長崎無線局最盛期の無線室風景
6.船の生命線 天気図
船にとって気象情報は絶対不可欠である。今日のように衛星が上空から雲や前線の動きを見ながら判断する時代ではなく、各ポイントの情報を基に天気図を作っていた。船は台風だけではなく低気圧や前線の突風に巻き込まれると大変である。特にデッキまでラワン材を満載した船などは突然現れる“台湾坊主”と呼ばれる小さな低気圧でも恐れた。
船の通信士にとって気象通報から天気図を作成することは最低条件であったし、船の安全を左右する重要な任務の一つであった。気象庁の数少ない定点観測船の観測だけでは海上の気象データは穴だらけで使いものにならず、航行中の船舶は積極的にそれぞれが観測したデータを気象庁に送った。当局は昭和42年までJOS6MC,8MC,13MC(21時のみ),17MC席を03時、09時、15時、21時のそれぞれ20分間はキショウ専用時間としてキショウ電報を優先して受信し、不急の一般信の取扱を制限していた。
午前2時30分の一括呼び出しが終るや否や6MCのコールバンドは「JOS」オンパレード。3時20分までが勝負で、「キショウ」信を持った船を後に残すのは通信士の恥とばかりに、BFOのつまみを徹妙に捻りながら音色を聞き分けて素早く応答する。「QRYl、JABC」と応答すると「JOS」の合唱はピタリと止まる。
あうんの呼吸とはまさにこのこと。連絡設定が終わると同時に音が壁になって押し寄せる。20分は一瞬に過ぎ、丑三つ時の激闘が終わる。30分程度の内に15隻以上の交信記録と緊張からの解放に満足して0-4の勤務は終了。船の通信士もお疲れさま。モールスしか無かつた時代の思い出。
7.海岸局の年末始 恒例のテレビ取材
年賀無線電報の最繁忙の頃は、他の局から年賀電報疎通のために応援を求めたり、電報貼付や運信、年賀電報の整理の補助など多数の学生アルバイトを雇用し、人と電報で溢れかえった。職場でも年賀電報用追加線表を作って疎通対策を立て、人繰りに苦労した。
テレビ局も年末風景の放送には必ず長崎無線を訪れ、「遥か南方の海上で働く夫から家族を思い多くの無線電報が・・」とやりながらピーピーとモールス信号を流し、独特の雰囲気を演出したものである。大洋漁業や日本水産の遠洋漁業は船団を組み、当番船がいくつもQSP(中継)していた。
8.無線年賀電報の送り方
海上のこととて無線年賀電報を年賀ハガキのように一人で何通も出すので、すぐ10通や20通にはなる。多いときは40、50通である。そうなると発信船名は省略するし、住所も同じ所は略し番地が違うだけとか、同文も続く。住所の一部略送を意味する「ムク」「ムト」や本文略の「ムヨ」などが組み合わさり、発信番号順に揃えないと分からなくなる。受信時間を入れたり、次の式紙をタイプに入れたりするので、遅れないよう指がもつれるほど早くタイプライターを叩かないと間に合わない。。これにQSPで他の船が重なると更に要注意である。
船宛て電報は式紙に糊の付いたテープを貼ってあるので分厚く、反り返ったりして10通にもなると束になる。30通も送ると本を送ったような気がしたものである。
それやこれやで1時間位は波を独占することになる。どの波も長時間ふさがるので、空いた波を探して船は大変であったろうが、こちらも息付く閑もなかった。1日はアッという問に過ぎていった。
9.煩悩の 鐘聞く間なし 大晦日
大晦日になると深夜まで船宛て年賀電報が入り続け、通信課長は呼び出され、除夜の鐘も聞かばこそ丑三つ時近くまで追い回される有様であった。年末始が無事終わり、1月半ばも過ぎると嬉野温泉で恒例の慰安会があり、年末年始に溜まりに溜まったストレスをこの時とばかり発散したものであった。
年賀無線電報は昭和30年代から40年代前半が最盛期で、年賀電報自体は最後まであるが、船舶から直接送られる年賀電報より、青年の船として中国へ訪問する「新さくら丸」などから郵送による無線年賀電報の方が多くなっていた。
年末始繁忙を一層高めたものに、南氷洋で捕鯨に活躍した捕鯨船団からの電報がある。捕鯨通信は昭和21年、戦後直ちに再開されている。捕鯨母船を中心に油槽船1隻、冷凍船2隻、沖積船5隻、キャッチャーボート9隻位で船団を組むが、1船団で12,000通程度の電報を扱い、そのうち年賀電報が大半を占めている。
捕鯨通信は長崎無線と銚子無線で担当した。長崎無線は捕鯨通信専用席を設け、高速通信を行って疎通に努めた。高速通信の受信はテープレコーダーを使用し、BFOを限度近くまで上げて音色を甲高くしていたが、フエーディングで聞き取れず翻訳に苦労していた。捕鯨線表の担当にはベテランが当てられていた。昭和30年代後半には船団からのお土産として鯨肉が配られることもあったが、捕鯨禁止の流れを思うと今昔の感がある。(その3「有線通信の風景」につづく)
◆出典等は、長崎無線(その1)参照ください。
【付記】
(その1)に書き洩らしましたが、長崎無線局の呼出符号JOSは、JAPANの頭文字Jと大瀬崎無線局の所在地OSEZAKIの頭文2字のOSを組み合わせたもので、諫早に移転し,開局した長崎無線局もこれをそのまま用いた(増田)。
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