雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

つゆあけ

2014年06月20日 | ポエム
 つゆあけ


あの青い空を

誰かといっしょに 語りたいのに

あの青空を見ていると

ひとりぼっちがつらくなる

(1974.7.20~2014.6.17)

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トイレのフタ問題

2014年06月17日 | ポエム

 トイレのフタ問題


 洋式トイレの使用後、フタをしていますか?
 私は最近、このトイレのフタをするようにしています。
 理由は二つ。特に大の方をした後で、水を流す時、フタが空いていれば多少ではあるものの、勢い良く流れる水によってトイレの室内に排泄物の粒子が舞い上がってしまうと聞いたからです。健康な時はいいですが、下痢の時は特に注意が必要です。ウイルスなども巻き上がってしまうからです。だから用を済ませたら流す前にトイレのフタをしなければいけません。
 我が家は小さい家ですが、トイレが1階と2階に2つあります。長男が小さい頃からトイレが異常に長いので、トイレを2つにしました。そしていつのまにか、1階がお客さん及び女子便所、2階が長男と私が主に使用する男子便所となっております。この男子便所のお掃除問題が長年の我が家の争点となっております。つまり汚いのです。私は実家にある勤務先に単身赴任状態なので、週に実質2日程しか使用しません。だから汚い原因は主に長男のトイレの使用法にあると思うのです。毎回使用後に便器をブラシで洗うように何度も長男を指導し、ようやくこのところ「汚い」トイレは脱しつつあります。長男を指導した手前、私も使用後毎回ブラシで便器を洗っております。ただいかんせん、雑な男子のやることなので、便器の中の水の渕の汚れがワッカになってしまいます。見かねた家人が定期的にペーパーヤスリを使ってトイレのワッカを消してくれています。それでも長男とトイレがかちあった時などにたまに使用させていただく女子トイレが断然美しく、香りも良く快適です。便器のフタをする理由の第二がこのトイレのワッカに関係しています。トイレでは服や下着をまくったり戻したりする作業がつきものですが、そのことで狭いトイレの室内には目に見えないホコリが舞い上がってしまうのです。フタを空けたままにしておくと、この細かなホコリが舞い降りてきて、トイレのワッカを形成する一因となっているという話を家人から聞いたからです。フタをすることで少しでも汚れを防ぐことができるのであれば自ら行うトイレ掃除も楽になります。
 その二つの理由で、トイレのフタをするように努めています。ですからこのトイレのフタ習慣は家人の強制ではなく、自らすすんで決意し、実践をしているのです。トイレ関係で言えば、トイレの換気扇も必ず使用し、使用後はスイッチを忘れずに切ることにしております。
 ところが一人で暮らしている実家で、毎回認識して確実に行ったはずのトイレのフタがときどき空いているのでございます。換気扇もついてままであったりするのです。本人、とてもとても不思議なのでございます。換気扇も消してあり、フタもしまっていることがほとんどですが、どちらか一方の始末がおろそかになっておることも少なくありません。
 家人はこのような失敗をしたときに、「なぜその行動を選択したのか?」という質問をすることがあります。それらの質問はあきらかに愚問です。なぜなら失敗したその行動を行うとき、どう行動するかを認識していたら失敗する方を決して選択はしないと思うのです。家人などは、そこが理解できないらしく私が故意に嫌がらせで失敗の行動をとっていると言うのです。誓ってそんな何の利も無い嫌がらせはいたしません。
 だから無意識にならないように、自分では毎回毎回意識しているつもりなのです。いや絶対に間違いないと思っているのです。それでもときどきフタが空いており、換気扇が回ったまままのであります。
 で、原因を愚考したあげく、またまた「この家には私以外に何者かが住んでいるにちがいない」という結論が浮かんで来るのです。しまっておいた印鑑や爪切りを何処かへ隠すような悪戯と同様に、閉じたトイレのフタを空け、換気扇のスイッチを入れて、私を混乱させて喜んでいるこの家の妖精の存在です。
 不思議な妖精の存在も含めて、フタが空いている原因はフタだけに「不確か」なままなのでございます。
(2014.6.17)
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サッカーW杯と私

