2014年6月30日
若い頃(40年も昔のことだが)、画集でデュフィを見たのは確かだが、もうすっかり忘れていた。小さな画集を2冊 [1,2] ほど眺めて、見ていて楽しそうな絵だということ思いだしてから、東京に向かう新幹線に乗った。
デュフィの絵は、ほんとうに気楽に見ていることができる。分かりやすいデッサンに美しい配色。これはけっして軽んじているわけではないが、上等な雑誌のイラストレーションのようだ。顧客である読者を喜ばせるために附されたイラストのように思うことがある。
この美術展を見終わってから、図録 [3] を読んでいたらソフィ・クレプス(パリ市立近代美術館主任学芸員)がロラン・バルトの言葉を引いて次のように描いていた。少し長いが、デュフィの絵の本質をみごとに説明していると思われるので、引用しておく。
「ギッド・ブルーには絵になるような風景しか出てこない。起伏のある所はすべて絵になる。ここでまたあのブルジョワ層を狙った山の宣伝や、古いアルプス神話が登場する[……]。山がちであることが良しと褒めちぎられ、そのため他の種類の地平線は廃され、同様にその土地の人間性はそこの記念碑の排他的利益を優先して消滅する」 [註] 。デュフィは主題に対して、そして自然に対して優位になることを好んだ。もしこのロラン・バルトの分析が主題に関わることも言っているとすれば、主題についてのデュフィの考え方は彼の顧客でもあるこの優勢な社会層の期待によってあらかじめ方向付けられていることを、分析は明らかにしている。この意味では、画家の向き合う大衆から離反していないし、自身もまた旅行者なのである。デュフィは裕福な社会層の慣習を象徴するような有名な眺望を取り上げている。それはカジノであり、ヤシ並木の散歩道、弧を描く砂浜、水上の祭りやレガッタなどである。彼はあの「美し国フランス」を見せ続けてくれる。シエスタの時の閑散とした広場、活気ある港、夏の陽光の下の小麦畑、青い空、それと同じくらい青い海。牧歌的で平和な光景に、青はかくも向いている。 [4] [註] Roland Balthes,《le guide bleu》, Mythologies[1957], Seuil, Paris, 1970, PP.113-114.
「画家の向き合う大衆」という言葉使いに多少の違和を覚えるが、みごとな解説だと思う。文中、「ギッド・ブルー」とは旅行ガイドブックのことで、良質のイラストという私の感じ方によく対応している。
「画家の向き合う大衆」が、避暑地の海岸でカジノに出入りして人生をエンジョイしている裕福なブルジョワ層であるなら、その期待に応えるデュフィの絵が心地よさを提供するものになることは当然すぎることだ。
《マルティーグ》1903年、油彩、カンヴァス、44×61cm、
ズィエム美術館、マルティーグ (図録、p. 33)。
1877年生れのラウル・デュフィにとって、《マルティーグ》は画業初期の風景画である。10点ほど展示されていた初期風景画の中で、この《マルティーグ》が私の目を惹いたのは、波に映る建物と空の影の美しさのためだ。波立ちに途切れる影、そのリズムがとてもいい。背景の空よりも、映った海面の波に変調された空の色彩がはるかに美しいのである。
《ヴァンスの城壁の眺め》1919年、水彩・鉛筆、紙、50.5×63cm、
ストラスブール近現代美術館 (図録、p. 99)。
ソフィ・クレプス(あるいはバルト)の指摘通り、観光絵葉書に使われそうな絵である。「いいなぁ」と思わず口にしそうになる。絵というよりも、絵に描かれた土地、そのような風景を作りだす土地に憧れるような「いいなぁ」なのである。
それこそデュフィが意図したことだろうと、クレプスは言うのである。
《カルタジローネ》1922-23年、油彩、カンヴァス、65×81cm、パリ国立近大武術館、ポンピドゥー・
センター(ゼルヴォ美術館、ロマン・ロランの家、ヴェズレー寄託) (図録、p. 103)。
