かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(18)

2025年01月22日 | 脱原発

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 とても心配なニュースをネットで見つけた。1018日付けの下野新聞に掲載されていた「福島原発事故の10カ月後、周産期死亡率が急上昇した」というというニュスだ。
 周産期死亡率というのは、妊娠22週から生後1週までの死産や新生児死亡の割合で、それが岩手、宮城、福島、茨城、栃木、群馬の6県で20121月に前月に比べて15.6%も急上昇したという大阪の小児科医とドイツ環境保健センターの研究報告がアメリカの医学誌に報告されたという。
 チェルノブイリ事故でも、後年さまざまな健康被害が発生したと報告されている。残念ながら、原子力推進を掲げる国際機関はなかなか認めようとしないが、この研究を報告した医師の林敬次さんが言うように、原発事故による「健康被害調査を広い範囲で包括的に実施すべき」であることは間違いない。
 低線量被ばくでどのような障害が発生するか、いまだ不明なことが多いのはたしかである。しかし、不明であること、未知のことがらを人は畏れるべきである。ましてや、低線量被ばくがもたらすものは生命に関わることである。それは個人の生命であるばかりではなく、人類の生存の問題ですらある。私たちは、環境の放射線レベルがどれくらいで人類の生存は可能であるかを残念ながら知らないのである。
 福島事故でばらまかれた放射能によって発生した汚染ゴミを焼却して再び環境に放射能をまき散らすこと、汚染土を建設土として全国にばらまいて日本の環境全体の放射線レベルを上げてしまうことに畏れを抱くべきである。その不可逆性を畏れるべきである。何よりも、私たちはいまだに無知なのだという事実そのものを畏れるべきである。



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29日に発生した福島県浪江町の帰宅困難区域で起きた山火事は、12日ものあいだ燃え続け、この510日にようやく鎮火した。その間、福島県当局は環境放射線量に変化はないとして、ネットで流れる放射能拡散の話をあたかもデマであるかのように喧伝した。
 しかし、モニタリングポストの実測値を調べると、いつもは0.175μSv/hrほどで推移している浪江で429日に0.186μSv/hr51日に0.182μSv/hrに上昇する時間帯があった。同じように請戸でも0.128μSv/hrの平常値が429日に0.145μSv/hr51日に0.143μSv/hrへ上昇する時間帯があって、ともに降雨と連動している(まさのあつこ「Yahoo!ニュース」)。
 58日に至っては、大気浮遊塵に含まれる放射性セシウム量が浪江町で前日の約3倍、双葉町では約9倍に達した(「日テレニュース24」)。
 放射能が拡散しているという話はデマだとする福島県の広報こそがデマであって、明らかに火災現場から放射能は拡散移動しているのである。もちろん、地域全体の全放射能量は変わらないのだが、汚染濃度の高い帰還困難区域から低い区域へ放射能が拡散、移動しているのは間違いない。
 しかし、報道で扱われている放射線量はあくまで人間にとっては外部被ばくに相当する数値でしかない。問題は、放射性物質の存在形態が火事によって変化したということなのだ。
 地表面に比較的安定に存在していた放射性物質の一部は、例えば生きた植物や枯葉などは灰となって、地中の一部は高熱によって気化するなどして空中へ舞い上がる。この段階では、地表面にあろうが空中にあろうが、空間線量率はそれほど変化しないだろう。暖かい空気とともに上昇した放射性塵は、風向きや地形の影響を受けて濃くなったり薄くなったりしながら次第に沈降してくる。降雨は沈降を早めるだろう。このような経過は、観測結果をよく説明する。
 空間線量率は変わらなくても、放射性物質が地表面に比較的安定に捕捉されているか、空中を浮遊しているかでは健康に与える影響は大きく異なる。人間の呼吸による外気吸入量は安静時と運動時では大きく異なって1日当たり10立方メートルから150立方メートルと幅があるが、この呼吸を通じて放射能塵を吸入することで内部被ばくが生じる。
 日本では内部被ばくを無視して外部被ばくのみを議論するが、科学的には内部被ばくの方がはるかに危険だと考えるのは、世界的趨勢である。原子力推進国家群の国際的御用機関であるICRP(国際放射線防護委員会)は、危険度の比を1:1とみているが、ECRR(欧州放射線リスク委員会)1:300ないしは1:1000で圧倒的に内部被曝が危険だとみなしている。
 しかし、内部被ばく量を日常的にモニタリングすることは簡単ではないので、外部放射線量から内部被ばく線量を推定する方法を取り入れて被ばく限度を規制している国がある。例えば、ウクライナでは外部被ばくが1であれば0.66の内部被曝があるとみなしているという。日本の1mSvはウクライナでは1.66mSvの被ばくと評価される。同じように、外部被ばくの危険度を加味した推定値を定めることによって、日本での1mSvがベラルーシでは2mSv、オーストリアに至っては7mSvと評価されるというのだ。20mSv/yを帰還可能区域とする日本にオーストリアの規制値を適用するとそれだけで140mSv/yに達してしまう。
 原子力規制委員会が世界最低水準の規制基準で日本の原発の再稼働を認めているように、日本の政府は世界最低の安全基準で国民の放射線被ばくを管理しているのだ。上に挙げた国々に比べると、日本国民は日本国政府にどれほどぞんざいに扱われているかがわかる。大事になんかされていないのだ。有事の際には「どんなことがあっても国民の命を守る」と大見栄を切った政治家がいたが、日々の政治で国民の命を大切にしていないのにどうして有事に守れるというのだ。有事が来るまで私たちの命が続くかどうかわからないというのに……


 

 
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