雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

おおきに、大阪旅行記-1

2014年09月06日 | ポエム

▲天王寺公園にあったシマウマのオブジェ

 おおきに、大阪旅行記-1


 何がきっかけだったのか、私は大阪の言葉、文化、土地柄にずっと苦手意識があった。さらに追い打ちをかけたのが、パリ時代に働いていた日本料理店で、大阪の南部の方から来た団体客の一行の接客をしていて、若くてきれいな女性に「おい、にいちゃん。ちゃーくれへん」と言われたこと。今の私なら何ともないが、当時のうら若き青年は姿と言葉のギャップに大層ショックを受けてしまった。
 8月の最後の週末は、2泊3日の出張でその大阪に行った。
 苦手と言いながら大阪にはちょっと寄ったのも含めると、10回ほど訪ねたことがある。最近は、出張がらみでバタバタとしたホテルと学会会場と飛行場や駅の往復がほとんどで、大阪弁が聞こえてくることもなしに滞在を終えている。
 そこで今回は、新幹線「さくら号」で朝10時前に新大阪に着いたら、ホテルに荷物を預け、フロントで地図をもらって、地理感覚のまったく無い大阪の町中を出来るだけ徒歩で歩き回ることにした。
 最初に向かったのは大阪の繁華街「なんば」。
 中之島にあるホテルから有名な御堂筋に出て南下。熊本は朝から雨模様でおりたたみ傘を忘れたことを心配しが、大阪はよい天気で、日差しが強くて日陰を選んで歩いた。
 御堂筋はきれいで洗練された大通りで大阪らしさをまったく感じなかった。
 そこで一本東側にアーケード街らしきものも見つけ、そちらを歩く。そここそ、テレビでよく観る「大阪のおばちゃん」が歩いていそうな大阪らしさを感じる通りだった。心斎橋筋商店街に入ると人通りも増え、外国人の姿も多く、大阪のパワーを感じた。
 最初の目的地らしい目的地は、道頓堀のグリコの看板。数日前に有名な手を上げて走る陸上選手のグリコの看板が改修工事のために、綾瀬はるかの看板に変わっていることをニュースで見ていた。早速、写真を撮って家人に携帯メールに添付して送る。
 道頓堀はすごいにぎわいで、かに道楽やくいだおれの人形を記念撮影する観光客に混じって私も写真を撮る。それにしてもこの街中に溢れるパワーのスゴさ。日本の何処にも無い「このこてこて」の文化は独自の別世界で、まるでこれはテーマパークだと思った。
 昼食にはキツネうどんを選択。道頓堀の「今井」という店でランチのセットをお願いした。1,782円で普通サイズのうどんと、少量ずつの野菜の天ぷらとマグロの刺身、肉じゃが、俵型のごはんがついて、デザートかビールを選択できた。一口のよく冷えたビールが1時間歩いた喉にしみた。きつねうどんは、甘く焚いた油揚げからしみ出たのか想像していたより甘い出汁だったが、香りがよく、次の日にはまた食べたくなる程美味しく感じた。
 次の目的は、あべのハルカス美術館で開催中のディフィ展。おしゃれな作風で大好きなフランスの素朴派の作家。自分が何処にいるのかも忘れる程、しばし作品と対峙した。入場者も多くなく、ゆっくりと観ることが出来たのも良かった。自分と娘と妹と中学の恩師にディフィの作品の絵はがきを買った。あべのハルカスの人気の展望台は高所が苦手なのでパス。
 さらに美術展のはしごを計画していた。近くの大阪市立美術館で開かれている「こども展」だ。一帯は緑多い公園となっており、大阪らしいと思ったのは、美術館と天王寺動物園のゲートと券売り場がいっしょだったこと。展覧会自体はあまり期待していなかったが、会場で少し感激した。出発の前夜、熊本市内の自宅で、家人が録画した情報番組の「ルソーの『人形を持つ子ども』という絵の子どもの足が草に隠れて切れているのはなぜか」というクイズの場面で、答えを聞かずストップ。「ルソーはある歳まで税務署で働いていたんだよ。足が描いてない理由は聞いたことがあるけどなんだったかなあ」と話しながら荷造りをした。なんとその本物の絵が目の前にあったのだ。続く~
(2014.9.6)
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2014年の8月に思うこと

