小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

サー・アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル(3/12)

2020-03-19 12:00:00 | クラシック音楽

サー・アンドラーシュ・シフのオペラシティでの3/12のリサイタル。ピアノリサイタルを聴くこと自体が、2/16のサントリーホールでのポゴレリッチ以来だった。あれから1カ月もたたないうちに、世界はずいぶん変わってしまったが、そんな中でも会場は3階席まで結構埋まっている。2階からは一階席のいくつかの空席が見えた。
シフが登場するまでの数分間、水を打ったような沈黙で、ポゴレリッチの「リサイタル前の沈黙にはその時々のクオリティがある」という言葉を思い出した。特別な拍手で迎えられたシフは、ジレとジャケットの正装。彼の「ザ・ピアニスト」なスタイルは久しぶりに見たような気がする。わずかに斜めに配置されたベーゼンドルファーが、ヒストリカル・ピアノのように厳かな音を放ち始めた。

前半はメンデルスゾーンの幻想曲 嬰ヘ短調op.28『スコットランド・ソナタ』とベートーヴェンのピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調op.78『テレーゼ』、ブラームス『8つのピアノ小品』op.76。衛生面からの配慮かプログラムは配布されず、そのこともあってか、その夜の聴衆のために用意された「白紙」のリサイタルのように感じられた。メンデルスゾーンのスコットランド・ソナタが精神の深い領域を癒し、乾いた砂のようだった心が潤っていくような感覚があった。ピアニストの魔法のようなアルペジオが大きな黒い箱から次々と飛び出す。、微塵のストレスもなく呼吸するように自然に鍵盤の上を走る指を、子供のように見つめていた。音楽は「命の水だ」と思った。ベートーヴェンの『テレーゼ』はメンデルスゾーンからのひとつらなりの曲にも聴こえ(嬰ヘ短調から嬰ヘ長調へ)、歌曲のようにシンプルなメロディが、万華鏡の如く光を反射していく。澄んだ水のようなペダルは若々しく、真珠や宝石を思わせる響きに陶然とした。2楽章は楽観に包まれた恐れを知らぬ愛情の表現で、こんな曲を書いたベートーヴェンを愛さずにいられるだろうかと思ってしまった。これは本当にロマンティックなソナタなのだ。

 ブラームスの『8つのピアノ小品』は深いメランコリーに包まれた楽想が、究極のリラックスを与えてくれた。音楽が与える「悲しみ」の感覚には、センティメンタルな意味合い以上のものがある。ショパンやチャイコフスキー、プッチーニのオペラの悲しい美は、陳腐なものとは対極の位置にある。人間を人間たらしめている洗練された感覚がロマン派の音楽にはあり、音楽の進歩史観はそれを乗り越えなければならなかったが、いつでも回帰していける普遍的な精神の宝物として存在している。シフの演奏からは、逆境を乗り越えた殉教者のような厳しさを感じることが多かったが、この夜のリサイタルは大部分が優しさから出来ていた。変イ長調のインテルメッツォは、海中に沈んだオルゴールのようで、こんなに無垢で綺麗な音楽はこの世にないように思えた。どんなに苛酷な人生も、こんな音楽が側にいれば生き延びられるのではないか。シフ自身が、孤独な時間の中で一人ブラームスと向き合っていた姿を想像した。前半だけでかなりのボリュームだったが(非常時でもあるので、ここで終わってしまうのかと一瞬思った)、後半も聖なる音楽が続いた。

 ブラームス『7つの幻想曲集』は『8つのピアノ小品』と地続きの世界だったが、激昂するカプリッチョの楽想は心に深く突き刺さり、ピアニストの放つ強靭な「言葉」を感じ取った。音楽の言葉は崇高だ。言葉と言葉の戦いは、簡単なことで品位を失いつたない暴力に転じるが、音楽の「内観」はそれを超越する。別の方法で高みに上り詰める。そういう言葉を自分も欲しいと思った。重々しいはずのブラームスは軽やかですらあり、7つの曲は色とりどりの花のように薫っていた。派手な赤や黄色ではない、青銅色のようなハイセンスな色彩だ。知性とは多分そんな色をしている。物理的な恐怖にさらされ、昔ながらの古い醜態を演じつつある世界に対して、芸術は十分に反省された「美」を提示することが出来る。

バッハの『イギリス組曲第6番』は、聖堂の中で聴いている心地だった。スカルラッティのソナタに頻繁に現れる小鳥の存在をここでも感じた。小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコの裸足の足と、ピエロ・デラ・フランチェスカのフレスコ画に描かれた繊細な草花を連想し、春の香りを嗅いだ心地になった。シフは深い瞑想の境地にいて、指は心のままに鍵盤を漂っていた。何かの不条理に対する答えとは、まったく別のところから降ってくる。現実に見えるものだけを素材にして解決をはかろうとしても、ますます複雑な混迷に足を突っ込んでしまいそうになる。青い空から飛んでくる「思いがけない答え」が芸術なのではないか。こうした自分の言葉遣いにはつねに避難が浴びせられるが、少なくともわずかな美の可能性があると信じている。

オペラシティの二階席から、ずっとオペラグラスでシフを見ていたが、最後はもうピアニストがすぐそばにいた。存在を近くに感じられた。芸術家として高潔な生き方を選び、政治的な苦境も受け入れてきたシフは本物の「騎士」で、この日このときのために信じられない数のアンコールを弾き、終演時間は9時47分を回っていた。そうした出来事のすべてが、聴衆との共同作業で、ピアノリサイタルの本質に触れた特別な時間だった。

 


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