雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

そりゃあないヨ

2012年02月24日 | ポエム


 そりゃあないヨ

 僕は間違いなく胃だか腸だかが弱くて、小さい頃からよく下痢をした。
 だから小学生の頃、学校で便意をもよおし、ずいぶんつらい思いをした。
 今はどうだか知らないけど、僕が小学生だった昭和30年代後半から40年代にかけて、男子が学校の便所で大の方の用をたすことは、かなりの勇気と覚悟が必要だった。じっと席で脂汗をかきながらも我慢することが多かった。
 今でも時間に関係なく、突然お腹が痛くなり、トイレに駆け込むことがある。
 最近は、ありがたいことに、道の駅や公園が整備され、数キロ毎にトイレが設置されていたり、コンビニエンス・ストアのトイレが利用できたりするので、いざという時には大変心強い。
 昨年の師走に、出張先でホテルに1泊し、薄暗い早朝、前夜に車を停めた駐車場まで歩いているときに、軽い便意を感じた。
 そのまま車に乗り、公衆トイレを見つけて寄っても良かったのだが、どうも最近は、便意を感じて我慢の限界に至るまでの時間が短くなって来ているようで、念のために早めに用をたした方がよいと判断した。
 幸い、歩いているすぐ横が野球のグランドで、バックネット裏の木々の下に隠れる様にトイレがあり、電気がついているのが見えていた。
 トイレの建物は古く、昔ながらの作りで、蛍光灯の明かりのもとに、木の個室が並んでいた。これは和式の古い便所に違いない。そこで僕は少し躊躇したが、ここまで来たのだから、もう和式のつらさや汚さは我慢しようと覚悟を決めて、扉をあけた。
 ところが、個室の中は、すっかり改装されていて、洋式のしかも暖房便座におしり洗浄装置までついている真新しい最新式の便器だった。
 「おみそれしました」と古い便所にあやまり、同時に日本の公衆トイレのスゴさに感心しながら、心置きなく用をたすことができた。
 もう十数年も前の話だが、両親が元気で週末は一緒に車で出かけたりしていた。
 そのときも、土曜日曜と僕の自宅に両親が泊まることになっていて、実家から僕の家に行く前に、行きつけの旅行会社に用があるという父を連れて、バスターミナルとデパートとショッピング街がいっしょになった施設の駐車場に車を停めた。
 実は、そのとき僕は、ちょっと前からお腹の不調を感じていた。やがてそれは、はっきりとした便意へと変わり、かなり余裕の無い段階が近づいていることを密かに感じていた。
 敷地の端にある駐車場についたときに、駐車場にも探せばトイレがあるはずと迷った。でも駐車場から5分もしない場所に、何度か利用したことのあるバスターミナルの大きなトイレがあり、そこを目標に定めた。
 そしてどうにか、そのトイレの入り口まで来て、僕が父に「トイレに行きたいから、先に旅行会社に行ってて」と言うと、
 父が、旅行会社の横にきれいな洋式トイレがある、と言うのである。
 僕は再び迷いながらも、きれいな洋式トイレがいいと思い、父の勧めに従うことにした。
 さらに歩くこと5分。やっとのことで、旅行会社の前まで来て、その先にトイレの表示があることを確認し、安心した。
 気を緩めたせいか、便意がすばやく限界体制へと坂道を転げ出した。
 すると、父はわざわざ僕を先導するように、トイレの中に入っていった。
 親切に最後まで案内してくれるのか、小用をたしたくなったのかと思いながら、父の後を追う様にトイレに駆け込むと、一つしか無い男子トイレの個室の扉が、ガタンと閉まったところだった。
 父も大の用事があったのだ。
 父が先に入ったトイレの扉の前に立ち、
「そ、そりゃあないよ」と、僕は心の中で、子どものように泣きながら地団駄を踏んだ。
(2012.2.28)

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