2014年08月12日 | ポエム

 2014年8月に思うこと


 彼は熊本の天草五橋の見える展望台に立ち、「今まで生きて来た中で最もきれいな風景。こんな場所で家族や友人とのんびり暮らしてみたい」と言った。
 今から12年前の夏に、中東パレスチナのカザ地区にある小児病院から熊本県に研修に来ていた小児科医。私は上天草市にある私の仕事先で行われた研修カリキュラムの一環の合間のわずかな時間に、天草五橋の見える景色の良い場所に連れて行った。松を中心とした緑と青い海と空の広がる、地元の私には見慣れた何でもない当たり前のような風景。確かに美しいが、「今まで生きて来た中で最もきれいな風景」と言う彼の大げさとも思える表現に正直戸惑った。
 話しを聞くと、パレスチナの国土には草木が少なく赤茶けた土がむき出しになっているそうだ。自分の故郷をきれいだと褒められ、住んでみたいと思われて悪い気はしない。「1週間でもいいから家族や友達と過ごしてみたい」そう口にする彼の言葉は、お世辞ではなく真摯な感想だった。
 その時は直接紛争のことを話題にすることは無かったが、彼の故国がどのような状況にあるのかは知っていた。彼の目を通して見た天草の風景は、確かに見た目にも美しいがその背景には間違いなく「平和」の存在があると思う。むしろそのことが彼に「今まで生きて来た中で最もきれいな風景」と評価され、「こんな場所で家族や友人とのんびり暮らしてみたい」と言わせたのだと思う。
 彼と出会って以来、私はパレスチナとイスラエルの紛争のニュースを見聞きする度に、彼の言葉と一緒に見た天草の風景が頭に浮かぶ。彼の家族や友人や小さな患者さんは傷ついていないだろうか?そもそも彼自身が元気で診療を続けているのだろうか?また、このところパレスチナの紛争が激化している。それぞれの側のそれぞれに理由づけされた応酬が続き、国際的な停戦の呼び掛けも今のところ項を奏していない。彼と出会ってからの12年間だけでも、パレスチナに平和な日々がひと月と続いた時があったのだろうか?何の罪も無く自らを守る術も無い弱い立場の子どもやお年寄りがまた犠牲になっている。
 そして日本も、平和憲法と言われる憲法9条を変更する方向で進んでいるようだし、その前に「よくわからない」集団的自衛権を認めることに首相や政府はやっきになっている。多くの国民は、憲法は改正すべきか、集団的自衛権は必要なのか、判断がつかない。私もそうだ。だが何となく「キナ臭い」ことに進みそうな不安を感じているのではないだろうか?それがこのところの内閣支持率の低下に現れている。
 確かに、日本の隣国の国々は一筋縄ではいかない国ばかりだ。今や煙が燻り続けている世界の火薬庫と言われる危険ゾーンの一つだ。経済大国になった中国は、軍事大国と化し領海の拡大を図っている。一方でかつては良くも悪くも世界の警察と言われた米国の力は衰え、世界への影響力は大きく後退している。
 平和憲法の改正や集団的自衛権の解釈拡大の方向に進んで行かないと、尖閣諸島はもちろん沖縄まで取り上げられかねないというのは本当なのだろうか?そう言われると、今の政府が何だか強そうで頼りがいがありそうだ。
 逆に戦争を放棄する平和憲法の改正と集団的自衛権にも反対する意見は絵に描いた餅で非現実的な理想に過ぎないと思えてくるし、何だか弱そうだ。
 私は憲法改正や集団的自衛権の解釈拡大に反対だが、国を取り巻く様々な現実は知らないし、逆の立場の人を論破することは到底できない。もっといろんな意見を聞きたいと思う。その中には我が国の不利になる様な意見や情報があってもいいと思う。私が今とても気になっているのは、ネットや何かで叫んでいる人がいるのか、○○新聞は売国奴みたいな論調があって、私のまわりでも「未だに○○新聞をとっている人がいるのは信じられない」とか言っている人がいることだ。私はそのことを聞いて寒気がした。いろんな意見が真に自由に発言されてこその民主主義だ。いろんな原因はあるだろうが、言いたいことが言えない世の中になって、軍の暴走を見過ごしたのが第二次世界大戦の日本ではないだろうか。そう考えて、今の私の思いをブログに書いてみた。
(2014.8.12)
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UITEMATE

