小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

日本フィル×ラザレフ(5/17) メトネル、マスカーニ 

2019-05-19 03:16:57 | クラシック音楽

ラザレフによる日本フィルの演奏会形式イタリアオペラの上演。大変貴重なコンサートなのに、直前まで公演スケジュールを見逃していて、慌てて日本フィルの方にお願いして入れていただいた。サントリーホールはほぼ満員。前半にはメトネル『ピアノ協奏曲第2番』が演奏され、ソリストのエフゲニー・スドビンがめざましいソロを披露した。遠目に見るとウクライナ出身のアレクサンダー・ロマノフスキーに少し似ていて、穏やかそうな外見なのにピアノに向かった途端恐ろしいほど険しい顔つきになるのも似ている(彼らは卓越したラフマニノフを弾くという点でも共通していた)。 はじけるような電撃的な打鍵から始まる曲だが、スドビンには曲のすべてが身体の中に入っているという感じで、最初の一音から月並みならぬ密度感があった。過去にすみだでリサイタルを行ったこともあるピアニストだが、今回初めて聴く。精緻な音楽性でオケを導く求心力があり、抒情的で、緩徐楽章ではうっとりするロマンティシズムを醸し出し、強い印象を残した。 

それにしても魅惑的な曲だった。耳慣れないコンチェルトなので調べてみたら日本初演は2004年でオッコ・カム指揮・東京フィル、ソリストはアムランだったという記録があった。この機会にメトネルの3曲のピアノ協奏曲を聴いてみたが、いずれも名作。日フィルがまた素晴らしかった。ラザレフのリハは厳しく、楽員はパートを抜いて演奏させられるなどかなりしごかれると千葉清香さんにインタビューしたとき教えていただいたが、この日は香り立つような艶麗なハーモニーを次から次へと響かせ、その一瞬一瞬があまりに美しいので夢見心地になってしまった。ラザレフが日フィルと作り出す音楽には「色」も「香り」もあって、神々のために作られた美酒とはこのような天上的な味わいなのではないかと思われるほどだった。 40分にもわたる長いコンチェルトを弾いたスドビンは最後まで集中力を切らさず、アンコールのスカルラッティのソナタでは、心の底を打ち明けるような静謐で聖なる音色をホールに満たした。この演奏会のお陰で忘れられないピアニストの一人になった。

 和声の優美さと胸を掻きむしるドラマ性という点で、メトネルとマスカーニには確かな接点があった。ラザレフの大胆さ、的を外さぬプログラミングの妙には相変わらず驚かされる。後半の『カヴァレリア・ルスティカーナ』が始まったのは8時10分過ぎ。まさかそのせいではないだろうが、導入部のテンポ指定が今まで聞いたオペラ上演よりかなり速く感じられた。婚約者に裏切られるサントゥッツァを清水華澄さんが歌われた。2012年のカリニャーニ指揮・田尾下哲さん演出の二期会での上演でもこの役を演じられていたが、7年ぶりのサントゥッツァは可憐で透明感を増し、呪詛の念に乗っ取られた悲しい娘…という表現は控えめになっていた。サントゥッツァの恋敵ローラを富岡明子さんが演じられたが、徹頭徹尾悪役という表情が素晴らしかった。ローラの夫アルフィオを歌われたのは上江隼人さんで、2012年の二期会カヴァパリでは「パリ」のほう(『道化師』)のトニオを歌われていたことを思い出す。稽古のときからカリニャーニから尊敬されていたが、カヴァレリア…のアルフィオで上江さんを聴けるのは贅沢すぎた。この役は直情的で威圧的なだけではないのだ。雄々しく威厳があり、真面目に働いて富を傷ついた市民の誇りを感じさせた。

 サントゥッツァを裏切りローラと不倫するトゥリッドゥを、シベリア出身のテノール、ニコライ・イェロヒンが演じたが、声も姿も堂々たる歌手で、清水さんや上江さんのうまさがこの人の爆発的な声量で台無しになるのではないかと一瞬心配したが、役の無鉄砲さをうまく聴かせてくれた。テノールには色々なタイプがいるが、こういう「華」の持ち方もあるのだと感心することしきりだった。  オケは素晴らしい熱気を帯び、コントラバスの奏者の方々の表情が特に目に焼き付いた。マスカーニの処女作には確かに独特のカリスマ性があり、レオンカヴァッロの作為的なオーケストレーションに比べると「素朴」と言われることもあるが、「田舎の騎士道」とはアイロニー半分で、音楽そのものは十分に巧みで洗練されている。プッチーニほどワーグナーの影響は感じられず、むしろビゼーの『真珠とり』やマスネの『ウェルテル』を思い出す瞬間があった。日フィルがイタリアオペラをやるのは珍しいが、ラザレフも彼らとは初々しいマスカーニから始めたかったのかも知れない。楽譜出版社のコンペに参加するため、マスカーニは26歳でこれを書いたのだ。  

1年前のストラヴィンスキー『ペルセフォーヌ』を思い出した。あのときもラザレフは、オケと聴衆に刺激と興奮をもたらしてくれた。ペルセフォーヌの不思議な余韻は、それから1年間あらゆる瞬間に思い出された。20世紀初頭の作曲家たちが住んでいた金色の雲の上の神話世界から、美味しい果実を切り取って我々に届けてくれるラザレフもまた、神々の国の住人に思える。メトネルとマスカーニの狂おしい「香り」が、グラスの中の果実酒のようにホールを満たした晩だった。


 

 


最新の画像もっと見る