かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (16)

2024年10月19日 | 脱原発

20251024

 311以来、東北各地でも脱原発デモが行なわれていて、その主催者の情報交換を兼ねた交流会が持ち回りで開かれている。交流会と言っても、その土地の脱原発デモなどのイベントとの併催である。今回「脱原発盛岡 土曜日もデモし隊」主催のデモがあって、終了後に交流会が持たれる。
 前回は仙台で「脱原発みやぎ金曜デモ」主催、前々回は山形で「幸せの脱原発ウォーキング」主催で開かれた。私は主催者でもスタッフでもなく、仙台金デモの一参加者にすぎないが、山形に続いて今度も参加させてもらった。私の場合は、どちらかと言えば交流会よりデモそのものが目的である。
 いろんな所のデモに参加したいとずっと思っているのだが、なかなか難しい。東京には、年4、5回は出かけているが、それ以外では山形と古川(大崎市)に1度ずつ参加しただけにすぎない。行動力不足で、口先だけで終わりそうな気配だ。
 内丸緑地公園を13:30にデモは出発するという予定に合わせたつもりだったが、13:00には内丸公園に着いてしまった。早すぎたと思ったが、仙台のグループはもうベンチで休んでいた。仙台からは、私も含めて6人が参加している。 旗竿を準備している見知った顔は、山形からの参加したお二人だった。
 内丸緑地公園は、盛岡城の外濠と内堀の間にあった「内丸」と呼ばれた区域の跡で、盛岡城址と岩手県庁の間にある。この辺りが盛岡市の中心なのかもしれない。
 公園が賑わいだした。50人から60人ほどが集まっている。旗竿や横断幕が広げられ、植え込み前にずらーっと並べられたプラカードから思い思いのものを選んで胸や背にぶら下げて、デモ出発の準備はできたようだ。 若い男性が主催者挨拶とデモコースの説明、その後の交流会の案内をして、デモに出発する。
 内丸緑地公園を北側の中央通りに出て、岩手県庁前から西に歩き出す。大木になったトチノキの並木の葉が色づいているが、トチの実が全く落ちていないのが不思議だ。
 デモは、有名な石割桜がある盛岡地方裁判所前まで中央通りを進み、「裁判所前」交差点を左折して、岩手県警本部横を過ぎてから右折して大通りに入って行く。
 大通りは、仙台なら一番町か中央通りに相当する盛岡市最大の繁華街である。人通りの多い繁華街でデモのコールをあげるのは効果的でとてもいい。
 声に張りのある若い男性のコーラーは、脱原発と戦争法制反対のコールを織り交ぜ、威勢もテンポも良くて声を合わせるのが楽しい。東京でも仙台でもSEALDsのデモに参加して、テンポもリズムも新鮮なコールがとてもお気に入りになっていたこともあって、気持ちがすっきりする。
 1年ほど前に、集団的自衛権に反対するデモが仙台で行なわれたとき、組合関連団体のデモコールを聞いた。若いときの職場の組合員として参加したデモのときと全く同じだったのを、どことなく化石のように感じたのだった。
 それに比べれば、脱原発デモのコールははるかに近代的だとさえ思えた。SEALDsのコールはさらに先を行っているように思う。リズム感も音楽性もからっきしの私でも、SEALDs的コールは気分が良いし、楽しい。
 主催者のブログ記事でデモコースの地図を見ていたのだが、大通りではコース地図の倍ほどの距離を歩いてから菜園通りに向かって左折した。デモの写真を撮っている向かいの角に「盛岡せんべい」の看板が見える。南部煎餅などのお土産品を売っている店で、岩手県立美術館に「
松本俊介展」を見に来たとき、妻と一緒に入った記憶がある店だ。
 岩手といえば宮澤賢治と石川啄木だが、松本俊介や萬鐵五郎という画家がいる。それに宮城県美術館の庭にもある彫刻の作家、舟越保武もいる。