2014年07月31日 | ポエム

 UITEMATE 


 私は泳ぐことが、出来ることはできる。
 もし川や湖や海で乗っている船が転覆したとしても、すぐに溺れてしまうことはないだろうと自分では思っている。
 得意な泳法は一つしか無く、それは平泳ぎである。ただし、それが水泳という競技的に正しい平泳ぎであるかは自信がない。誰にも習ったことがない自己流の泳ぎだ。
 小学校の2年生か3年生の夏休みに、近所の海岸の校区指定の場所で浮き輪を使わずに初めて泳ぐことができた。その泳法が見様見まねの平泳ぎ。上学年のお兄さん達が堤防から飛び込みバシャバシャ泳ぐのを見て、「なるほど人間は浮くものなのだな」と思った。
 60歳前の今も頭の中が単純で、さらに疑うことも知らない子ども時代の私だから最初から何の不安も恐れも無く、海底から足を浮かせたら水に浮き、お兄さん達のように手を動かしたら前に進んだのだ。真水のプールではなく、浮力の大きい海だからできたことかもしれない。
私が生まれ育った島の学校には、当時プールというものが無く、従って水泳の授業が無かった。私もそうだったが、小学校の3、4年生になっても「カナヅチ」という児童が半数以上いたように記憶している。
 時代は変わって私の二人の子ども達は、小さい頃から近所にあったYMCAの水泳教室に通っていた。「何のスポーツをするにも水泳は基礎的な身体作りができるよ」と勧めてくれた人がいたからだ。長男も長女も競泳選手になるような才能も実力も無かったようだが、学校の水泳大会を見学に行った際に、二人の泳ぎがクロールの美しいフォームであることに気がついた。子ども達は他の泳法もきちんと習っているらしく、特にバタフライで泳ぐことができるのには感心する。私の方は前述のように、顔を水面から出したままの自己流平泳ぎが専門で、あとできるのは立ち泳ぎくらいだ。バタフライなどは、何度やってもふたかきめ位でぶくぶくと沈んでしまう。
 そもそも私はプールが苦手である。小学校の頃の夏休みに熊本市内の従弟の家に泊まりがけで遊びに行き、かまぼこ板に名前を書いた名札を提出して従弟の通っていた小学校の25メートルプールで泳いだ時が本格的なプール初体験。実はプールが嫌いな理由は、プールに入る前に身体を消毒する塩素の匂いが嫌なのだ。台所仕事で塩素系漂白剤を使用したりすると、プールで溺れたとか苦しい目にあったとかは無いのだけど、小中学校でのプールの授業を思い出し今でも嫌な心持ちになる。
 それともう一つ。潜水が苦手である。海で泳ぎを覚えたためか、まず初めから顔をつけて泳ぐということをしたことがない。次に水の中で目を開けることができない。さらに身体についた脂肪がジャマをするのか、要領が悪いのか、どうあがいても沈むことが困難である。その上、水に潜った時の途端に周囲の喧噪が遠くなり「ブクブク」という泡の音が聞こえる水の中の聴覚の変化がとても怖い。だからもともと性が違うけど私は海女には絶対になれそうにない。
 今、「浮いて待て(UITEMATE)」が国際的な水難防止の合い言葉になりつつあるそうだ。海や川で流された時に、むやみに泳いだり騒いだりしないで、顔だけを水面から出して大の字になり、じっと救助を待った方が助かる可能性が高いという話だ。テレビの情報番組では、友人と遠泳中に遭難した人が「浮いて待て」を思い出し、何もせず浮いて潮の流れに流されたまま18時間後にたどり着いた、遠く離れた海岸で発見救助された例が紹介されていた。
 「沈んで」と言われても絶対無理だけど「浮いて待て」なら私も自信がある。でも救助が来るとわかっていたらいいけど、ただ波の上に顔だけ出して、いつ来るかわからぬ救助を待つのも精神的につらいだろうなあ。暗くなったらますます不安だろうなあ。助かった方を尊敬します。そんな時に限って、絶対に映画のジョーズの一場面を思い出してパニックになるのだよね、私などは。
(2014.7.31)

