、、、


 1923年、「汎ヨーロッパ構想 」 が基礎となり、作られたのであるが、、、、、


  これを提唱したのは、 リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー という人物である


  彼の母親は、、、、、 クーデンホーフ・光子  、、、、、、、


 そう、「 E U の生みの親の親 」は、 光子 だったのである。


 、、、、、欧州連合、、、、


 凛として人生に臨まれた、明治女性が、飾り気のない笑顔で、この未来型地域共同体を優しく包み込んでいるような気がする。