雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

無関心

2015年03月30日 | ポエム

  無関心(銭湯にて)

 私が熊本の高校を卒業して上京したのは、その年の春に美術大学の入試に失敗し、都内にある美術系予備校に通うためだった。
 上京と言っても実際に住むことになったのは千葉県で、大学四年の姉の卒業までの一年間は東京から江戸川を渡った国鉄市川駅の南口から歩いて十分ほどの二間の古い木造アパートに姉と二人で住むことになった。
 一緒に上京した同級生のアパートは皆、風呂無しで共同トイレだったが、私と姉の部屋にはトイレが付いていて、それだけでもぜいたくなことだった。お風呂は歩いて数分の所にあった銭湯に通った。まだ内風呂の付いた賃貸アパートは稀で、友人知人のほとんどが銭湯を利用していた。
 昭和四十九(一九七四)年。
 前年に発売されたフォークグループ、かぐや姫の「神田川」が流行していた頃で、洗面器をカタカタ言わせながらサンダル履きで銭湯へ行く生活は三畳一間でこそなかったがその歌詞の世界と重なった。
 銭湯に行くときは洗面器に石けんの他にシャンプーとひげ剃りを入れ、紙袋に着替えとタオル、週に何度かは脱衣場にある数台のコインランドリーで洗濯をするために、洗濯物の汚れ物も持って行った。入浴中に洗濯を済ませるのだ。番台の前で髪を洗うか洗わないか申告をして入浴料を払う。洗髪するかしないで入浴料がわずかに違っていた。
 銭湯はいつ行ってもある程度混雑していた。多い時間帯は三、四十人分はある洗い場があくのを待つ程だった。
 上京して数ヶ月。初めて家を出て、都会の暮らしにもすっかり馴染んでいた。
 その日はめずらしく夕食前の早い時間に銭湯に行った。高い天井の高い位置にあるガラス窓から幾分黄色がかった陽が差し込んでいた。いつもと違って小さな子ども連れもいて、お湯の流す音やプラスチックの桶と浴場のタイルが当たる音が響く中に子どもの甲高い声が混じっていた。
 私は身体が温まると空いている洗い場に向かい、小さなプラスチックの椅子を洗って座った。
 水垢の付いたガラスに映る自分の顔を見た後、タオルに石けんをこすりつけ身体を洗い始めた。胸、腹、背中、腕、そして足。
 身体を洗い終えて石けんの泡を流し、ふと左の腕を見ると十センチ程の切り傷があることに気がついた。
 「あれっ。いつの間に切ったのだろう」
 ケガをした記憶も痛みも無かった。
 するとすぐに、同じ左手の甲にも細いけれどはっきりとした五、六センチの切り傷があるのに気がついた。さらに左腕を裏返してみるとそこには腕の上下にそって二十センチもの長さの大きなやや深い傷があった。これほどの傷なのに、やはりケガの記憶や痛みが無かった。
 疑問に思ってあわてて右腕を見ると、そちらにもいくつかの大小の新しい傷や古い傷がある。
「えッ」と思い、よくよく全身を確かめるとあちらこちらに切り傷があった。
 これだけの数の傷があるのかも不思議だが、なぜ痛みが無く、今までケガをしていることにさえ気がつかなかったのだろう。
 左腕の裏にある一番大きな傷跡を改めて見ると、これだけの傷であれば、かなりの出血が避けられないはずだ。それより何よりケガをした時やその後の痛みが無いことが理解に苦しむのだ。
 私がそうやって手を止めて鏡の前で呆然としていることに気がついたのか、となりで身体を洗っていた陽に焼けた痩せた三十代の男が、そんな私をじっと見ていた。
 「兄さん。知らない内にケガしていたんだね」
 私は突然声をかけられたことに驚きながらも「はい」と、素直に答えていた。
 「そう。でも兄さんは早く気がついて良かったよ」
 男はそう言いながら両手を私の目の前に拡げて見せた。その左右の掌の指はそれぞれ薬指が根元から無くて四本だった。
 「ほらっ。あっしなんか気がついたら指が二本も無くなっていたんですぜ」
 「で、どうしたら傷はできなくなるんですか」
 私はすがるように思わず男にたずねた。
 男はザブンと風呂桶のお湯を頭から被った後で言った。
 「兄さんは傷のうちに気がついたんだから、これからは無くさないように自分の身体にいつも関心を持っときな」
(2016/3/24)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春雷

2015年03月22日 | ポエム

 春雷


あたたかい雨の降る春の夜に
突然、雷鳴がとどろき
真っ暗な闇を切り裂く

今の僕を励ましているのか
それとも叱っているのか
雷は僕の胸に落ちて
確かに僕はエネルギーを充電する

(2016.3.20)

