かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

〈読書メモ〉 『現代詩文庫226 國井克彦詩集』(思潮社、2016年)

2024年10月15日 | 読書


 國井克彦は驚くほどの抒情詩人である。徹底しているのである。臆面もなく抒情的である、と言いたくなるほどだ。ただ、國井克彦は自分の詩に対する批判も自分の作品で率直に表していて、自身の抒情性を意識的に眺めていることは間違いない。

〈どんな病いよりも
もっともっと苛酷な世界へと引き入れられ
もう此の世の言葉さえも
忘れかけて来たんだよ。〉
とは一九五五年三月二十六日
十七歳の私が書いたもの
このころ人生雑誌「葦」に投稿したものは
かようにひどいしろもの
たちまち二十六歳の女性から叱咤の手紙が舞い込んだ
こんな感傷的な時点から何が生まれるのか
もっと強くなるかさもなくば死んでしまえ!
(中略)
どこかで会ったことがある可愛い子と思ったら
友人の永田の妹ではないか
永田も文学青年で私の詩集をほめてくれた
妹も文学好きと聞いていたので早速詩集を進呈した
ドサッと舞い込んだ永田の妹の手紙は
一九五五年の二十六歳の女性に輪をかけた
こわーい手紙であった
こんな感傷的な視座からは何も生まれない
強くなる見込みもないから死んでしまえ!
便箋数枚に力強い文字が踊っている
 「怖い手紙」(詩集〈夢〉)部分 (pp. 62-63)

 二人の女性は「感傷的」であることを批判している。15歳から雑誌に詩の投稿を始めたという詩人の17歳のころの作品が感傷的だったかどうか私にはわからないが、しかし感傷と抒情性は違う。感傷は、現実を受動的に受け入れる自分を(多くの場合は現実に打ちひしがれて)慰撫するために生起する感情だろう。こんな詩がある。

花のいのちは短かくて
ぼくのいのちはなお短かい
だが巨大なぼくらのいのち
うたかたの波のまにまに
千年の樹にみのる果実をうずめて
ぼくらはまた戻つてくる
おまえ・ぼく・そしてぼくら
おびただしい出血のあとにぼくはこんなことばをえた
ことばたちが一月の風の小さなうずまきのなかで
おちばやちりあくたとともにくるくる舞つている
 「おまえ・ぼく・そしてぼくら」(詩集〈ふたつの秋〉部分 (p. 17)

 「おまえ・ぼく・そしてぼくら/おびただしい出血のあとにぼくはこんなことばをえた」というフレーズはとても示唆的だ。厳しい経験の後で「おまえ」、「ぼく」、「ぼくら」という言葉を覚える、つまり「他者」、「私」、「われわれ」という哲学がしばしば主題とするような認識に自覚的に到達するのである。スティグレールが「私」と「われわれ」とナルシシズムについて論じている。ひどい脇道に逸れるかもしれないが『愛するということ』(1)という著作の内容をフォローしておくことにする。

ここでのナルシシズムの問題とは、リシャール・デュルンの事件が示すような事態です。「われわれ」を殺害しようとしたデュルン――彼は市議会という「われわれ」の公的な代表を狙ったわけで、それはつまり「われわれ」を殺害することに他なりません――は、自分がこの世に存在していない、つまり彼曰く「生きている実感」が持てないということにひどく苦しんでいました。自分を見ようと鏡を覗き込んでもそこにはぽっかりと空いた穴のような虚無しかない、と彼は言っています。これは『ル・モンド』紙に公開された彼の日記によって明らかになりました。その日記にデュルンは「人生でせめて一度、生きていると実感するために、悪事を働かねばならない」のだと記していました。
 リシャール・デュルンが苦しんでいたのは、本源的な(基盤となる、原型としての)ナルシシズムの能力が構造的に剝奪されていたからです。ここで「本源的なナルシシズム」と私が呼んでいるのは。プシュケpsychè 〔人間の生命原理としての魂、心。「姿見=鏡」をも示す〕の機能に欠かせない構造としての自己愛のことです。この自己愛は時には病的に過剰になることもありますが、しかしそれがなければいかなる形での愛も不可能になってしまう基本なのです。
**リシャール・デュルンRichard Durn 二〇〇二年三月二六日、フランスの青年リシャール・デュルン(三三歳)はパリ郊外のナンテール市議会で銃を乱射し、市議会員八名を殺害し一九人を負傷させた。彼は逮捕されたが二日後投身自殺する。(pp. 21-2)

