雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

夕立

2023年04月06日 | エッセイ


夕立

 繁華街に近い停留所なのに、路面電車を降りたのは私と若い女性の二人だけだった。
 それよりも驚きたじろいだのは、路面電車を降りる直前に降り出した大粒の雨だった。
 幅の狭い停留所には幅の狭い屋根があったが勢いの強い雨は路面や停留所の構造物に跳ね返り飛沫となって顔にも降りかかってくる。私は急いで傘をさした。
 ところが私より先に電車を降りた若い女性は傘を持っていないらしく私の方に体ごと振り向いて困ったなという顔をした。
 太ももも露わな短いパンツに短い丈のTシャツでは、ヘソが丸出しになっている。さらにパーマをかけたおかっぱ頭の髪の毛は赤かった。およそ私とは接点のない生活環境と、おそらく理解できない価値観を持っているだろう二十歳前後の若い女性が目の前にいる。
 私は彼女の目を見て、芝居がかって「やれやれ」という顔をしながら肩をすくめた。そして黙って人差し指で左右に示して、広い道路の真ん中にある停留所からどちら側に渡るのかをたずねた。すると若い女性は私が渡ろうとしていたデパートの入り口のある右側を自分も黙って人差し指で示した。
 ちょうど停留所に接する横断歩道の歩行者信号が青になった。
 私は女性の方に傘を差し出し、二人一緒に雨の中を小走りに道路を渡り、そのままデパートのガラスの入り口に駆け込んだ。入り口に備えてあった濡れた傘を入れるビニール袋に傘をしまう私に彼女はにっこり笑って、ちょっとだけ頭を下げてデパートの奥に消えていった。
 ただそれだけの出来事だけど、なぜかいつまでも忘れずにときどき思い出してしまう。

(2022.10.8)
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