3年ぶりのBBLの来日公演は、「新芸術監督」ジュリアン・ファヴローが主役のフレディを演じる『バレエ・フォー・ライフ』から始まった。ベジャール亡き後17年間にわたって芸術監督を務めてきたジル・ロマンとのリーダー交代劇はカンパニーもバレエ界全体をも驚かせたが(誰よりジュリアン自身も)、バカンスを終えて戻ってきたダンサー達は、新シーズン最初のツアー先となった日本で最高のパフォーマンスを繰り広げた。
このバレエは何回観たか数えきれない。ジュリアンがフレディが踊る姿を初めて観たのは22年前の2002年。眩しい金髪で均整の取れた美しい長身、時々女性のようにも見える妖艶さ、ライトの下で特別な光を放つ目の色など、美しいベジャールダンサーの中でも特に美しく、オーラまで完全に神々しかった。2002年の『ダンス・マガジン』では評論家の渡邊守章先生も彼の美しさを賛美していて、その文章が好きでバックナンバーを保存している。2004年にはジュリアンのフレディを求めてイタリアのトリノのレージョ劇場で三日間このバレエを観た。
2024年でダンサーとしてのキャリアを終え、監督の仕事に専念するジュリアンの「日本で最後のフレディ」はこれまでと同じように素晴らしく、あらゆるシーンが力強く微塵の衰えも感じさせなかった。「これがラストなのだ」と思うと感傷的にもなるが、正式に芸術監督となった彼の統率力も見られる大切な「始まり」の公演でもあり、ダンサー全員がそれぞれの演技を今までのように成功させないと監督の落ち度ということになる。
そうなると、すべてのダンスの細部が目に入って来る。今のカンパニーには魅力的なダンサーがたくさんいて、Bプロで『ボレロ』を踊る大橋真理さんが「ブライトン・ロック」「コジ・ファン・トゥッテ四重唱」「ゲット・ダウン×メイク・ラヴ」「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」でドキドキするような目覚ましい姿を見せた。ベジャール・ダンサーが素晴らしいのは、「彼女(彼)はこういうダンサーなのだ」というはっきりとした個性を感じさせる点で、それが一番の魅力になる。インタビューしたエリザベット・ロスが「ベジャールはその人の日常の様子を観察して振りをつけるから、他のダンサーに振り付けられたものをみて『そういう姿も振付にしてしまうのね』とヒヤリとしたことがある」と語っていた。面白いのは、昔いたダンサーの面影を宿す新しいダンサーたちもいて、思わず血縁なのかと思ってしまうほどで、要は魂の形が似ている。BBLに集まってくる若者たちは確かに「引き寄せられてくる」のだと確信した。
ジル・ロマンが演じていた狂言回し(?)の役を、2022年にカンパニーに復帰したオスカー・シャコンが踊ったが、今回はさらに悪魔的なカリスマ性を増強し、ところどころジルを見ているような気がした。オスカー自身「BBLで再び踊れるようになったのは、モーリスの天の采配」と語って、それを許可したジル・ロマンに感謝していたが、役者としての技量も求められるこの特殊な役を高いクオリティで演じられるダンサーは少ない。「フリーメイソンのための葬送音楽」は今やオスカーのためのダンスだった。
前回の来日で「モーツァルトピアノ協奏曲第21番」を踊ったアントワーヌ・ル・モアルが今回も同じパートを踊り、小悪魔的な魅力を増していて、見たことのないような細かい即興も入れて楽しませてくれた。相手役のキャサリーン・ティエルヘルムはベテランの域にいるダンサーで、華やかさと安定感があり見ていて心が涼しくなる。アントワーヌは若き日のパトリック・デュポンを彷彿させ、今後が楽しみ。「シーサイド・ランデヴー」ではテクニシャンのソレーヌ・ビュレルが可愛い水着姿で陽気に踊り、日本人ダンサーの武岡昴之介さん(非常に目を引く美しいダンサー)も海辺の若者の一人を踊った。ソレーヌはベジャール・バレエに魅了され、カンパニーに入れるまで他で修業を積んできた信念の人で、Bプロの『コンセルト・アン・レ』でも美しいソロを踊る。
このバレエは好きなところがありすぎて、1時間50分があっという間に過ぎてしまう。かつて小林十市さんが踊った『ウィンターズ・テイル』を大貫真幹さんが踊り、何か目頭が熱くなった。12月のローザンヌ取材では30代のほとんどを怪我の痛みとももに踊り続けてきたと語ってくれた。ジュリアンとの「レディオ・ガ・ガ」を踊ったのは、東京バレエ団から移籍した岸本秀雄さんで、ベジャールがある時期の日本人ダンサーに求めていた永遠の少年性を見事に表していたのに感動した。ジュリアンと掛け合いで踊る姿は「火の鳥」を見ているようだった。