2014年06月12日 | ポエム

▲先日、太宰府天満宮にいったらサムライブルーのお神籤があった。

 サッカーW杯と私


 日本時間の明日未明にいよいよサッカー・ワールドカップ・ブラジル大会が開幕する。若い頃パリにいた時、ちょうどサッカーのワールドカップがあり、そのフランス国内の様子に驚いた。試合に興奮して奥さんを2階の窓から投げ飛ばしただの、テレビで観戦していた人が怒りでテレビの画面に物を投げて割ってしまったなど、ニュースで知った。それを見ながら私は「スポーツの試合の結果が殺人事件まで引き起こすなんて日本人には考えられないことだ」と思った。同時にサッカーのワールドカップがどれほどスゴい大会であるかは、何の知識も無い私も肌で感じることができた。
 当時はサッカーが特に好きな訳ではなかったので、フランス国内のリーグ戦がどうなっているのか、どんな人気選手がいるのかも知らなかった。それは日本のサッカー界に対しても同様で、メキシコオリンピックで銅メダルを取って以来、国際試合ではほとんど大きな舞台に立つことも無く、国内のサッカー人気も低迷していることでさえ、考えたこともなかった。
 私にとって、スポーツを観戦すると言ったら、まずはプロ野球、そして4年に一度のオリンピックか、大相撲、たまにゴルフくらいだった。プロ野球に嫌気が差して中継を見なくなった頃、サッカーのJリーグが始まった。サッカー好きの息子の影響もあり、すぐにサッカーに夢中になった。
 ワールドカップのことも、日本が、そして日本選手の多くが一度も出場したことのないワールドカップ出場を悲願としていることを知った。日本のサッカー界と選手達の悲願は、すぐに私自身の悲願にもなった。
 そのワールドカップ初出場の悲願達成まであと数分と近づいたあのドーハの悲劇。カズ、ラモス、ゴン中山、竹田、柱谷、福田、長谷川健太、北沢。日本中が盛り上がり、私も選手達と一緒に出場を願いテレビを通して生で応援していた。悲願達成目前の最後の最後で、画面の中で起きていたことが信じられなかった。悔しくて朝方までなかなか眠ることが出来なかったのを覚えている。
 出場出来ることがうれしかったフランス大会は、友人夫婦と勝利のシャンパンを用意し、テレビで生観戦した。結果は1勝も出来ずに予選リーグ敗退。ゴン中山の日本選手初得点で終わった、ちょっとがっかりの大会だった。
 次が日韓開催。未だ開催地が決勝トーナメントに進めなかったことはないと知り、マジに心配した。フタを明けたら初戦引き分けで初勝ち点をあげ、次のロシア戦で初勝利。2勝1分でみごと決勝トーナメントに出場出来た。
 次のドイツ大会は中田のチーム。初戦のオーストラリア戦で終了間際に同点ゴールをあげられ、わずか数分でまさかの3失点。前回を上回る結果を期待されていたジーコジャパンは出端をくじかれまさかの3連敗で予選敗退。
 そしてブブゼラ(でしたっけ)の音が印象に残る南アフリカ大会は、明らかに実力がついた上でのもっと上もありえたベスト16だった。
 そして今回。私は、サッカーはやってみなければ何が起こるかわからないと常に言っている。今回もベスト16以上の結果を残すかもしれないが、予選敗退で終わることも多いに考えられる。
 ドーハの悲劇があったから日本は強くなった。昔、対外試合をしても日本が勝てる気はしなかったが、今や世界のどの国に対しても勝つ可能性を感じさせる。海外のきびしいリーグで活躍する代表が増えた点も大きい。
 ブラジルでは、まず本田と香川には世界を驚かせる結果を出してほしい。サムライブルーがどこまでやれるか?ザックジャパンの集大成を出し切ってほしい。他にも世界の強豪対決など、本当に楽しみな1ヶ月だ。
 今度は割と観戦しやすい時間にあってありがたい。寝不足になったり、興奮して大声を出しても深夜ではないので家人にたしなめられたりすることは無さそうだ。この歳でなおすぐにプッツンしてしまうおじさんだが、サッカーが好きになった今も、サッカー観戦で奥さんを窓から突き落としたり、テレビを割ってしまうことには理解が出来ない。
(2014.6.12)
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50歳代後半と覚せい剤

