◆海の安全を守る無線通信
出典 長崎無線91年のあゆみ
公衆通信の疎通を主たる目的としたNTT海岸局といえども、遭難や緊急、医療通信等に対しては最優先して全力で任に当たるのは当然である、特に遭難船の位置に間違いがあれば助かる命も救うことあたわず、真剣そのもの手に汗して任務遂行に努めたものである。
海上保安の海岸局が整備されるに従い、当局(長崎無線局)の役割は傍受や情報収集が主となる。しかし、遠距離の遭難の場合等では短波(近距離は中波)を使用し、遭難船とJOS短波または中波席、保安庁海岸局の連絡ルートを設定し遭難船の状況等を救助船に伝える等の協力を行ってきた。
船を沈めようかとする荒波や暴風雨の中、必死になって救助を求める船舶通信士の符号は決して聞き易い符号ではないし、正確に一言も聞き洩らすまいとして全身を耳となし手に汗して応答する海岸局通信士も神経を高ぶらせるものである。
このような通信に携わることが出来たきことは無線通信士の誇りでもあるが、海に生きる人々の厳しさと遺された家族たちのことを思い胸熱くなる。
JOSの歴史の中で重要通信の記録は多いが、特徴的なものを以下少し取上げてみる。
1.痛恨の綾葉丸事件
当局の遭難通信中、最も遺憾であったのは辰馬汽船綾葉丸の場合である。
昭和15年5月10日午後9時30分、五島列島の女島灯台東方3浬の海上で濃霧のため座礁し遭難信号を発したので直ちに連絡して救助の措置を講じたが、当時の天候や付近海上の状態から、ボートに移乗した乗組員は救助寸前に不幸にもボートが転覆して全員45名が水底に葬られた。まことに痛恨事であった。
しかし当時、同船の無線通信士が最後まで連絡に尽くした献身的な行動と崇高な責任感は、船舶無線通信士の鑑というも溢美ではない(日本無線史第4巻より)
2.ルース台風により遭難続出
一昼夜の短時間にSOS(遭難通信)7件、XXX(緊急通信)4件合計11件の多数に上ったことは、当局開局以来未だかつてその例を見ないところである。
昭和26年10月14日深夜、ルース台風は台湾から北上に従い沖縄付近から大分県津久見湾まで猛威を振るった。
遭難・緊急信号を発した船舶は、14日午前2時頃から午後10時過ぎまで日本船8隻、外国船1隻である。また、15日夜10時頃、新聞記者2名を乗せて五島古志岐の遭難現場に向かった漁船が16日午後10時に至るも消息不明。遭難のおそれありとして当局が16日2247に緊急信号を発した。
遭難・緊急信号を発するには至らぬものの危険寸前にて、厳重監視を依頼せしものも4隻にのぼる。
避泊しながら座礁した船舶が6隻もあったことは、台風情報にも問題があったろうが、死傷者及び船舶の沈没がなかったことは不幸中の幸いであった。
SOS及びXXXが沖縄に始まり次第に北上して大分県津久見に終わったが、その間に基隆、沖縄米軍通信所(ADD2)鹿児島保安、大分無線、佐世保保安、門司保安、角島無線等の各海岸局があって各局が行う遭難通信及び船舶からの遭難状況の問い合わせなどで500KC(注)は多忙を極めた。
また、大型客船の救助に際しては救助船中、方向探知器を使用した船舶が1隻もなく、そのために遭難船が発見できず、遭難後実に29時間を要したことから、大型客船、大型貨物船へのレーダー設置が求められることとなった。
◆◆10月14日 深夜のJOS500KCの通信状況◆◆
14日深夜の500KCの通信がどのようなものであったのか、当時の通信士の話しなどから再現してみると次のような状況である。(船名、呼出符号は仮名、通信時間は想定である。)
0159(通信時間)
3.第71高麗丸、救助通信で感謝状
昭和42年11月11日
4.末広丸事件
昭和50年9月26日午前1時45分(日本時)頃、フィリッピンミンダナオ島の西端ザンボアンガ港内に停泊中の大阪造船所末広丸(木材運搬船)に武装した20人くらいのゲリラグループが船を乗っ取り、身代金100万ペソ(約4000万円)を要求。翌27日早朝に比国軍艦8隻が包囲し緊迫した状態が続いていた。
長崎無線には26日深夜、末広丸からの緊急連絡があり、それ以降JOR13MCを末広丸との連絡用に固定し緊急事態に備えた。
通信に日本語を使おうとすると末広丸から「英語で願う。日本語は彼らに分からぬゆえ比国軍艦と暗号で連絡していると疑い非常に興奮し、身の危険を感ずる」と要請された。英語での意思疎通で不都合が生じないよう、不手際で大変な事態にならないよう、担当者も冷や汗で懸命に努めた。
