日曜日の公園
僕の自宅の南側の土地は、かつて国有地で小さな一戸建ての公務員住宅が数件並んで建っていたが、かなり前に熊本市に払い下げになり、公園になった。おかげで我が家の庭は、将来的にもマンションなどで日陰になってしまう心配はほとんど無くなり、趣味の園芸家としてもラッキーだった。
公園には、トイレと水飲み場とベンチが二つ並んだ屋根のある建物、そして掃除用具をしまった倉庫があるきりで、ブランコや滑り台の無いめずらしい公園だ。遊具としては、子どもが股がってバネを揺らして遊ぶ動物が二つと砂場があるだけだ。公園の半分を占める広い砂の広場は、ゲートボール場だった。開園当初は、早朝から近所の老人達の話し声やスティックで玉をたたくカーンという音が響き、日曜日の朝などには閉口した。でも気がつくと、ゲートボールをする年寄りの姿は、いつの間にか見かけなくなった。
その公園の南側に隣接した長年の空き地も数年前に住宅メーカーが買い上げ、4軒の2階建ての住宅が出来るとほぼ同時に、乳幼児がいるらしい若い4つの家族が引っ越して来た。ゲートボールをしていた老人達に代わりに登場したのが、その新しい住宅に住んでいる子ども達で、日曜日は、どの子がどの家の子かは知らないが、よく4、5人の子ども達の声が響いている。
自宅と公園との間には、国の管理する水路があり、公園側にはキンモクセイの生け垣が、僕の家は、バラやツタが絡んだフェンスがあり、立ち上がって見ないと公園の様子は直接見えない。僕は、週末園芸家として草花の世話や庭の手入れをしながら、そんな子ども達の声を聞くとはなしに聞いている。
虫取りをしているらしい会話が聞こえる。サッカーボールで遊んでいたり、なぜだか公園を単にぐるぐる走っている時もある。ときには古典的なままごとをしているらしい話し声も聞こえてくる。
リーダーは、小学校低学年くらいの女の子で、その子がグループを仕切っているようだ。ままごと中の母親をまねたと思われるませた口ぶりと会話の内容に、思わず聞き耳を立て、吹き出してしまうこともある。
仲良く遊んでいて、グループの中の誰かがゲームに負けたり、飽きたりなどして、グズリだし、あげくにケンカになってしまうこともある。昨年の東北の大震災の後のある日、公園のグループの中でケンカとなり、一人が家に泣いて帰った様子が聞こえて来た。
そこでリーダーの女の子が、残った仲間に言った言葉に笑ってしまったことがある。
「こんなときは、『ごめんね』って言えばいいんだよね」
先日の日曜日は、曇り空の下で、またいつもの子ども達が集まって、砂場で山を作って遊んでいるようだった。止せばいいのに、気温の低い中、バケツに入れた水を砂場に運んでいる様子。
お昼前だ。
「ごはんよー」と、子どもを呼ぶ、母親の声がする。
そうそう。僕も小さい頃、家の周りの神社や畑や田んぼで時間が立つのを忘れて毎日毎日無心に遊んだ。お腹はいつもすいていたのに、それさえ忘れる程に、遊びに夢中だったように思う。そしてやはり「ごはんよー」と、父か兄弟の誰かが僕を呼ぶ声がして、急にお腹がすいていることに気付き、あわてて走って帰る。手を洗った後は、いつも「早く早く」と皿をたたかんばかりに餓鬼と化していた。
日曜日の公園に響く、近所の母親の子を呼ぶ声を聞いて、「ごはんよー」と、家の縁側から大声で呼んでいた若き日の父の声が聞こえてきたような気がした。
(2012.1.16)