かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展』 国立新美術館

2016年07月07日 | 展覧会

【2016年6月27日】

  ルノワールである。東京に出る機会があれば、ルノワール展の美術館に出かけるのは当然である。が、いつもの美術展のようなドキドキするような期待感はあまりない。ルノワールが好きとか嫌いとかの問題ではない。モネやゴッホでも似たような気分だったことを思い出す。
 優れた画家はいつでも圧倒的に私の想世界を凌駕する。その想像できない圧倒され方を期待してワクワクした気分で美術展に出かけるのだ。しかし、圧倒されることは間違いなくても、その圧倒され方に慣れることもあるのではないか。
 私はけっしてたくさんの画家の絵を見てきたわけではないが、私の西洋画に接する機会のことを考えれば、相対的には印象派の画家がと多かったはずだ。中でもモネやルノワールの絵がとても多い。美術展もまた印象派としてはモネやルノワールを中心に構成されることが多い。ルノワールもモネも見るたびにすごいなとは思うのだが、そのすごさに慣れてもしまうのである。
 ゴッホや日本でブームになったフェルメールでも同じような気分になることがある。不思議なことだが、そんなに多くの作品を見たわけでもないミレーでも同じ気分を味わったことがある。おそらく、日本の社会での西洋画の取り上げ方がそのまま私の気分の中に反映されているのかもしれない。取り上げられる回数の多い画家ほどその絵を「見慣れた気分」になるのだろう。東北の小さな農村で生まれ育った身にとって、西洋絵画には本や雑誌、新聞を通じてのみ接していたのだからなおさらである。


【左】《ウィリアム・シスレー》1864年、油彩/カンヴァス、81.5×65.5cm、オルセー美術館 (図録 [1]、p. 47)。
【中】《クロード・モネ》1876年、油彩/カンヴァス、84×60.5cm、オルセー美術館 (p. 53)。
【右】《自画像》1879年、油彩/カンヴァス、18.8×14.2cm、オルセー美術館 (p. 204)。

 ピエール・オーギュスト・ルノワール、画家自身が「私は人物画家だ」とモネ宛の手紙に書き記した(図録、p. 44)というほどだが、私自身のルノワールの印象をあえて名付けるとすれば「女性像の画家」とでもするのがいいと思えるほどである。
 当然ながら多くの婦人像作品が展示されていたが、ここではあえて男性の肖像画、それも三人の偉大な印象派の画家の肖像を並べてみた。シスレーとモネとルノワール自身である。自画像が本当に小さな作品だったのが残念だが、シスレーの風景画 [2] も大好きな私としては、この三画家の肖像を並べて見ると際立ってくる自己満足が嬉しいのである。


【上】《イギリス種の梨の木》1873年頃、油彩/カンヴァス、66.5×81.5cm、オルセー美術館 (p. 73)。
【下】 カミーユ・コロー《ニンフたちのダンス》1860年頃、油彩/カンヴァス、48.1×77.2cm、オルセー美術館 (p. 53)。

 「人物画家」のルノワールだが風景画も多い。2年ほど前に『モネ、風景をみる眼』と題した美術展が国立西洋美術館で開催されて、ルノワールの風景画とモネの風景画を比べてみたことがある [3]。
 ルノワールの人物画における厚みのある存在感が風景画でも顕われているようだ。葉の茂った樹木の膨張するような厚み、存在感が独特だ。逆に言えば、シスレーやコローの風景画のような空気の清浄感、透明感はそれほど感じられず、風景の奥行という点では一歩譲る。モネの風景画は、ルノワールとコローやシスレーとの中間に位置しているように思う。


【左】 《田舎のダンス》1883年、油彩/カンヴァス、180.3×90cm、オルセー美術館 (p. 120)。
【右】 《都会のダンス》1883年、油彩/カンヴァス、179.7×90cm、オルセー美術館 (p. 121)。


【左】ジェームズ・ティソ《夜会あるいは舞踏会》1878年、油彩/カンヴァス、91×51cm、オルセー美術館 (p. 115)。
【右】ベルト・モリゾ《舞踏会の装いをした若い女性》1879年、油彩/カンヴァス、71.5×54cm、オルセー美術館 (p. 121)。

 大作の《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》の展示の前は人だかりで、近くで見るのはなかなか難しいことだった。ルノワールらしい「華やかさ」にあふれた作品だが、《田舎のダンス》と《都会のダンス》はその細部の拡大図のようにも見える。
 ルノワールの風景画は、シスレーやコロー、ピサロさらにはモネ(晩年は除く)と比べてもリアリズムからずっと離れている。《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》も印象派の典型のように人物群が描かれているが、上の二つの作品はあたかもその人物群の細部を描いたかのようにリアリティが高い。それは、同時代画家の作品としてベルト・モリゾの《舞踏会の装いをした若い女性》と比べればより明確だ。
 しかし、リアリズムという点ではジェームズ・ティソの《夜会あるいは舞踏会》の方がはるかに高い。この作品を見た瞬間、ラファエル前派の絵と思ったほどだ。ジェームズ・ティソという画家は初見だが、ロンドンに移り住んで成功した画家だという。ラファエル前派が活躍したイギリスと相性が良かっただろうというのは、この作品を見れば納得できる。