29日午後7時「全ては終わった。午後5時50分(日本時)ゲリラは投降・下船した。午後6時20分ザンボアンガに向かう。これまでのご協力深謝す」との連絡が入ると通信課内に歓声が走った。通信手段のない海上の緊急事態にはモールス通信が如何に有効であるか再確認させ、長崎無線の評価を高めた。
◆出典 長崎無線91年のあゆみ
発行日 平成11年1月16日
発 行 NTT長崎無線電報サービスセンタ
編 集 NTT長崎無線電報サービスセンタ編集委員会
印 刷 (株)昭和堂印刷
<付記>出典は、銚子無線局の廃止後、わが国唯一のNTT直営の海岸局であった長崎無線局を平成11年1月末に閉じるにあたり、その91年の歴史、沿革を記念誌として発行されたものです。
出典 長崎無線91年のあゆみ
公衆通信の疎通を主たる目的としたNTT海岸局といえども、遭難や緊急、医療通信等に対しては最優先して全力で任に当たるのは当然である、特に遭難船の位置に間違いがあれば助かる命も救うことあたわず、真剣そのもの手に汗して任務遂行に努めたものである。
海上保安の海岸局が整備されるに従い、当局(長崎無線局)の役割は傍受や情報収集が主となる。しかし、遠距離の遭難の場合等では短波(近距離は中波)を使用し、遭難船とJOS短波または中波席、保安庁海岸局の連絡ルートを設定し遭難船の状況等を救助船に伝える等の協力を行ってきた。
船を沈めようかとする荒波や暴風雨の中、必死になって救助を求める船舶通信士の符号は決して聞き易い符号ではないし、正確に一言も聞き洩らすまいとして全身を耳となし手に汗して応答する海岸局通信士も神経を高ぶらせるものである。
このような通信に携わることが出来たきことは無線通信士の誇りでもあるが、海に生きる人々の厳しさと遺された家族たちのことを思い胸熱くなる。
JOSの歴史の中で重要通信の記録は多いが、特徴的なものを以下少し取上げてみる。
1.痛恨の綾葉丸事件
当局の遭難通信中、最も遺憾であったのは辰馬汽船綾葉丸の場合である。
昭和15年5月10日午後9時30分、五島列島の女島灯台東方3浬の海上で濃霧のため座礁し遭難信号を発したので直ちに連絡して救助の措置を講じたが、当時の天候や付近海上の状態から、ボートに移乗した乗組員は救助寸前に不幸にもボートが転覆して全員45名が水底に葬られた。まことに痛恨事であった。
しかし当時、同船の無線通信士が最後まで連絡に尽くした献身的な行動と崇高な責任感は、船舶無線通信士の鑑というも溢美ではない(日本無線史第4巻より)
2.ルース台風により遭難続出
一昼夜の短時間にSOS(遭難通信)7件、XXX(緊急通信)4件合計11件の多数に上ったことは、当局開局以来未だかつてその例を見ないところである。
昭和26年10月14日深夜、ルース台風は台湾から北上に従い沖縄付近から大分県津久見湾まで猛威を振るった。
遭難・緊急信号を発した船舶は、14日午前2時頃から午後10時過ぎまで日本船8隻、外国船1隻である。また、15日夜10時頃、新聞記者2名を乗せて五島古志岐の遭難現場に向かった漁船が16日午後10時に至るも消息不明。遭難のおそれありとして当局が16日2247に緊急信号を発した。
遭難・緊急信号を発するには至らぬものの危険寸前にて、厳重監視を依頼せしものも4隻にのぼる。
避泊しながら座礁した船舶が6隻もあったことは、台風情報にも問題があったろうが、死傷者及び船舶の沈没がなかったことは不幸中の幸いであった。
SOS及びXXXが沖縄に始まり次第に北上して大分県津久見に終わったが、その間に基隆、沖縄米軍通信所(ADD2)鹿児島保安、大分無線、佐世保保安、門司保安、角島無線等の各海岸局があって各局が行う遭難通信及び船舶からの遭難状況の問い合わせなどで500KC(注)は多忙を極めた。
(注)長崎無線局には、24時間体制で遭難通信に対応するため、中波帯の500KC(キロサイクル=キロヘルツ)で送受信をする500KC席が常設されていた。
この席は、九州周辺の海域を航行中の船舶から発信される遭難信号を24時間聴取しており、一旦遭難が発生すると遭難船からの情報収集、関係機関への救助連絡等の通信を500KCを使用して行っていた。
この席は、九州周辺の海域を航行中の船舶から発信される遭難信号を24時間聴取しており、一旦遭難が発生すると遭難船からの情報収集、関係機関への救助連絡等の通信を500KCを使用して行っていた。
また、大型客船の救助に際しては救助船中、方向探知器を使用した船舶が1隻もなく、そのために遭難船が発見できず、遭難後実に29時間を要したことから、大型客船、大型貨物船へのレーダー設置が求められることとなった。
