小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

フェリ、ボッレ&フレンズ Bプロ(8/4)

2019-08-10 16:28:47 | バレエ
フェリ、ボッレ&フレンズ最終日(Bプログラム)を文京シビックホールで観た。演目はノイマイヤー振付『バーンスタイン組曲』から4曲、高岸直樹振付『リベルタンゴ』ノイマイヤー『オルフェウス』よりパ・ド・ドゥ、ラッセル・マリファント振付『TWO』、リカルド・グラツィアーノ振付『アモローサ』、ノイマイヤー『作品100~モーリスのために』『フラトレス』(『ドゥーゼ』より)。
ノイマイヤー・ガラの趣も呈したこのプログラムの上演のために、ノイマイヤー自身が来日して丁寧な指導に当たったという。Bプロにはカーステン・ユング、アレクサンドル・トルーシュ、カレン・アザチャン、マルク・フベーテらハンブルク・バレエ団のスター・ダンサーズが加わり、Aプロから参加しているシルヴィア・アッツォーニ、アレクサンドル・リアブコと合わせて、ハンブルク・サポートの高水準の上演が行われた。

『バーンスタイン組曲』から、ノイマイヤー・ダンサーたちのセンスと躍動感が素晴らしかった。Aプロでは3部の『マルグリットとアルマン』のみだったフェリも、「ロンリー・タウン」で早々と登場し、リアブコ、フベーテとともに軽やかに踊った。少年時代にミュージカル映画に心酔したノイマイヤーのバーンスタインへの共感が、「作曲家の精神の踊り」として表現されたバレエで、初演から21年が経っているがとても鮮烈だった。衣装が独特だなと思っていたら、デザインはジョルジオ・アルマーニだった。
 高岸直樹さん振付の『リベルタンゴ』は、ピアソラの音楽に合わせて上野水香さんとマルセロ・ゴメスがシャープで情熱的なデュオを踊った。元々、水香さんのために振り付けられた作品だという。彼女の美しいシルエット、タンゴのリズムに合わせて空間を刻んでいくような機敏なステップが見事で、女性ダンサーへの敬意を極限まで表現するゴメスがここでも最高の表情を見せた。気を緩めると事故も起こりかねない緊張感のある振付だが、二人は雲の上にいるよう。ゴメスは後半の『アモローサ』ではアッツォーニとも完璧なデュオを見せたが、ABプロを通してベテランの底力を表したと思う。
 
 2部ではボッレが大活躍し、マリファントのアブストラクトな『TWO』を厳しさとユーモアを交えた表現で見せた。ダンサーの肉体美が際立つ。ノイマイヤーがベジャールの70歳の誕生日に捧げた『作品100~モーリスのために』は、Bプロの中でも特に楽しみにしていた作品だった。サイモン&ガーファンクルの「旧友」「明日に架ける橋」に合わせて踊られる男性二人のための振付で(映像でもこの二人の演技が見られる)、ボッレが踊るたびにいい表情になっていく。言葉にするのは難しいが、ノイマイヤーとベジャールの関係、友情と敬意などが絡み合った天上的な作品で、ノイマイヤーの元で踊るリアブコは以前からこの根底にある世界観を理解していたが、以前のボッレはどこか不可解な表情を見せていたこともあった。
 ボッレは機会があれば、ベジャールも大いに「踊らせたい」と思っていたダンサーだったと思う。ノイマイヤーとベジャールの間にある霊感の交流を、今のボッレは深い次元で把握していたように見えた。リアブコはそれを「待っていた」ふうでもあり、この『モーリスのために』は爆発的な感動を呼び起こした。観客の熱狂は火が付いたようであった。

フェリがハンブルクの4人のダンサー…トルーシュ、アザチャン、フベーテ、ユングと踊る『フラトレス』は、ノイマイヤーが1986年にマリシア・ハイデに振り付けた小品をベースに、復帰したフェリのために2015年に創作したバレエで、20世紀初頭に実在したイタリア人女優エレオノーラ・ドゥーゼと3人の恋人、1人のメンターとの心理的なドラマが描かれている。
 そういう解説を読まずにこの作品を観たので、これはバランシン・バレエへのオマージュではないかとも思った。音楽はアルヴォ・ペルトだが、静謐で純化された世界観からは、ストラヴィンスキーの新古典派の音楽にバランシンが振り付けた『アポロ』と似た質感が感じられた。
 4人の男性ダンサーとフェリは明らかに違う意識の次元にいて、フェリは眠っているようにも見えた。とても「催眠的な」雰囲気があり、神話の女神のように幻想的で、男性たちはその意識にコミットしようとするが、高貴な魂には触れられない…といったふうなのだ。能のような静けさに溢れ、一つの動きの変奏と展開、再現があり、非常に音楽的だった。驚いたのは、フェリが紛れもなく神々しく美しかったことで、ダンサーとして全く衰えていない…それどころか、いよいよ輝きを増しており、過去の素晴らしい彼女の上演が丸ごとこの瞬間に接ぎ木された感覚があった。
 ダンサーの美とは何か、改めて「内面にあるもの」の重要さを気づかされた。
 この凄いBプロを観て、ガラ公演の本質とは何かを考えた。4日間、計5回の公演は、最初「多すぎるのではないか」とも思ったが、終わってみれば5回全部見ておくべきだったと後悔してしまう。ノイマイヤーとハンブルク・バレエがここまで精力的にバックアップするとは宣伝にはなかったし、「蓋を開けてみたら途轍もなく贅沢なものが上演された」という感慨がある。

 アフタートークでボッレが、今回自分が心から上演したい作品が可能になったことと、リハーサルが完璧にオーガナイズされたものだったことに感謝していたが、舞台の上でのダンサーたちの輝きはそうした主催側の敬意と、余裕をもった準備に支えられていた。
 7-8月に多くのダンス公演が行われた中でも、このフェリ、ボッレのガラは飛びぬけていた。実力のある人気ダンサーを集めても、振付に力がなかったり、上演の構成そのものにプロフェッショナルな視点がなければ真の意味で公演は成功しない。旬の人を見られるのならどの公演も素晴らしい…と言いたいところだが、バカンス気分で日本に来て踊ってもらうだけの公演では、芸術的価値は生まれにくいだろう。最終的に残るのは精神的価値であり、魂をかけて人生を築いてきたアーティストの心に真の喜びをもたらすことである、と考える。この公演では、バレエ招聘事業の底力を見た。