小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(11/15)

2018-11-18 13:24:59 | クラシック音楽
来日中のウィーン・フィルのミューザ川崎シンフォニーホールでの公演を聴く(11/15)。
プログラムCはドヴォルザーク:序曲『謝肉祭』、ブラームス:『ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調』ワーグナー(ウェルザー=メスト編曲)『神々の黄昏』抜粋。
ミューザでこのCプログラムをやってくれたことが有難かった。ウィーン・フィルとは何者か…という答えのひとつが、この初日の公演に集約されていたからだ。
ウィーン・フィルは言うまでもなく世界最高峰の名門オーケストラであり、同時にウィーン国立歌劇場でオペラのピットに入る多忙な「伴奏オーケストラ」でもある。ウィーン・フィルは常任指揮者をもたないが、今回の来日公演で指揮台に上ったフランツ・ウェルザー=メストは、御存知のように2010年から2014年までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めていた。オケの日常を知る指揮者であり、彼らの特質やチャームポイントを知り尽くしている。その指揮者が導くウィーン・フィルというのは、格別であった。ここ数年聴いてきたエッシェンバッハ、ドゥダメル、メータといった指揮者が参加した来日公演とは別次元の演奏会だったという印象。ティーレマンでさえ、ウィーン・フィルとはこんな来日コンサートを聴かせてくれなかった。

ドヴォルザークの『謝肉祭』から、艶やかで饒舌で「オペラ的」なサウンドが溢れ出した。色も香りもあるオーケストラの響きで、ピッチを高めにチューニングしているのか(445ヘルツに設定していると何かで読んだことがある)ハイテンションで明度が高い。シャンデリアの輝きを連想した。ウィーンが欧州の東西の交易の都市であり、東ヨーロッパの「エキゾティックな」文化を栄養にして芸術の味わいを豊かにしてきた街であることを思い出す。ドヴォルザークの曲の中に多様なスパイスが仕込まれ、各パートがキャラクターのあるレスポンスをしながら、ウィーン・フィル特有の上質な表面を創り出しているのが感じられた。
ブラームス『ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲』では、コンサート・マスターのフォルクハルト・シュトイデとチェリストのペーテル・ソモダリがソロを務め、体格は違うが兄弟のようにも見える真面目そうなソリストが、自分のたちのオーケストラとのダイアローグを披露した。チャーミングで真剣で、無我夢中なドッペル・コンチェルトで、ウィーン・フィルを前にして「一生懸命」などという言葉は似合わないような気がするが、聴こえてくるのは実にストレートで熱い音楽だった。ソリストもオーケストラも、全員が歌っていた。ふだん歌手に歌わせているオケが、ここぞとばかりに自分の「肉声」を聴かせてくれているようだった。

あえて愚かな言葉で言うなら、舞台の上のシュトイデとソモダリは楽器を使ってラブレターを読んでいるようでもあった。楽曲の背景として、一度決裂したブラームスとヨアヒムとの和解をもたらしたエピソードが残っているが、形式ばったフレーズの中に、言葉を超えた愛とか恋といった情熱が見え隠れし、音楽が握手か抱擁の行為に近いものだと思われた。ポーカーフェイスやかっこつけなどとうに通り越した、音楽家の筋の通った生き方が聴こえたのだ。

ウィーン・フィルは重労働の日々の中で、最高のエレガンスを表現している…エレガンスだけでもウィーン・フィルではないのだ。
後半のウェルザー=メスト編曲のワーグナー『神々の黄昏』抜粋は、指揮者がこの「主人のいない」オーケストラをとことん掌握し、コントロールし、同時に大いなる自由を謳歌させている演奏だった。ラインの黄金からジークフリートまで膨大なライトモティーフが溢れかえり、それらのどのフレーズ、どの一瞬を切り取っても完全なキャラクターと物語が見えた。ウィーン・フィルは本当に最高の歌劇場オーケストラなのだ。時折、迸るように「飛び散る」管楽器の音色が聴こえ、勢いあまって鳴るそのサウンドが魅惑的だった。先日のシュターツカペレ・ドレスデンとティーレマンが聴かせた完璧無比なシューマンの金管とは別の音で、ウィーン・フィルにはウィーン・フィルの良さがある。
そういう「勢い余った」音を許しているウェルザー=メストに頭が下がった。マエストロによる編曲のワーグナーは、オーケストラ全員の創意を掻き立て、ワイルドさを鼓舞し、それでいて俯瞰では艶麗で典雅なウィーンの音に仕上げていた。ウェルザー=メストは任期半ばにして、総監督との意見の相違が原因で歌劇場の音楽監督を退任していたが、彼らとともに仕事をしていた4年間には、宝物のような瞬間が数多くあったのだろう。
ウェルザー=メストといえば真面目で謹厳なイメージを抱いていたのだが、毅然とした背中を見て「もしかして、すごく冗談好きで天才的なユーモア・センスを持っている人なのかもしれない」と思った。ブラームスからもワーグナーからも、アラベッラやチャールダーシュの女王や、メリーウィドウやオペラ舞踏会の「粋」が薫ってきた。以前、ソプラノ歌手の佐々木典子さんが「ウィーンの人って『ヤー、ヤー』」というのが口癖なのよね」と教えてくださったことを思い出す。それは「セ・ラ・ヴィ」みたいなものだろうか。どこか大人っぽくて、小粋なのだ。

アンコールはJ・シュトラウス二世の『レモンの花咲くころ』と『浮気心』。サントリーでは同じプログラムが最終日に演奏される。




























最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。