◆◆10月14日 深夜のJOS500KCの通信状況◆◆
14日深夜の500KCの通信がどのようなものであったのか、当時の通信士の話しなどから再現してみると次のような状況である。(船名、呼出符号は仮名、通信時間は想定である。)
0159(通信時間)
XXX(緊急通信) GREYSBIRD (HOXY) 緊急通信傍受
当局より直ちに受信証を出すと共に同船と連絡を保つ。極東米軍陸海空軍司官宛の報告その他関係方面への通報を行い500KCにて佐世保保安(JNK)を通じ佐世保米海軍へ通報
0218 当局より直ちに受信証を出すと共に同船と連絡を保つ。極東米軍陸海空軍司官宛の報告その他関係方面への通報を行い500KCにて佐世保保安(JNK)を通じ佐世保米海軍へ通報
当局よりHOXYのXXXを500KCにて放送す
0231 当局よりHOXYのXXXを500KCにて再度放送す
0247SOS月星丸(JABC)英文の遭難通信受信。感度弱くまた混信のため不明。
同船に反復放送を要求す
0302同船に反復放送を要求す
JABCと連絡設定。慶良間烈島沖合避難中なるも強風により座礁。エンジンルーム浸水多量と通報あり。受信証を出すも感度弱く宰領困難のため沖縄米軍無線通信所(ADD2)との連絡を指示。引き続き和文・英文にて救助船を求むる放送を行う。
当地にても風雨益々強くなり、当局在圏船舶の安否を気遣い運用長(局長)、課長、係長等出局し、500KCワッチに万全を期す
0327 当地にても風雨益々強くなり、当局在圏船舶の安否を気遣い運用長(局長)、課長、係長等出局し、500KCワッチに万全を期す
デンマーク船GOLDMAERSK(OWST)よりSOS受信の連絡あり
0330XSX(基隆局)、当局の放送電文を放送し救助船の探呼に協力するを確認
0332ADD2(沖縄米軍通信所)JABC呼び出しを傍受
0333 巡視船「いき」(JJQC)よりJABC、HOXYの件問合せあり、要件を通知す
0338 ADD2よりHOXYの件OKの旨通報あり。HOXYの宰領を委ねる
0343 JJQC現位置奄美大島南端。台風強く本船もやむなく救助困難と連絡あり
0404 JABCとJJQCの交信を傍受
JABC「ホンセンキョウフウニ・・ORN(空電雑音)・・ナオエンジンルームイゼンシンスイチュウ・・QRN・・」
JJQC「・・QRN・・不明・・アマリゾウスイ・・QRN・・不明・・
0413 JABC「ホンセンキョウフウニ・・ORN(空電雑音)・・ナオエンジンルームイゼンシンスイチュウ・・QRN・・」
JJQC「・・QRN・・不明・・アマリゾウスイ・・QRN・・不明・・
当局よりADD2を呼出すも返答なし
0415 SOS鉄鋼丸(JHOJ)をキャッチ・・0340コシキ島付近に座礁。浸水なし・・不明・・救助頼む・・空電不明・・
当局より直ちに受信証を出す。JHOJは「今のところ救助不要」と回答あり
遭難位置不確実(鹿児島甑島か五島コシキ島か不明)。佐世保MSTS宛報告電を受信。関係方面へも直ちに通報す。
0425 当局より直ちに受信証を出す。JHOJは「今のところ救助不要」と回答あり
遭難位置不確実(鹿児島甑島か五島コシキ島か不明)。佐世保MSTS宛報告電を受信。関係方面へも直ちに通報す。
当局より鉄鋼丸(JHOJ)緊急事態発生のXXXを付して緊急通信放送す
佐世保保安(JNK)よりJHOJの件了解の旨連絡あり
0434 佐世保保安(JNK)よりJHOJの件了解の旨連絡あり
香港無線(VPS)よりQUM(遭難通信終了か?)の問い合わせ。JHOJ、HOXYの件を通知す
0439 台南局(XSW)よりQUMの問い合わせ。JHOJ、HOXYの件を通知す
0441当局からADD2呼出すも応答なし
0446ADD2との連絡。JHOJの件、通報するも混信と空電強く通信困難、打ち切る
0452 ADD2との連絡成功。当局よりJABC,HOXYの遭難通報し、協力要請す
0457 ADD2、JABCを呼出すも本船の応答不明
0500 当局とJHOJ間連絡。遭難位置確認。五島列島付近と判明す
当局「正確な位置は?」
JHOJ「暗くて正確な位置不明。コシキ付近か宇久島付近らしい。位置五島古志岐島付近・・」
0512 当局「正確な位置は?」
JHOJ「暗くて正確な位置不明。コシキ付近か宇久島付近らしい。位置五島古志岐島付近・・」