【上】《後ろ姿の横たわる裸婦あるいは浴後の休息》1815-1917年、
油彩/カンヴァス、40.5×50.3cm、オルセー美術館 (p. 193)。

【中】アンリ・マティス《布をかけて横たわる裸婦》1923-1924年、
油彩/カンヴァス、38×61cm、オルセー美術館 (p. 195)。

【下】《浴女(左向きに座り腕を拭く裸婦)》1900-1902年頃、ペンと黒インク、黒色鉛筆、
サンギーヌの跡/ヴェラム紙、31.5×25cm、オルセー美術館 (p. 129)。

 ルノワールの婦人像、裸婦像を眺めながら会場を進んでいると、妙にエッジのたった、シャープな印象の裸婦像が目についた。《布をかけて横たわる裸婦》である。ルノワールのはずがないと思いながら近づいてアンリ・マティスという画家名を見つけて納得した。
 あらためてルノワールとマティスの裸婦像を並べて眺めるというのはとても興味深い。ルノワールは女性の肉体の美しさそのものを主題にしているが、マティスには裸婦像に仮託した異なった主題があるようだ。ルノワールと比べれば、もうすこし抽象的な「美」そのものへ主題を偏らせているのではないかと思うのである。
 たくさんの婦人像、裸婦像の展示作品の中で、私の一番のお気に入りになったのは《浴女(左向きに座り腕を拭く裸婦)》という小品だった。これは最近になってわかったことだが、どうも私は素描のような作品が好きなのである。画家にとっては本格的な作品のために描く素描の目的は明確に違いないが、素描に描かれなかった部分をその作品の「余剰」として受け取ることができる。そして、その余剰がどんなものかは私だけの想世界の中にある。描かれない余剰が私の自由な感受を許してくれるのである。その余剰がどんなものかを具体的に想像するわけではないが、素描から始まる情感の広がり、その豊かさが味わえるような気がするのである。 
 しかし、そういう感受のためには《浴女(左向きに座り腕を拭く裸婦)》のような見事な素描力が必要なのは言うまでもないことだ。

[1] 『オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展』図録(以下、『図録』)(日本経済新聞社、2016年)。
[2] 『アルフレッド・シスレー展――印象派、空と水辺の風景画家』(練馬区立美術館、2015年)
[3] 『モネ、風景をみる眼 ―19世紀フランス風景画の革新』(TBSテレビ、2013年)



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ルノワール展 (dezire)
2016-07-14 10:41:42
こんにちは。
私もルノワール展を見てきましたので、作品の画像やご説明を読ませていただき、ルノワールの絵画の美しい色彩や光の表現、絵画魅力などを追体験させていただきました。初期の作品から晩年の裸婦の傑作までルノワールの生涯の作品が展示されており、ルノワール絵画の全貌を知ることができてよかったと思いました。特に、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』『ピアノを弾く少女たち』『浴女たち』などルノワール絵画を代表する傑作を間近で見られて大変感激しました。

今回のルノワール展からルノワールの絵画の魅力となぜルノワールの絵画が見る人を魅了するのかと、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌとの芸術の本質的の違いを考察してみました。読んでいただけると嬉しいです。ご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。
返信する
Unknown (小野寺秀也(hj_ondr))
2016-07-17 06:20:02
コメント、ありがとうございました。
仙台から美術展に出かける機会はあまり多くないので、見ることができた美術展の印象を忘れないようにまとめておきたいと思って書いているブログです。

ブログ「dezire_photo & art」、拝読いたしました。

ルノワールをセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンと比較されていること、とても参考になりました。じつのところ、印象派の中でルノワールの特徴は何か、私には漠然として掴みかねていました。どこか絵画職人風のイメージがあったのですが、少し理解できる端緒を頂けたように思います。
もう一度、図録を眺めながら味わいなおしてみたいと思っています。
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オルセー・オランジュリー (元お蝶夫人)
2016-09-22 00:13:42
小野寺秀也さん
こんばんは(*^。^*)

もう20年前くらいになりますか、両方の美術館に行きました。
とにかくパリの美術館は日本と違って明るい!と思いました。
写真も結構撮って良かったのですが、モネの水連はフラッシュをたいて写真を撮ったら怒られます(^-^;
カメラの操作がわからず友人のカメラで普通に撮ったら光ってしまい怒られました(T_T)

なんてちょっとした失敗をしつつ楽しく美術館巡りをなれない異国の地でしたのを思い出しました^m^

印象派は日本人が好きなのでしょっちゅう目にしているような気分になります。

自分の家に飾るならどれがいい?と思いながら見るとなかなか気に入ったものはないものです。
という適当な鑑賞者です、私は。

今年は時間もないし気分的にもそういう気分になれず、来年は少しは行けたらいいなと思っています。
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元お蝶夫人さんへ (小野寺秀也)
2016-09-22 07:24:21
コメント、ありがとうございます。
私もときどき自宅に飾っておくならどれがいいかと思いながら美術館を歩きますが、なにしろそんなことも考えずに30年も前に建てた家なのでなかなかはまる絵は見つかりません。
絵の問題というより、家の問題ですね。

新宅に飾る絵を探すというのも、これからの楽しみではありませんか。
うらやましいかぎりです。
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