/font>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歩む

2015年02月12日 | ポエム

 歩む


君はなんでも
速い方がいいと思っているね
僕もそうだったよ
君のように小さい頃
阿蘇谷を新幹線が走ることを
夢みていたもの
でも
速い方がいいわけじゃない
君の名前のように
歩かないと
わからないことがある
気がつかないことがある
便利になることが
進化じゃないんだね
(1996.4.2~2015.2.12)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の日

2015年01月02日 | ポエム

  冬の日


わたしの顔さえ
わからぬ母が
黙って子の手を握り返す
痛い程に力強く
言葉のようにあたたかく…

(2015.1.2)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おおきに、大阪旅行記-2

2014年09月16日 | ポエム

おおきに、大阪旅行記-2


 8月の最後の週末の3日間、仕事で大阪に行った。初日の金曜日は、夕方5時から仕事すれば良かったが、事業所が朝から臨時休業だったので熊本駅から朝一番の新幹線で10時前には大阪入りし、それから7時間は一人で旅行気分を楽しんだ。
 道頓堀できつねうどんを食べ、あべのハルカス美術館でディフィ展を見た後に、日頃の運動不足が祟って早くも足がつるのも我慢して、すぐ側の天王寺公園内にある大阪市立美術館に行った。ディフィ展はぜひ観たいと思って楽しみにしていたが、大阪市立美術館の「こども展」の方は、ネットで調べたら場所があべのハルカスから近かったので、ついでに観ることにしたもので、なんの期待もしていなかった。
 ところが入場して絵を観覧していて、突然思いがけない絵に出会って「あらまっ」と驚いた。
 出発の前夜、熊本市内の自宅で、食後に家人とバラエティー番組を観た。絵が好きな私が面白がるだろうと家人が録画してくれた西洋絵画の歴史をテーマにしたものだ。その番組の中でルソーという画家の『人形を持つ子ども』という絵が紹介され、その絵の中の子どもの足が草に隠れて切れているのはなぜか」というクイズがあった。そこまで観て、翌日の大阪出張のために録画を停止し、荷造りを始めた。「ルソーは確かある歳まで税務署で働いていたんだよ。足が描いてない理由は聞いたことがあるけどなんだったかなあ」と話しながらキャリーバッグに必要な荷物を入れた。



 そのクイズに出題された「人形を持つ子ども」の絵が目の前にある。まさか前夜に番組を見た時は翌日その本物の絵に出会うとは思ってもみなかった。そして絵の前でクイズの答を思い出した。ルソーはちゃんとした絵の勉強をしていない素人画家で、足を描くことが苦手だったんだ。美術館を出てすぐに、家人にルソーの絵があったことと、クイズの答えをメールした。
 不思議な因縁を記念してルソーの「人形を持つ子ども」の絵ハガキを買った。
 大阪市立美術館を出ると、天王寺動物園の緑の木々越しに通天閣が見えた。大阪市立美術館は小高い丘にあり、茶臼山という案内がある。と、いうことはあの大阪冬の陣の際に徳川家康の本陣となり、真田幸村の攻撃にあわや家康が死を覚悟したというあの「茶臼山」なのかな。多分。
 それからそのまま通天閣を目指して山を下り、「新世界」を歩いた。道頓堀付近と同様に、ここもコテコテの大阪文化でテーマパーク状態だった。若い頃読んでいたコミック誌「ビッグコミック・オリジナル」に長期連載されていた野球マンガ「あぶさん」に、よく登場していた通天閣だ。その念願の通天閣の真下をくぐり、地下鉄に乗って、ホテルに戻り、チェックインを済ませて、仕事モードに。大阪国際会議場の展示会場に行った。
 宿泊したホテルと大阪国際会議場は連絡通路でつながっていたが、一瞬外に出ると、夕立とは思えないもの凄いどしゃ降りの雨。ゲリラ豪雨と言うやつかな。5時から設営開始。全国から集まった仲間と1年ぶりに出会い、ワイワイと楽しく、展示設営を進める。設営が終わったらいったんホテルの部屋に戻り、ジーンズとTシャツの作業仕様の服を着替えて7時から9時までのセミナーに参加した。予想に反して会場から溢れる程盛況だった。
 しっかり勉強して、4人と待ち合わせ。再び道頓堀の繁華街に行き、今度はさらににぎやかになった喧噪と灯りの中、私以外は初大阪の人で、写真を撮りながら皆ではしゃいだ。日頃は夜10時を過ぎたらまず食べ物を口にしないが、今夜は特別。しかも野菜中心の献立なのに、夜10時過ぎの焼き肉。お店の兄さんのオススメや食べ方を習いながら美味しくてもりもりと食べてしまった。
 翌日の夜も通天閣の足下の新世界で串あげを中心に別の5人で会食。そのときも気さくで親切で楽しい店員さんがいて、美味しく楽しい時間が過ごせた。今回で私の一方的な大阪嫌いはすっかり失せた。「おおきに」。
(2014.9.16)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする