雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

有難いこと

2017年01月04日 | エッセイ
有難いこと

年末になって、パリ時代の旧友から思いがけない荷物が届いた。
 中には新潟県南魚沼産のコシヒカリとキャベツ、銀杏の実、信州のリンゴが数個。そして手書きの手紙が添えられていた。それは4月の熊本地震で被災した私たち家族へのお見舞いの品だった。20代に遠い異国で2年足らずの付き合い、その後はそれぞれの故郷の熊本と新潟に分かれて年賀状を交わすだけの関係。お礼の電話で30数年ぶりに聞いた友の声は若い頃と変わっていなかった。
 早速いただいたコメやキャベツ、銀杏とリンゴ。食べ物の味以上に遠くから私のことを思ってくれた友の心がありがたかった。
 年が明けて平成29年を迎えた。
 いつもと同じように、自宅で年越しをし、元日の朝から家人の実家を訪ねた。水前寺、加藤神社、藤崎宮で初詣。今年は結婚して名古屋市に住む娘夫婦が帰省し、5人での年越しとなった以外、変わらぬことが「有難い」お正月。
 地震後の被災のニュースの中で、熊本市内の瑞鷹酒造が被害を受け、熊本の郷土料理の味付けや正月の屠蘇に欠かせない独特な日本酒の赤酒のタンクが全滅したことを知った。その後の並々ならぬ努力で、赤酒を復活させ、今年も赤酒の屠蘇をいただくことができた。「有難い」
 平成28年4月14日午後9時25分頃。自宅から車で20分も離れていない益城町を震源とする震度7の地震が発生した。
私と家人は自宅で起きて話をしていた。同居の長男は勤務先の熊本の中心部の繁華街にいた。
幸い停電にはならず、日常生活をおくる家の壁が、天井が、家具が、テレビが、現実とは思えないように揺れている様を見た。
「次の大地震は熊本だったんだ」
それが私の最初の感想だった。
 家の外に飛び出し、まずは長男や義母の安否の確認をした。かかりにくかった携帯電話がようやく通じて、長男の無事を確認。自転車で帰る前に、遠回りをして母親の実家にいる祖母の安否を確認してくるという。
 こわごわと入った家の中は食器棚や本棚から食器や本が飛び出して散乱していた。
 テレビの特番を見ても、思ったほどの被害は無い様子。我が家も誰もケガも無く、食器が割れた位の被害で済んだようでホットした。早速、翌15日には保険屋さんから被害の写真を撮っておくようにと電話で助言があり、写真を撮った。
 数日内に同程度の余震も起きる可能性があるという。仕事が臨時休業となった長男と3人で、ほとんどが割れてしまった食器を片付け、無事だった食器は棚に戻して、食器棚の扉が開かぬように、針金でぐるぐる巻に固定した。いつでも逃げられるように、家の出入り口に靴や非常持ち出しのリュック、防寒具などを用意し、余震の起きる度に外に飛び出しながらの作業だった。
 電気もガス(我が家はプロパンガスで災害に強い)も水道も使えたので、避難することは頭に無く、自宅で夕食を食べテレビの報道を見ながら、前日からほぼ徹夜だったこともあり、知らぬ間に3人ともうたた寝をしていた。気がついた時は日付が変わって16日に。長男は2階の自室で寝ると言って階段を上がり、私と家人は1階と2階はどちらが安全に寝ることができるかを話し合っていた。誰もが専門家でさえ、14日の地震よりさらに強い揺れが起きるとは思っていなかった。余震は続いているものの、強さも回数もだんだんと減っていくだろうと漠然と信じていた。
 午前1時25分。今度はいきなり停電して真っ暗になった。真っ暗の中で全身が右に左に飛ばされる。食器の割れる音。
「昨日よりひどいよ」と家人が叫んだ。
 「サンダル履いてる?」と私は外へ逃げる家人に声を駆け、2階の長男の名を叫んだ。数秒で家族全員外に飛び出したが、今にも家が崩れるように地面は揺れ続けている。門を開けて道路に避難。家の前の比較的安全な場所に。それでも立っておられないほどの余震が続いて、電柱が怖い。近所の顔なじみの人も道に出てきて、みんなですぐ近くの中学校に避難することにした。あまり揺れがひどいために、頭上に何かあるところが怖いのだ。これがそれから続く避難所生活を困難なものにした。市民のほとんど全員が家の中が怖くて自宅にいることができなかったのだ。はるか想定外の人数が避難場所として指定されていた公的な施設や学校に押しかける。しかし、その指定の避難場所にさえも毛布や非常食、飲料など一切の準備がなされていなかった。つまり熊本市の対策が遅れていたのだ。
 私や私の家族はじめ、熊本県民の多くが後で考えたらなんの根拠もなく、熊本には地震は起きないと思っていたのだ。自治体も地元のマスコミでさえ地震対策は他人ごとでどこか本気では無かったと後に証言している。だからこのブログを読んでくださった皆様に、地震を経験して私が一番言いたいのは、あなたが住んでいる町も今日明日にも大地震が起きるかもしれないと思って、対策をとってほしいということです。