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サッカーW杯2014

2014年07月04日 | ポエム

サッカーW杯2014


 サッカーW杯ブラジル大会のザックジャパンは、何が起こるかわからないサッカーの悪い方の結果が出て、1分け2敗と1勝も出来ずに1次リーグ敗退に終わった。とても残念だ。がっかりした。そんな思いを半分引きずりながらも決勝トーナメントの熱戦をおおいに楽しんでいる。
 日本代表の1戦目のコートジボワール戦の負けは仕方ないにしても、2戦目のギリシャ戦は試合開始早々の退場で一人少ない相手に、充分過ぎる位の勝機があったはずだ。3戦目のコロンビア戦が始まって、ギリシャが先制したことが伝わると、ますますチャンスのあったギリシャ戦に勝てなかったことが悔しい。
 それにしても日本代表の1次リーグ敗退が決まった後のマスコミの敗因の追求報道。まあそれはある程度は仕方ないかもしれないが、日曜日に放送されたある番組では出演者に「ザックジャパンを許せるか?許せないか?」と問うていた。それを見ていた私と家人は「はあ?」と、疑問に思った。日本代表が怠けていた、やる気が無かったと言うのならわかるが、誰より選手自身が勝って決勝トーナメントに進みたかったのは間違いない。なのに「許せる、許せない」という問いかけはおかしいのではないか。
 大会前にこのブログでも、私の予想やサッカーに関する話しを書き、そこでも話しをしたと思うが、そもそもある程度のレベル同士であれば、サッカーの試合の結果はやり始めて終わるまでわからない。日本代表もほんのちょっとした偶然で1戦、2戦と連勝していたかもしれないのだ。
 同じ球技でもバレーボールやテニスのようにある点数にどちらかが先に到達するかを争うゲームではない。同じ得点の多さを競うゲームでもバスケットボールやハンドボールは桁違いに得点が多いし、野球のように、9回裏に満塁ホームランで一挙4点を取って逆転などはまずあり得ない。野球でもお互いに得点できずに1点差を争うこともあるが、サッカーには90分という試合時間の限定がある。だからサッカーは1点の重みが他の競技に比べてとても大きいゲームと言えるだろう。1点を取った、取られたことによるそれぞれのチームや選手の精神的な影響がとても大きく、その後の試合の流れや結果を左右する。断然に優位のチームが下位のチームにふとしたミスで先制されてしまったりした時に、「ジャイアントキリング」と呼ばれる番狂わせが起きたりするのだ。
 歳をとるとどういう理由かは知らないが、睡眠中に何度も目が覚める。朝まで一度も目が覚めずぐっすりと熟睡する日の方がはるかに少ない。そんな夜中や朝方ふと目を覚めた時、すぐに時計を見るとその時間にやっているであろう対戦カードが頭に浮かぶ。すると、どうしても試合経過が気になるのである。枕元にあるテレビのスイッチを入れる。
 今回のW杯は熱戦が多い。FIFAもそのことを認識しているようで、決勝トーナメントの1回戦が終わった時点で好試合が多いことを評価していた。確かに面白いと私も思う。夜中や未明に目を覚まして、たいてい戦前の大方の予想と違って、弱いチームが勝っていたり、後半まで同点であったりという意外な経過を目にする。と、もういけない。途端に目が覚めてしまい、経過のチェックなどでは済まず、そのまま終了まで起きて観戦してしまうのだ。
 どの国が優勝するだろう。開催国のブラジルには優勝しないと大変なことが起きそうだし、日本と同じ組で戦ったコロンビアに優勝してほしい気もする。日韓W杯のキャンプ地の縁でベルギーも応援している。寝不足になる日も残りわずか。考えたら私が日本戦以外の試合をこれほど熱心に観戦するのは初めてだ。初出場のフランス大会から前回の南アフリカ大会までは、私自身がW杯に対してよその国の試合を楽しむ余裕が無かったのかもしれない。「本田、香川、長友はじめ日本代表の皆さん。日本中が1点の重さ、1勝の難しさを再認識した大会でしたね。だからこそサッカーは1点が入った時、勝った時の喜びが大きいのでしょうね。このままでは終われない。さらに力をつけてもらい4年後を楽しみにこれからも応援を続けます」
(2014.7.4)
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ボートに乗って

2014年06月27日 | ポエム

 ボートに乗って


海岸から
ひとりボートに乗って
沖に向かってオールを漕いだ

ひとかきするごとに
人の姿が小さくなる
ひとかきするごとに
人の声が小さくなる
ひとかきするごとに
浜辺の家が遠くなる
ひとかきするごとに
浜辺の山が遠くなる

ああ、このまま
どこかへ行きたい
遠くへ行きたい

ひとかきするごとに
僕のこころは軽くなる
(1973~2014.6.26)



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