2014年05月30日 | ポエム
 50歳台後半と覚せい剤

 このところ自分に近い年齢の人の覚せい剤にからむ犯罪での逮捕が続いている。一人は56歳の歌手のASKA氏で、もう一人は57歳の福岡県の小学校の校長だ。二人とも現在すでに十分な地位や名誉もあり将来の不安も無さそうだし、普通に考えたら覚せい剤を使う理由が見当たらない。覚せい剤の魔の手が年齢、職業、学歴、生活環境を問わずあらゆる場所にじわじわと広がっていることを感じる。日本は島国なので麻薬の輸入の取り締まりも比較的にやりやすいように思うけど、現状はどうなんだろう。自分がその気になりさえすれば、それはすぐに手の届くところまで広がっているのではないか。
 20歳の頃に、3ヶ月程西ヨーロッパを旅行して回ったが、その帰りの飛行機で偶然席が隣で仲良くなった普通の日本人大学生は、靴底に麻薬を隠し持っていると教えてくれた。
 その後23歳になる少し前から2年程、私はパリに住んでいた。日本料理店で働いていたから周りはほとんど日本人だったが、現地採用のアルバイトの人が半分近くいて、若い人が多くていろんな人がいた。どんな職場でもいろんな人はいるだろうが、思想、言動、生き様、過去、本当にいろんな人がいて面白かった。その小さな店の仲間内で私が知っていた限り2人は麻薬を常用している人がいた。そしてその人から体験談も聞いていた。
 私の麻薬との接点はそれ位だ。日本で出来ないことを何でも経験したいと思い、行動もしていたが、手を伸ばせば届いたのだろうその頃も、私は麻薬だけには手を付けなかった。麻薬にも好奇心が無かった訳ではないが、「ちょっと試しに」という気も起こさなかった。
 煙草の方は高校の1年生のときから好奇心で吸い出し、高校を卒業した後はすっかりヘビースモーカーになってしまった。以来30年近く吸って50歳前に断煙した。30年間ものヘビースモーカーが何を言ってるのかと言われそうだが、自分の未来にも自分自身にも愛情があったので、麻薬で自分の身体や人生を壊したくなかったからだ。
 私の子ども達が大学に進学し家を出る際には、いろんな経験をするように言ったが同時に麻薬だけは「どんなに好奇心湧いて1回だけと思っても絶対手を出すな」と伝えた。その後も会ったときや手紙を書く際には、必ずそのことを念押していた。結果、子ども達は麻薬どころか煙草も吸わない。煙草の習慣も遺伝しなくて良かったと思っている。
 50歳代も後半になると、夢中で走り続けて来た自分の人生の終点が近づいていること感じる。少なくとも人生の一つの区切りを誰もが向かえようとしている。少年の頃から思っていた夢はかなったのだろうか?あるいはもうかなうことがないとはっきり先が見えてきたのだろうか?もう自分は今以上の高みに昇ることはないのだろうか?
 そんな自分の終着点が見えてしまった気になるのだ。
 私たち50歳後半という年齢の危うさは私でも感じることがある。人の人生に対して勝手なことは言えないが、若いときからあまり挫折の経験の無い比較的に順調と思われる人生を歩んだ人の中に、より大きな危うさがあるように感じる。私なんか生涯楽天主義でそれは多分死ぬまで変わらないと思うが、まだまだ「人生これから何かある」と楽しみにしている。
 ASKA氏が麻薬で捕まった後の報道で、氏の周囲の誰かが、「言動がおかしい」ときがあったと証言していた。そのことを家人に知らせたら「あなたも言動がおかしいから麻薬をやってるんじゃない」と言われた。
 さらに、ASUKA氏がなぜ麻薬に手を染めたかの疑問に対して、ある専門家が「責任感が強く、ファンの描く理想に答え続けたい」というプレッシャーがあったのではないかという分析をしていた。そのことを家人に知らせたら、「じゃあ、無責任なあなたが麻薬に手を染める心配はないわね」と言われた。
 確かにそれは言えとる。
(2014.5.30)
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日記 2014年5月4日

