5月3日、11月3日、この日になると28年間に亘って、常に弱者に寄り添い憲法遵守の精神を広めてきた故蜷川虎三京都府知事の
言葉を記した「憲法を暮らしの中に生かそう」の垂れ幕を思い出します。
1978年4月の京都府知事選挙で、引退した虎さんの民主府政を継承しようとした候補の方が破れ、この年から京都は、様変わりしま
した。
府知事選の1週間後には、それまで府庁の建物前に掲げられていた「憲法を暮らしの中に生かそう」垂れ幕は、引きずり降ろさ
れ、『憲法前文』が記された掲示板も撤去されました。
対立候補の前自民党参議院議員の勝利で、権力者を縛ることができる『憲法』が引きずり降ろされ、憲法の精神を記した『前
文』は、捨てられたのです。
日本国憲法前文
- 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
- これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
彼らにとって、権力の行使を難なくする為に権力を縛る『日本国憲法』が、よほど邪魔だったのでしょう。
己達の思うがままの政策を断行したい権力者達にとって、『国民主権・基本的人権の尊重・戦争放棄』の精神は、邪魔で困る物なの
だという事です。
(主に9条)改憲を望む為政者は、政治家の仕事である近隣諸国との融和への構築を放棄して、それどころか(米国サマのご機嫌を
取る為に)わざわざ近隣国と摩擦を生じさせる言動をし、アレコレ尤もらしく屁理屈を声高に述べています。
国民がこのまま彼らの詭弁に騙され続けると、その内ドイツ・ナチスが行った手口、憲法を無効にする法『緊急事態条
項』を盛られて、国民は、主権者として生きることすら儘ならないでしょうね。
そうならない為に「国民の敵」が何なのか見極めたいものです。
*中日春秋(今の政治を見事に表しています)↓