一人一人のダンサーを隅々まで見て、彼らの個性がどう発展していくかを想像している自分は、もしかしたら「ジュリアンと同じ視点で見ているのかな」とうぬぼれた気持ちになった。しかしそれはベジャールがダンサーを見ていたときの視点で、「私のところにいるダンサーたちはなんて素敵なんだ!」という思いで作ったのが「バレエ・フォー・ライフ」なのではないかと思いついた。夭折したジョルジュ・ドンとフレディ・マーキュリーとモーツァルトに捧げるバレエだが、同時にベジャールの目の前にいた輝かしいダンサーのために振り付けたのが、全員が過激なほど魅力的になるこの作品だと感じた。次々と新しい命がやってきて、ベジャールの精神を伝えようと励む姿は「わが子のように可愛い!」に違いなかった。ベジャールがダンサー全員を抱擁で迎える「ショー・マスト・ゴー・オン」は、今回特別演出でベジャールの生前の写真が舞台中央に置かれた。ちゃんと滑車がついていて、ダンサーと一緒に前に出られるようになっている。今日の公演ではジュリアンがかつてのベジャールの役割をやるのかも知れないと思うと、計り知れない気持ちになる。
ジュリアンは個人的に最も魅了されたダンサーで、ベジャールの巨大な哲学を翻訳してくれただけではなく、彼が同化している芸術の世界に届きたいという渇望感から、自分はバレエを始めオペラやオーケストラを取材するようになった。それ以前はポップスのライターで、芸能ライターや三面記事の追跡ライターのような仕事ばかりやっていた時期があり、その後も何かを成し遂げたわけではないが、芸術の多くを学ぼうとする方向へ変えてくれたのは、ジュリアンその人なのだった。
フレディは女装したりバナナの被り物を被ったり、大声で叫んだり笑ったり、よくも毎回あんなに思い切りやれるものだなと思うが、ジュリアンの代表作で、私が観たすべての上演で一ミリも手を抜かなかった。精神力の効果か、不調だった姿を見たこともない。「こんなに呆気なく終わってしまうのか」と呆然としたが、彼がどんなに素晴らしかったか知っている今のBBLのダンサーは、全員ますます急成長するのではないかと思う。カンパニーに長くとどまる人も増えるような気がする。
「ベジャールはあなたを尊敬していたと思う」と伝えたとき「振付でもよく意見を求められた。君はどうしたらいいと思う?と」ベジャールとジュリアンの対話はまだ続いているのだ。
(2023年12月17日 ローザンヌのBBLにて)
このバレエは何回観たか数えきれない。ジュリアンがフレディが踊る姿を初めて観たのは22年前の2002年。眩しい金髪で均整の取れた美しい長身、時々女性のようにも見える妖艶さ、ライトの下で特別な光を放つ目の色など、美しいベジャールダンサーの中でも特に美しく、オーラまで完全に神々しかった。2002年の『ダンス・マガジン』では評論家の渡邊守章先生も彼の美しさを賛美していて、その文章が好きでバックナンバーを保存している。2004年にはジュリアンのフレディを求めてイタリアのトリノのレージョ劇場で三日間このバレエを観た。
2024年でダンサーとしてのキャリアを終え、監督の仕事に専念するジュリアンの「日本で最後のフレディ」はこれまでと同じように素晴らしく、あらゆるシーンが力強く微塵の衰えも感じさせなかった。「これがラストなのだ」と思うと感傷的にもなるが、正式に芸術監督となった彼の統率力も見られる大切な「始まり」の公演でもあり、ダンサー全員がそれぞれの演技を今までのように成功させないと監督の落ち度ということになる。
そうなると、すべてのダンスの細部が目に入って来る。今のカンパニーには魅力的なダンサーがたくさんいて、Bプロで『ボレロ』を踊る大橋真理さんが「ブライトン・ロック」「コジ・ファン・トゥッテ四重唱」「ゲット・ダウン×メイク・ラヴ」「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」でドキドキするような目覚ましい姿を見せた。ベジャール・ダンサーが素晴らしいのは、「彼女(彼)はこういうダンサーなのだ」というはっきりとした個性を感じさせる点で、それが一番の魅力になる。インタビューしたエリザベット・ロスが「ベジャールはその人の日常の様子を観察して振りをつけるから、他のダンサーに振り付けられたものをみて『そういう姿も振付にしてしまうのね』とヒヤリとしたことがある」と語っていた。面白いのは、昔いたダンサーの面影を宿す新しいダンサーたちもいて、思わず血縁なのかと思ってしまうほどで、要は魂の形が似ている。BBLに集まってくる若者たちは確かに「引き寄せられてくる」のだと確信した。