(2017.1.4)
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還暦と夢

2015年12月13日 | エッセイ
> 還暦と夢


 小さい男の子が仮面ライダーになりきっている。
彼の目の前にいる敵はどうやら私らしい。真剣な顔で攻撃を仕掛けてくる。
なり切っているから油断すると痛い目に合いそうだ。ちょっと意地悪をしたくなって、こちらも手加減しないで相手をすると、仮面ライダーは負けるはずがないと信じているからか、涙を出しながらますます激しく攻撃してくる。
 先月、六十歳の誕生日を迎えた。
 還暦。仮面ライダーにもなりきれる子どもの歳にかえるのだそうだ。
 小さい頃、父が家族のために買った赤いソノシートレコードの童謡集をよく聞いていた。
 その中に「村の渡し」という題名の歌があって今も耳に残っている。
少女が独特の高音の唄声で歌う曲の出だしの歌詞が「村の渡しの船頭さんは今年六十のおじいさん」というものだった。
 その歌のおかげで私は「六十歳はおじいさんなのだ」と小さい頃から刷り込まれて成長してきた。
 四十歳の後半に、おそらく自分の人生の後半に入ったのだと意識し、五十歳の時にもそれなりに感慨と抵抗があった。さらに六十歳の誕生日となると「還暦」という人生の大きな節目であり、まわりや自分自身の内側でいろいろとそれまでとは違ってくるのだろうか。高齢の域に入ったことに自分なりに納得したのか、五十歳の時のような歳をとることへの抵抗が今は無い。
 六十五歳の定年制の採用も増えてきたが、多くの事業所では六十歳で定年となる。
 実は私の勤めていた事業所の定年は六十五歳というありがたい規定があり、うかつにも私は安心していたのだが、事業所側の経営上の都合で退職せざるを得ないこととなった。
 事業所は私の実家でもあり現在の代表は兄弟でもある。実家の事業所が悪く思われることも、そもそも四半世紀以上その事業所のために働いてきたことを争うことで無にしたくなかった。言いたいことはあったが事業所のこれからを一番に考えて身を引いた。
 それで今は無職である。
 還暦をもう一度次の人生のスタートだと考え、身体の動くうちはやりたいことをやってみたいと考えている。「六十歳から十年から十五年、まだまだ身体も動き、一番いい時だよ」という話も聞き、楽しみでもある。
 六十歳の誕生日の翌日だったかとんでもない夢をみた。
 どうも夢の中の自分は中世以前のヨーロッパらしい国の領主だか城主だか、つまり何とも恐れ多いことに王様らしいのである。
 見える風景や状況は映画「ロード・オブ・ザ・リング」の世界に近く、私は物語の中のアラゴルンのような王様になりきっているのだ。
ところがその国は、凶悪な隣国に攻められ苦境に立たされている。
最も信頼をし、武功も名高い三人の家臣も国境の戦いで戦死の伝令が届き、私自身も領国も暗雲に包まれている。
 夢はそこから始まる。
暗い思いで城壁に立ち思案していると、そこに戦死したはずの三人の家臣が汚れ傷ついた姿を見せるのだ。
 知らせを聞いて集まった跪く大勢の戦士たちを前に、私は感激して声を限りに演説をする。敗れて戻って来た三人の家臣をたたえ、感謝し、三人が生きて戻ったことに希望と力を得て、雲間に光を見出すのだ。
 目が覚めた私は仮面ライダーになりきっていた子ども達を思い出した。
 自分がそんな子ども達のように、夢の中でもヒーローになることができたのも還暦になったからだろうか。愉快な気分で朝を迎えた。

(2015.12.13)
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目に見えるモノ

2015年10月19日 | エッセイ

見えるもの



 いつだったか、テレビのドキュメンタリーで高度な機能を持っている自閉症の若い人々が紹介されていて、その中に目で見たものを細部まで絵に描く特殊な才能を持った外国の少年が紹介されたていた。
 まるでカメラで写真を撮るように、見た風景の細部までを絵に描くことができるのだ。例えばある建物を見て、その後にその建物を紙に再現した時に、外観の色や特徴のみならず、そのビルにあるたくさんの窓の配置や数まで再現しているという。
 番組では、その少年をヘリコプターに乗せて、ロンドン上空を旋回し、後に少年がロンドン市街の鳥瞰図のような空から見た風景を制作する様子や少年の絵の展覧会や少年を賞賛する人々の様子を伝えていた。
 一方、私の目というと、高校生になってから進行した近視が小数点0.1を切って、0.0いくつの度数となってしまい、矯正のメガネが眠るとき以外片時も欠かせぬことになっているし、強度の近視とほぼ同時にモノがダブって見える乱視まで加わってしまった。その上に、年を重ねて50歳を越す前後から早くも手元のモノが見えにくい老眼も予想よりずいぶん早く症状が現れてしまった。
 そんな状態だから45年近く、はっきりモノが見えたことがない。
 しかし今回のお話は、視界にはいるモノがはっきり見えるかぼやけるか、あるいは少しタブって二重に見えるかということではない。
 モノは見えているのだ。
 ところが、自身でも不思議なのだが間違いなく視界のうちに見えているはずのモノを私はどうも無視する傾向があるようだ。
 実はこのことは「モノを見る」という行為の中で、誰しもが無意識のうちに行っていることであって、先にお話した自閉症の少年のように一瞬見た建物の窓の数まで頭の中、そして紙にまで再現できることの方が特殊な機能なのだ。つまり人は視界に入ったモノの中から瞬時に必要な情報を選び抜いて見ている。
 生まれたての赤ちゃんは非力な視力の中でそのとき必要な母親の乳首を見るというし、その後も目と鼻と口のついたモノ、つまり人の顔によく反応するそうだ。
 大きなガラス窓のあるベージュのタイル張りの外壁の建物ということがわかれば、一面に何枚の窓があるかという情報は、普通、優先順位の低い情報だ。目から脳に伝達される途中にフィルターのようなものがあって、不必要な窓の数の情報はカットされて脳に到達しないのだ。
 問題は私のフィルターが過剰に反応しているのか、それとも私の必要、不必要との判断の機能がそのものがおかしいのか、私の場合は当然見えなければいけないモノを見落として、しばしば家人のお怒りを買ってしまうことだ。
 例えば、ゴミ出しの朝。
 顔を洗って新聞を取りに門柱まで行くついでに私がゴミ収集所まで持っていけるように、ゴミの袋を玄関や玄関から門柱までの踏み石のそばに家人が準備をしているのだが、私は時々それに気がつかない。
 我が家ではたたんだ洗濯物を自分のタンスの引き出しにしまうのは、各人の仕事だが、ふだんは家人が2階の部屋まで洗濯物を持って来てくれているが、時々1階でたたんだ洗濯物を2階に登る階段の途中に置いていることがある。幅の広い階段ではないので、登るためには置いてある洗濯物が邪魔をするので、見えているはずが、しばしば洗濯物を飛び越えてしまうのだ。
 故意ではなく、無意識にやってしまうので恐ろしい。
 家人に注意を受けた後で、改めて現場を見てなぜこれに気がつかなかったのだろうと我ながら不思議で仕方がない。300度位の馬並みの視界があると思われる家人が「気がつかなかった」という理由でそのことを許してくれるはずがない。
 大好きなジャニス・イアンという歌手の歌に「ラブ イズ ブラインド」という曲があり、未だに時々CDを聞いている。直訳すれば「恋は盲目」というということだと思うが、今回の視界がどうのこうのという話ではない。
その曲を聞いた夜に夢を見た。
夢の中で、また見えるはずのモノを私が見落とし家人ともめるのだが、夢の中の私は私がゴミ袋や洗濯物を見落とす原因が突如わかるのだ。
「恋は盲目。家に帰った僕は奥さんの姿しか見えなくなるんだ」。
そのことを家人に言う前に目が覚めた。
「これはよいことを思いついたぞ」と小躍りするような気分の高揚はあったものの、現実にはまだこの「言い訳」を使ったことがない。
言えば言ったで何だか怖いような・・・・。
(2015.10.19)
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翻訳本

2015年05月01日 | エッセイ
翻訳本


 前回に続いて本と読書の話題。
 「図書館に通う」と題した前回のブログの最後に、図書館から貸し出しを受けた本の1ページに子どもが書いたグルグル書きのマジックの落書きがあり、それを見て心があたたかくなったことを書いた。その後日談。
 落書きのある本を借りていた他の数冊と一緒に返却カウンターに渡した後、図書館内でその日に新たに借りたい本を探していると、先程返却カウンターにいた担当の女性が私を追いかけてきた。返したばかりの本を手にしている。
 「これは‥‥」とページを開いて見せられたのは、その落書きのあった本。私の行為ではないことを確認した後での注意は「今度から破損や汚れを見つけたら返却のときに教えてください」とのことでした。知らなかった。
 ところで前回の貸し出しにはめずらしく翻訳本が一冊あった。村上春樹訳の米国の作家、レイモンド・チャンドラーの小説だ。
 海外の作家の文学作品を読みたい場合、残念ながら私は翻訳に頼るしかない。一番勉強してきたはずの英語の作品でさえ原書では読めない。画集以外で原書を買ったのは、英国の作家J.K.ローリングの世界的ベストセラー、ハリー・ポッター。同シリーズにすっかりはまって、もちろん翻訳本を読んでいたのだが新作の「炎のゴブレット」の翻訳本の発売が待てずに無謀にも原書を買ってしまった。辞書を手に挑戦したが半分も読まないうちに日本語の翻訳本が発売になってしまい、唯一の原書読破は挫折に終わった。我ながら情けない英語力だ。
 私の本好きは高校時代に日本の純文学から始まった。海外の作品は手つかずに年が過ぎ、世界的に有名な作家や作品もはずかしながら読んだことがない。
 翻訳本を読むようになったのには、自分の目と足で外国を歩いた経験から海外の作品の舞台の情景や雰囲気が想像出来るようになったことが大きい。
 二十歳の頃にヨーロッパを3ヶ月一人で旅行した。その時、日本語の活字に飢えてしまい、出会った日本人旅行者などと本や週刊誌を交換してそれらを隅から隅まで読んだことを機会に、日本の純文学のみだった私の読書の枠が強制的に広がった。日本語であれば大衆小説、時代小説、あやしい小説、そして海外の作家の翻訳本まで貪り、気がつくと本の垣根が無くなってしまった。
 ただ未だに海外を舞台にした翻訳本などを読むことには難点がある。
 それは登場人物の名前が覚えられないことだ。
 英語圏の作品であれば、意味のわかる名前(ブラウンさんは「茶色」で、カーペンターさんは「大工さん」のことなど)もあり聞き慣れた名前も多い。でもほとんどの名前は私にとって意味のないカタカナの羅列でしかない。
 その上に、ファーストネームとファミリーネームの問題がある。日本人作家の作品であればそこら辺は統一されていて、姓名で登場した人は最後迄姓名で書かれ、小説の途中で下の名前やあだ名で表現されることはない。ところが翻訳本を読んでいると最初にフルネームで登場し、その後ずっとジャクソンで表記されていた人物が突然マイケルと表記されていたりして、私の混乱を招く。
 また名前に馴染みが無いものだから、似た様な名前の人物がごっちゃになってしまう問題もある。さすがに辻褄が合わなくなって「???」と、もう一度読み返して二人の登場人物を混同していたことに気がつく。気がついた時点ではもうすっかり混同された人物の言動によるメージが私の頭の中で固定されていて取り返しがつかないことにもなる。特に推理小説では致命的である。
 また中国を舞台にした作品も同じ漢字表記ながら登場人物の名前をなかなか覚えらない。そう言えば中国の有名な三国志も人名で挫折してしまった。
 うーん。これには馴染みの無いカタカナの羅列という問題だけでなく、どうやら近年急速な衰えをみせる私の脳の記憶問題もありそうだ。
 しかしふと考えてみたら翻訳本の扉近くには必ずと言ってよい程、登場人物を説明した一覧のページがあるではないかい。私と同じように、読みながら登場人物の名前が混乱してしまう悩みを持つ人は少なくないのかもしれない。
(2015.4.30)
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図書館に行く