 デモには4、5人の子どもも参加している。市民運動としてのデモには、子どもから老人までいろんな世代が参加できたら素晴らしいと思うが、二十歳前後の若者の参加がいつも少ない。その意味では、SEALDsが戦争法案反対の抗議活動に多くの若者を集めた意味はきわめて大きい。
 SEALDsの学生たちは、コールにせよスピーチにせよ、勉強したり議論をしたりしてたいへんな工夫を払っているという。政治イシューの質や時代、タイミングというものに運動の盛り上がりが左右されることも確かにあるが、先頭に立つ人たちの才能というものに依存せざるを得ないこともあるだろう。
 東京では人口が多いということで解決できるものであっても、参加人数が多くない東北のデモでは難しいまま抱え込んでしまわざるを得ない問題もある。そのことが、デモ後の交流会の最大の話題だった(と私には思えた)。
 自公政権が戦争法案を上程してからは、そのあまりの重大性のために多くの反対運動が起き、デモも組織された。仙台でも日程が重なったとき、脱原発デモはそれと合流すべきだという意見もあったが、いちおうは別々の運動として進められている。
 脱原発デモに参加する人の多くは戦争法案反対のデモにも参加している。一方、戦争法案反対には3500人以上集まることもあるが、脱原発デモにはそのほとんどが参加していない(なにしろ、毎週40人から60人くらいのデモなのだから)。そういう非対称の関係で合流を議論するのは、あまり合理的でも生産的でもないだろう。
 それでも、仙台では、戦争法案反対と脱原発デモを別々に主催するだけの人間と組織がある。交流会で出された最大の問題は、もっと人口の少ない都市では脱原発デモと戦争法案反対デモのスタッフがほぼ重なってしまい、2種類のデモを別々に行なうことの負担が大きすぎるということだった。
 「自民党支持者でも原発反対の人がたくさんいる。そういう人も脱原発デモに参加できるようにしたい」という発言があって、それがシングルイシューの大切な点である。ただし、311以降の脱原発デモの継続にもかかわらず、原発反対がはるかに過半数を超えるアンケートでは反対と答えながら選挙では自公に投票して安倍政権の「積極的原発再稼働」を支える多くの人たちがいる事実からは、その有効性には限度があるように思える。だからこそ、諦めず粘り強く続けようということになるのかもしれないが……
 それに対して、「原発推進」も「戦争法制」も根は同じだから一緒でも良いではないかという議論もある。このような考えは、その共通する「根」をどこに見るかで、いろんな段階がある。自公政権に見るか、ファシズムに見るか、新自由主義に見るか、資本主義そのものに見るか、ネグリ&ハートのようにグローバルな〈帝国〉に見るかで運動の質(戦略と戦術)が異なってしまう。
 一見、本質的な議論に思えてしまうが、「根」をめぐって四分五裂した私の若い頃の左翼運動のような古くさい党派的な運動に陥ってしまいそうな議論になりそうだ。未だにそれに固執している党派もないではないが、市民運動という視点からはだいぶ遠くなってしまう。
 おそらく、市民運動はこのような原初的なアポリアを避けられないだろうし、避けなければならない理由もない。自立した個人が自発的に集まって行なう運動には当然のことで、そうした矛盾や葛藤が新しい市民運動を作っていくのだろうと思う。理論的に純粋であろうとして孤立して消滅していった運動や党派は数えきれないのである。もうとっくに「多様な市民」、「マルチチュード」の時代は始まっているのである。バウマン的「リキッド・モダン」の時代なのである。
 参加人数の少ないデモを継続的に行なって行くには、理論ではなく単なる人的資源の問題に過ぎないことに大いに悩まざるを得ないのは実状だろう。だからこそ、交流会を通じて情報交換ができてそれぞれの工夫が少しずつでも伝わっていく意味は大きいだろうし、自分たちを少しずつ鍛えていくことにも繋がるだろう。そんなことを期待してもいいのではないか。



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