《カルタジローネ》は、デュフィの風景画の中ではかなりおもむきが違う。太く荒い筆致で描かれ、雲は重苦しく、海は灰色である。図録解説によれば、「素早さを強調する筆触はより装飾性を強め」、屋根の波形、家々の小さな矩形など、後の風景画に現われる「造形記号を形成しはじめ」た作品だという。
絵の惹起する感情が他の風景画と異なるこの絵を、デュフィが描こうとした契機はなんだったのか知るよしもないが、その異和性が私の興味を強く惹いたことはまちがいない。この絵はほんとうに目立っていたのだ。
《ラングルの風景》1936年、油彩、カンヴァス、65×100cm、株式会社平田牧場 (図録、p. 133)。
デュフィらしい絵のひとつとして、《ラングルの風景》を挙げておく。まさにデュフィらしい心地よい美しさ、ブルーがとてもいい、などと気楽に鑑賞していた。
後で読んだ図録解説では、多少の説明があった方がよい作品らしい。元々この絵は収穫期の麦畑を描くべく写生地が定められたのだが、その当の麦畑は「城塞のふもとの黄色の帯、橋の左側、運河近くの麦が積まれた荷車にしか見出せない」のだ。
恥ずかしながら、解説なしでこれらの黄色が麦を表わしているなどとは思いもしなかったのである。というより、細部を吟味するような見方をまったくしていなかった。そもそもデュフィの絵は細部を吟味するような絵だとは、ついぞ思っていなかったということだ。
《パリ》1937年、油彩、カンヴァス、4面:各190×49.8cm、ポーラ美術館 (図録、p. 149)。
きわめて装飾的だけれども、《パリ》はとても好もしい絵だ。青からワインレッドのような赤、そして黄色への遷移がいい。時間の異なるパリの風景の中に、有名な建物をピックアップして大きく描き、前面に花を配するというのは、まるで俗っぽい観光用宣伝ポスターだけれども、デュフィらしい独立したデッサンと配色がとてもいい雰囲気を構成している。
デュフィの絵の構造はきわめて単純だけれども、どこか松本俊介のモンタージュ手法で描かれた都会(建物と人物)の絵のシリーズを想わせる。俊介の絵の時空構造は、デュフィの絵とは比べものにならないほど複雑だけれども、やはり、線描を越えて塗られる青色がとても美しいのだ。ちなみに、松本俊介はそのような絵を1938年から41年頃に描いている。
《コンサート》1948年、油彩、カンヴァス、81×65cm、
鎌倉大谷記念美術館「大谷コレクション」 (図録、p. 167)。
《パリ》が青の美しさなら、《コンサート》はさしずめ赤の美しさである。オーケストラの背後から観客席の方を描いている。ほとんどの観客はただの小さな円で描かれ、細部を越えて赤が広がっている。
勝手に想像すれば、外は冬で、内部はオーケストラの熱演と観客の静かな興奮で空気がどんどん暖まっていく。赤は空気であり、雰囲気であり、気分なのだ。
《花束》1951年、フレスコ、163.5×122.9cm、宇都宮美術館 (図録、p. 180)。
風景画のデュフィばかり見てきたが、晩年は花の絵もたくさん描いている。テキスタイルのデザインに従事したことがあるデュフィが花々を描いてもなんの不思議もないが、《花束》はそれらの絵の中でもっとも「派手でない」静謐な雰囲気を醸し出している絵である。そして、全展示の最後を飾っていた絵でもある。
《花束》なのに青と緑と白で描かれている。わずかに黄色も使われているが、とくにアクセントになっているという感じもない。むしろ、明るい褐色のテーブル(たぶん)が全体を引き立てている。
最後は、デュフィの印象をまとめるような絵ではなく、デュフィの異なった貌を見たような気分の絵で会場を後にしたのだった。
[1] 『ファブリ世界名画集46 デュフィ』(平凡社、1969年)。
[2] 『新潮美術文庫41 デュフィ』(新潮社、昭和50年)。
[3] 『デュフィ展』(以下、図録)(中日新聞社、2014年)。
[4] ソフィ・クレプス「デュフィの風景画」図録、p. 19。