2015年04月22日 | エッセイ
 図書館に行く


 最近再び図書館に通うようになった。
 以前、図書館に足繁く通ったのは私の二人の子ども達がまだ幼い頃で、家族皆ででかけて絵本をたくさん借りていた。通うのは、その時以来である。
 私の自宅は恵まれていて、熊本県立と熊本市立の大きな二つの図書館がどちらも歩いて行ける距離にある。私が今利用している市の図書館では一人1回に10冊迄。貸し出し期間は2週間。読み切れない時は次の誰かの貸し出し希望がない場合2週間の延長も可能だ。熊本市民であり貸し出しカードを作れば誰でも無料で利用出来る。
 3月の中旬から通い始めて5週間。貸し出し限度の2週間おきに3回貸し出しを受けている。2、3冊の小説と軽いエッセイや料理関係、園芸、交通などの趣味に関する手引きや案内書を数冊。合わせて6、7冊の貸し出しを毎回受けている。
 図書館のいいところは無料だということだ。
 自身で購入する本は金銭的な理由で、どうしても自分の中で評価の定まっている作家や発行後の早い時期に読みたい本に限られる。近年は新刊の単行本を買う作家は決まっていて、購入する本のほとんどが文庫本や新書である。
 その点図書館の本は、どんな豪華な単行本であろうと本の価格を気にすること無く読むことが出来る。初めて読む作家であっても気に喰わなければ最後まで読まずに返却すれば済む。つまり気軽に冒険的読書が可能となるので自然読書の幅が広がるのだ。
 それからいくら読んでも本棚の本の数が増えない点がある。私は一度購入した本を手離すことはないので若い頃からの蔵書がたまりにたまって、近年家人から本をこれ以上増やさないように言われているのだ。
 かつては「本は購入しないと何度も読みたくなったら」と、思っていたが、一部の特別な本を除いて読み返したとしても再読や再々読をするぐらいなので、どうしても手元にある必要は無いのだ。「また読みたくなればその都度借りてくればよい」という方針に変更している。
 つまり図書館を自分の本棚だと思っちゃえばいいのである。
 もう一つは、調べものがある時にも図書館は便利だ。
 例えば、私はウサギとミツバチが登場する物語の構想を練っていたとして、図書館へ行けばその生態や飼い方に至るまでの詳しい手引書が数種類そろっていて、その場で手に取り、内容を確認し、館内で読むことも可能だし、貸し出しをすることも出来るのだ。
 さらに図書館には雑誌も充実している。
 本屋で立ち読みするしかなかった、買うまでもないちょっと興味のある趣味の雑誌なども館内のテーブル付きの椅子でゆっくり読むことができる。
 図書館の難点は新刊本や人気の作家などの場合、貸し出しの希望者が多く読みたい時にすぐ読めないこと。
 私の前にその本を読んだ人の形跡を見つけることがある。飲食しながら本を読んだのか、煎餅のくずやコーヒーなどのシミを紙面やページの間に見つけた時。ひどい場合は傍線やメモ書きがそのまま残っていることがある。これが難点の第2。あきらかなマナー違反、ルール違反で、気分が悪い。
 先日借りた小説の単行本の1ページの半分にオレンジの太いマジックで書いたグルグルの落書きがあった。その本の内容から幼い子どもを子育て中の若い母親が家事の合間に図書館から借りて読んでいたのだろう。側で子どもはペンを手に広告紙の裏に一心に文字でも絵でもないぐるぐる書きをしている。何かの用事でその場を離れた母親が、戻ってみると開いていた本に子どもがペンを走らせている。母親はあわてて本を取り上げるがその1ページにはオレンジのマジックでぐるぐる書きが‥‥。ページをめくった時はぎょっとしたが。そんな無邪気な子どもとあせる母親の状況を想像し、心がほっこりとなった。
(2015.4.22)
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