折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

雛祭りと「おこしもん」の想い出

2018年03月02日 | 日記
  「おこしもん」

3月3日のお節句、私が飾るのは娘が残していったお内裏様だけ。
官女も五人囃子も仕舞ったままであとは縫いぐるみなどで少しにぎやかに。

お供えはお菓子と「起こしもの・おこしもの」をお供えします。
普通には「おこしもん」と言ってます。
大人になってからはできた物を買って来ていたので、最近になってネットで作り方を見ると
愛知県でとか尾張地方で作られている「おこしもの」レシピなどと書かれていてビックリ。
普通にどこでも、全国的にお節句には作られているものだとばかり思っていました。

熱湯で米粉をこねて木型に入れて形作り、取り出して蒸し器で蒸す。
その後、赤、桃色、黄、黄緑などの食紅で色づけ。
形はおめでたい熨斗、立ち雛、鯛、梅の花、桃など色々です。
木型に入れて形を起こすから「おこしもの」なのだとか。
そのままでも食べられるし、焼いて砂糖醤油を付けるといっそう美味しいのです。


子供の頃、一番上の姉の嫁ぎ先から「おこしもん作るで いりゃあせんか」と誘ってもらえて
子供の足でも30分ほどの姉の家に行きました。
熱々のこねた生地を「もうちょこっと隅まで いれやぁせ」と姉のお姑さんから言われながら
型に詰めたりして、一番楽しかったのは蒸し上がったおこしもんに色付けする時でした。
姉は私と17才違い、姉の子供は、私より5才年下。叔母と姪でもどっちも子供でした。

戦争で焼け出されて子だくさんだった私の家にはお雛様なんてなかったけれど、初節句には嫁の実家が
贈るものだから無理をしてでも、お雛様を買って祝ったのでしょう・・・
これも名古屋の風習かしら・・・

私は焼け焦げた着物の切れ端を貰って、裏地の紅絹(もみ)とちり紙でお雛様を作っていました。
押入れの奥には風呂敷に包まれて、ぐるっと焼け焦げた着物の切れ端がありました。
家が焼けた後、焼け跡から探し出した物のようでした。
「もえぼくそ」と母は言っていましたが、今思えば使いようもな切れ端を捨てられなかった
母の気持ちが分かる気がします。

  

私の娘の初節句に両親が買ってくれたお雛様、もうすぐ50年、今は私が飾っています。

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