ADD2当局を呼出す。JABC、HOXYの位置等の問合せあり、詳述す
0518 JNKとJHOJとの交信傍受。JHOJの発振不良にて不明
0537 ADD2各船宛遭難放送を傍受
3.第71高麗丸、救助通信で感謝状
昭和42年11月11日
18時12分;鹿児島無線局よりSOSキャッチしたが詳細不明の連絡が入る。
当局は入感なきも直ちに500KC使用を規制し、佐世保保安並びに鹿児島保安に遭難の状況を照会するも詳細不明。
23時48分:500KCでSOSを傍受。韓国船第71高麗丸(147トン25名乗組)がグアム東方海域で突風のため遭難漂流中と判明。直ちに遭難状況を各船宛放送。
昭和42年11月12日当局は入感なきも直ちに500KC使用を規制し、佐世保保安並びに鹿児島保安に遭難の状況を照会するも詳細不明。
23時48分:500KCでSOSを傍受。韓国船第71高麗丸(147トン25名乗組)がグアム東方海域で突風のため遭難漂流中と判明。直ちに遭難状況を各船宛放送。
0時16分:UFL(ウラジオストック局)0時45分HLP(釜山局)が当局放送を再放送していることを確認。
0時48分:JOS8MC席でSOSをキャッチ。
4時30分:短波一括放送の中に各船宛連絡として遭難船の状況と注意事項を放送したところ、5時40分新和海運鉄邦丸よりグアム局と釜山局と遭難船との連絡設定困難の旨通報あり。
5時30分:当局より釜山局に使用周波数等を連絡し、遭難船との連絡設定に成功した。
当局の時宜を得た措置と協力に対して韓国政府より感謝状・楯を受けた。0時48分:JOS8MC席でSOSをキャッチ。
4時30分:短波一括放送の中に各船宛連絡として遭難船の状況と注意事項を放送したところ、5時40分新和海運鉄邦丸よりグアム局と釜山局と遭難船との連絡設定困難の旨通報あり。
5時30分:当局より釜山局に使用周波数等を連絡し、遭難船との連絡設定に成功した。
4.末広丸事件
昭和50年9月26日午前1時45分(日本時)頃、フィリッピンミンダナオ島の西端ザンボアンガ港内に停泊中の大阪造船所末広丸(木材運搬船)に武装した20人くらいのゲリラグループが船を乗っ取り、身代金100万ペソ(約4000万円)を要求。翌27日早朝に比国軍艦8隻が包囲し緊迫した状態が続いていた。
長崎無線には26日深夜、末広丸からの緊急連絡があり、それ以降JOR13MCを末広丸との連絡用に固定し緊急事態に備えた。
通信に日本語を使おうとすると末広丸から「英語で願う。日本語は彼らに分からぬゆえ比国軍艦と暗号で連絡していると疑い非常に興奮し、身の危険を感ずる」と要請された。英語での意思疎通で不都合が生じないよう、不手際で大変な事態にならないよう、担当者も冷や汗で懸命に努めた。
29日午後7時「全ては終わった。午後5時50分(日本時)ゲリラは投降・下船した。午後6時20分ザンボアンガに向かう。これまでのご協力深謝す」との連絡が入ると通信課内に歓声が走った。通信手段のない海上の緊急事態にはモールス通信が如何に有効であるか再確認させ、長崎無線の評価を高めた。
<<長崎無線にお礼 末広丸吉田船長の話>>
とても助からないと思っていたのに、無事解放されたのは三木首相はじめ日本国民のおかげです。特に長崎無線局には厚くお礼を申しあげます。
28日夜、ゲリラに船を動かされたときは、これはいかん、もう駄目かと思った。29日早朝になって、ゲリラが震えだしたので、これで助かるなと思ったが、本当にホッとしたのはゲリラが去って解放され、船が碇を上げて走りだした時だった。
<おわり>とても助からないと思っていたのに、無事解放されたのは三木首相はじめ日本国民のおかげです。特に長崎無線局には厚くお礼を申しあげます。
28日夜、ゲリラに船を動かされたときは、これはいかん、もう駄目かと思った。29日早朝になって、ゲリラが震えだしたので、これで助かるなと思ったが、本当にホッとしたのはゲリラが去って解放され、船が碇を上げて走りだした時だった。
◆出典 長崎無線91年のあゆみ
発行日 平成11年1月16日
発 行 NTT長崎無線電報サービスセンタ
編 集 NTT長崎無線電報サービスセンタ編集委員会
印 刷 (株)昭和堂印刷
<付記>出典は、銚子無線局の廃止後、わが国唯一のNTT直営の海岸局であった長崎無線局を平成11年1月末に閉じるにあたり、その91年の歴史、沿革を記念誌として発行されたものです。
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