2014年05月16日 | ポエム

 日記 2014年5月4日


 寝坊をした。と、言っても時刻は午前5時半を回ったところ。大型連休後半の2日目の4日の早朝だ。南阿蘇にある山小屋に上の妹一家の3人と下の妹と私の5人で前日から集まっていた。前夜寝る前にJR九州の豪華クルーズトレイン「ななつ星in九州」を未明に起きて見に行こうという話しになっていた。
 熊本駅を4時半頃に出発した「ななつ星」が豊肥本線を走って立野のスイッチバックを通過するところを見学しようという計画だ。ただし正確な通過時刻がわからない。5時頃にスイッチバックの立野駅迄行けば、見ることができるだろうし、もし見損なったとしても5時33分到着となっている阿蘇駅まで追いかけたら、構内に出来た専用のレストランで乗客が朝食を食べる間、阿蘇駅に停車する事になっているから確実に見ることは出来るはずだ。
 私は鉄道フアンを自認しているが、昨年走り出した「ななつ星」を生でまだ見たことがない。これが九州以外に住んでいる方なら見るだけでも大変だが、私の住んでいるのは熊本市内。「ななつ星」が週に2回は通っている豊肥本線の一番近い線路までは自宅から車で5、6分。歩いても15分程の距離だ。「ななつ星」の通過音も我が家迄聞こえているはずであるがそれさえ聞いていない。同居している長男は、彼の仕事の都合で朝3時から5時の間に市街から我が家迄その豊肥本線の踏切を自転車で渡って帰る。ある日、警報機が鳴り遮断機の前で通過する列車を待っていたら、「ななつ星」が走って来たそうだ。熊本駅にもある程度の時間停車しているから見ようと思えばいつでも見に行ける。鉄道ファンの表現をすれば、いつでも会えるのだ。いつでも会えると思うと通過が未明の時間であることもあって、なかなか行動を起こさなかった。今回、県外に住む妹夫妻が見たいというので良い機会だと思った。
 寝坊はしたが、せっかくだから今からでも見に行こうという話になり、すでに到着しているはずの阿蘇駅に妹夫婦と3人で向かった。
 連休中だからか、田舎の駅にしては広い阿蘇駅の駐車場もほぼ満車。数台のキャンピングカーが目立っている。駅に着いたときから、美しい「ななつ星」の車体が見えている。駅に入場しなくても見学撮影が出来た。駅前や駅の周囲は見学者でいっぱい。車も次々にやってきている。車体の写真や記念撮影をして早々に退散。面白かったのは、あまりに車体がピカピカなので、撮影している自分の姿が車体に映っていること。テレビや雑誌で見ていた通りに生で見ても素敵な列車だけど、たぶん私は乗る方の立場にはならないだろうなあ。私の価値観からすれば鉄道旅行は好きだけど九州1周にあの金額出すならば海外旅行をした方がいい。宝くじが当たれば別だけど。
 阿蘇駅から阿蘇五岳の山肌を巡る登山道を通って山小屋へ帰る。昇り切っていない朝日の射す草原に赤牛や馬が点在している。日本離れした風景だ。山小屋では下の妹が作ってくれたそば粉のギャレットが待っていた。
 お昼に、その夜の夕食作りを担当するシェフのT夫妻がたくさんの食材と共に到着。ソムリエ担当の旦那のK君とその夜のワインを検討。冷やすべきものを冷蔵庫に入れる。友人の誕生会があるという唐津の妹一家と下の妹も帰った後、入れ替わりで福岡から従姉と従姉のお友達の総勢5人が到着。
 夕方6時頃についに宴会が始まる。家人も到着し、総勢9名。夫婦3組に単身の女性3名。赤白スパークリング、9本のワインと日本酒の5合瓶。ビール。みんなよく食べよく飲むのがうれしい。我が山小屋での催しの参加資格はここが一番大切。久しぶりに食べるTさんの奥さんの素人離れした凝った手料理も美味しい。ワインも日本酒もめったに飲めない高級品揃いで、だいたいビールまでもが日頃飲んでいる発泡酒と違い本物のビールのしかもプレミウムで、K君と私は恐れ多くて「口が腫れる、腫れる」と二人ではしゃいでいた。



 楽しい会話とお腹がびっくりするような美味しいお酒と料理で心も身体もエネルギーを満杯に充電できた日だった。もっとも身体のエネルギーはすぐに蓄積にまわりそうで、ちと体重計に乗るのが怖い。
(2014.5.4)

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