ジル・ロマンが演じていた狂言回し(?)の役を、2022年にカンパニーに復帰したオスカー・シャコンが踊ったが、今回はさらに悪魔的なカリスマ性を増強し、ところどころジルを見ているような気がした。オスカー自身「BBLで再び踊れるようになったのは、モーリスの天の采配」と語って、それを許可したジル・ロマンに感謝していたが、役者としての技量も求められるこの特殊な役を高いクオリティで演じられるダンサーは少ない。「フリーメイソンのための葬送音楽」は今やオスカーのためのダンスだった。
前回の来日で「モーツァルトピアノ協奏曲第21番」を踊ったアントワーヌ・ル・モアルが今回も同じパートを踊り、小悪魔的な魅力を増していて、見たことのないような細かい即興も入れて楽しませてくれた。相手役のキャサリーン・ティエルヘルムはベテランの域にいるダンサーで、華やかさと安定感があり見ていて心が涼しくなる。アントワーヌは若き日のパトリック・デュポンを彷彿させ、今後が楽しみ。「シーサイド・ランデヴー」ではテクニシャンのソレーヌ・ビュレルが可愛い水着姿で陽気に踊り、日本人ダンサーの武岡昴之介さん(非常に目を引く美しいダンサー)も海辺の若者の一人を踊った。ソレーヌはベジャール・バレエに魅了され、カンパニーに入れるまで他で修業を積んできた信念の人で、Bプロの『コンセルト・アン・レ』でも美しいソロを踊る。
このバレエは好きなところがありすぎて、1時間50分があっという間に過ぎてしまう。かつて小林十市さんが踊った『ウィンターズ・テイル』を大貫真幹さんが踊り、何か目頭が熱くなった。12月のローザンヌ取材では30代のほとんどを怪我の痛みとももに踊り続けてきたと語ってくれた。ジュリアンとの「レディオ・ガ・ガ」を踊ったのは、東京バレエ団から移籍した岸本秀雄さんで、ベジャールがある時期の日本人ダンサーに求めていた永遠の少年性を見事に表していたのに感動した。ジュリアンと掛け合いで踊る姿は「火の鳥」を見ているようだった。
一人一人のダンサーを隅々まで見て、彼らの個性がどう発展していくかを想像している自分は、もしかしたら「ジュリアンと同じ視点で見ているのかな」とうぬぼれた気持ちになった。しかしそれはベジャールがダンサーを見ていたときの視点で、「私のところにいるダンサーたちはなんて素敵なんだ!」という思いで作ったのが「バレエ・フォー・ライフ」なのではないかと思いついた。夭折したジョルジュ・ドンとフレディ・マーキュリーとモーツァルトに捧げるバレエだが、同時にベジャールの目の前にいた輝かしいダンサーのために振り付けたのが、全員が過激なほど魅力的になるこの作品だと感じた。次々と新しい命がやってきて、ベジャールの精神を伝えようと励む姿は「わが子のように可愛い!」に違いなかった。ベジャールがダンサー全員を抱擁で迎える「ショー・マスト・ゴー・オン」は、今回特別演出でベジャールの生前の写真が舞台中央に置かれた。ちゃんと滑車がついていて、ダンサーと一緒に前に出られるようになっている。今日の公演ではジュリアンがかつてのベジャールの役割をやるのかも知れないと思うと、計り知れない気持ちになる。
ジュリアンは個人的に最も魅了されたダンサーで、ベジャールの巨大な哲学を翻訳してくれただけではなく、彼が同化している芸術の世界に届きたいという渇望感から、自分はバレエを始めオペラやオーケストラを取材するようになった。それ以前はポップスのライターで、芸能ライターや三面記事の追跡ライターのような仕事ばかりやっていた時期があり、その後も何かを成し遂げたわけではないが、芸術の多くを学ぼうとする方向へ変えてくれたのは、ジュリアンその人なのだった。
フレディは女装したりバナナの被り物を被ったり、大声で叫んだり笑ったり、よくも毎回あんなに思い切りやれるものだなと思うが、ジュリアンの代表作で、私が観たすべての上演で一ミリも手を抜かなかった。精神力の効果か、不調だった姿を見たこともない。「こんなに呆気なく終わってしまうのか」と呆然としたが、彼がどんなに素晴らしかったか知っている今のBBLのダンサーは、全員ますます急成長するのではないかと思う。カンパニーに長くとどまる人も増えるような気がする。
「ベジャールはあなたを尊敬していたと思う」と伝えたとき「振付でもよく意見を求められた。君はどうしたらいいと思う?と」ベジャールとジュリアンの対話はまだ続いているのだ。
(2023年12月17日 ローザンヌのBBLにて)