山崎方代をまた読みたいと思った。種田山頭火や尾崎芳哉とおなじように、山崎方代を読みたいと思うような特別な気分というのがあるようだ。ただし、旅をする山頭火と方代の共通性はあまりないのだが。
この本の編集部の注釈に「本書は山崎方代の全短歌(昭和七年~昭和六〇年)から四百十三首を、制作年時を問わず任意に選び構成したものです」とある。その構成は、ある程度の共通性を持つ歌をまとめてあるようだ。
茶碗の底に梅干の種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ (p. 4)
寂しくてひとり笑えば卓袱台の上の茶碗が笑い出したり (p. 5)
手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲りて帰る (p. 7)
大きな波が寄せてくる 大きな笑いがこみあげてくる (p. 8)
小屋のふた内からひらき陽を入れて心の底から暖まりおる (p. 10)
口ひとつきかずにいるといちにちがながいながい煙管のようだ (p. 14)
本書は、上記のような類の歌がはじめにまとめられている。どこか尾崎芳哉の俳句に共通するような日常の心境が詠われている。
いつしかついて来た犬と浜辺に居る [1]
足のうら洗へば白くなる [2]
わが顔があつた小さい鏡買うてもどる [3]
夜更けの麦粉が畳にこぼれた [4]
火の気のない火鉢を寝床から見て居る [5]
仮寓のような住まいに暮らし、社会との関係が希薄な孤愁を常とする人間は「卓袱台の上の茶碗」や「畳にこぼれた麦粉」に存在論的な意味を尋ねるような感覚を獲得するようである。
方代にはささやかな身辺の事象に信条を仮託する秀句が多いのは確かだが、自己言及型の歌で自分の人生を直截に扱った歌にも考えさせられる歌がたくさんある。『山崎方代全歌集』 [6] を読んだときに、「俺」、「吾」、「方代」のような自己呼称を用いた短歌をピックアップしたことがある。年齢とともに次第に「方代」の使用例が多くなるのだった。それは自らのアイデンティティ探しの歌であったろうと思う。
方代は自らの生れについて詠う。まず、そのような歌を拾い上げてみる。
約束があって生れて来たような気持になって火を吹き起こす (p. 19)
間引きそこねてうまれ来しかば人も呼ぶ死んでも生きても方代である (p. 45)
生れは甲州鶯宿峠(おうしゅくとうげ)に立っているなんじゃもんじゃの股からですよ (p. 84)
このわれが生れ来しために父母はあたふたとあの世にいそぎ給えり (p. 96)
そして、自らの死をも想定している。
早生れの方代さんがこの次の次に村から死ぬことになる (p. 45)
ふるさとの右左口郷(うばぐちむら)は骨壺のそこにゆられてわがかえる村 (p. 85)
たわむれにながろう勿れ・人問よ・暗い梯子が垂れている (p. 100)
地上より消えゆくときも人は暗き秘密を一つ持つべし (p. 127)
誕生と死の間、その人生のなかで自己のアイデンティティを「方代」を用いて探すのである。
このわれが山崎方代でもあると云うこの感情をまずあばくべし (p. 42)
夕日の中をへんな男が歩いていった 俗名山崎方代である (p. 43)
青ぐらい野毛横浜の坂道の修羅を下る流転者方代 (p. 44)
しみじみと三月の空ははれあがりもしもし山崎方代ですが (p. 45)
ころがっている石ころのたぐいにて方代は今日道ばたにあり (p. 42)
踏みはずす板きれもなくおめおめと五十の坂をおりて行く (p. 74)
わたくしの六十年の年月を撫でまわしたが何もなかった (p. 74)
山崎方代のアイデンティティは〈山崎方代〉である、とでも言うようなこのアイデンティティ探しは、しかし、困難な道である。
私にも似たようなことがあったし、今もある。私は国立大学で物理学を生業として生きてきた。私の周囲には「生涯物理学者」、「生涯××学者」として生きるという先輩、同僚が多かった。それは何も学者に限ったことではない。芸術家などはほとんどそうであろうし、匠と呼ばれる職人、名人たちにしてもそうであるだろう。敬服し、感嘆もする人生である。
しかし、私自身は、定年で職を辞す頃には、定年と同時に物理学者であることはやめよう、生涯物理学者という生き方ではなく、別の何者かになりたいと強く願うようになっていた。それで、定年と同時に専門書や大量に集積した論文のすべてを処分した。定年の翌日には坊主頭にした。もちろん、坊主頭にしたからといって何も内実が変わるわけではないが、別の何かになるという気分あるいは象徴(多少の決意)ではある。
別の何者かになる、別の生き方をするなどと言ってはみても、特別に何かをしようとしているわけではない。私は〈物理学者〉というアイデンティティを生きるのではなく、強いて言えば、私は〈私〉というアイデンティティを生きたいと考えていたのである(今でもそうだが)。
山崎方代のアイデンティティは〈山崎方代〉である、という自己言及型の命題を具現化するのは困難には違いない。〈山崎方代〉を主語とする述語を書かなければならない。不可能な還帰にみえる。しかし、人は本来、そのような不可能性を生きるのではないか。私のシニフィエとしての〈私〉、さらに〈私〉のシニフィエとしての述語を生きる。そのような有りようを自覚してあがいてみよう、ということである。
だから、方代短歌に登場する「方代さん」そのものが山崎方代の歌業における最大の主題である。そう言っていいのだと思う。
[1] 『尾崎芳哉句集(二)』(春陽堂、平成2年) p. 12。
[2] 同上、p. 17。
[3] 同上、p. 20。
[4] 同上、p. 24。
[5] 同上、p. 63。
[6] 『山崎方代全歌集』(不識書院、1995年)。