さて、本源的ナルシシズムは「」だけに関わるものではなく、「われわれ」のナルシシズムというものもあります。つまり「」としてのナルシシズムが機能するためには、それが「われわれ」のナルシシズムの中に投影されなければならないのです。ところがリシャール・デュルンは自分のナルシシズムを作り上げることができず、市議会という本来は「われわれ」の代表であるものの内に、「われわれ」ではない他性、つまり「私」の像を一切送り返してこない、自分を苦しめるだけの「他」という現実を見てしまいました。だから彼は、その「他」を破壊したのです。 (pp. 22-3)

しかしながらわれわれ現代人は、大変特殊な意味においてナルシシズムの苦悩に直面しています。その特殊性とは、現代人がとりわけ「われわれ」のナルシシズムの点で、いわば「われわれというものの病によって苦しんでいるということです。私が「」になれるのは、ある「われわれ」に属しているからこそなのです。「」も「われわれ」も個となっていくプロセスなのですが、そうである以上、「」そして「われわれ」というものはある歴史を有しています。それぞれの「われわれ」が異なる歴史を持っているという意味だけではありません。大事なのは、「われわれ」というものの個体化の条件が、人類の歴史の中で変化するということなのです。 (p. 25)

 そしてスティグレールは『象徴の貧困』(2)において、「われわれ」がわれわれであるためには私たちが共有する象徴(言葉や文化、歴史の記憶把持など)を必要とすると主張する。つまり、「われわれ」の「本源的ナルシシズム」は歴史的、社会的で政治的なパフォーマティヴィティを有しているのである。ナルシシズムとリリシズムは違うけれども、リリシズムは「本源的なナルシシズム」をベースにして、現実や他者を要件として構成され、パフォーマティヴな性格を有しているはずである。私は抒情性をそんなふうに考えている。
 さて、わき道の理屈から立ち返って、國井克彦の抒情を思いっきり味わうことにする

あおい空のしたには
東京の みしらぬ住宅地があつて
さびしい板塀の影をふむと
おまえは いつも
いっさんに逃げていつた

十五のとき せたがやの
それは下馬だったり
中里だつたり
あるいは名もしらぬ路地だつたが
あかるい その秋から
おまえは いつも
いつさんに逃げていつた

どこへ 逃げていつたか
おまえは透明な空へ
かえっていったか
どこへ 消えていつたか
だれも ぼくも
探しようがないのだつた

東京に ひとりぽつちでいると
秋はどこから ことしも
やつてきたのか
ぼくらのうえに でんと もう
かぶさっている
そうしておまえは ぼくの
背中だつたり 影だつたりして
つかまえることのできない
へんなものになつて
遠い あぜみちのように
いまはまるで
黙りこんでいる

あおい空の下に
ふたたび よこたわつている
東京の秋
この秋が また まちがいなく
去ってゆくとき
ぼくらの十代は
終るのだ

ぼくにも 語らないおまえと
おまえにも 語らないぼくは
だれもいなかつた
十五のときにもまして
えんえん
やがておりてゆかねばならない
ひつそりと
おまえも ぼくも
実はおりつづけてきた ぼくらの階段を

親しいぼくらの
季節の驢馬にまたがって
 「秋について」(詩集〈ふたつの秋〉)全文 (pp. 11-121)

 この詩の製作年代はよくわからないけれど、一番目の詩集に収められているので二十歳前の作品ではないかと想像される。抒情というよりもナルシシズムの要素の強い作品で、少しばかり尾崎豊の作った歌詞の香りがする。

ふと私はある婦人からの便りを思いだして読み返す
某日茫茫二十八年ぶりに再会したかつてのお人形のような少女は
美しい女流画家となってクラス会の真ンなかにいた
「八幡通りを憶えていますか?
私はよく自転車を乗り回わして
両手ばなしで歩道にのりあげて ひっくりかえりました
プラタナスの葉がとてもやさしくって 涙が出ましたっけ
坂を下って行くと誰も降りることの出来ない “並木橋”駅が
空にうかんでいたのは……あれは夢だったのかしら……。
もう八幡通りはなくなってしまいました
今……コンクリート敷きのかたすみに
冬花がひっそり咲いているのが とてもかわいそうです」
私はいまは遠い彼女に心で言う
空の並木橋駅
あれは私もみた
あれは夕やけで真ッ赤だったよと
ほんとうは並木橋駅なんてなくなっていたのに
黄色い駅の向こうに夕やけの湖をみて
からだのなかまでが真ッ赤になっていって
長い長い貨物列車を見送っていた気がする
残ったくろい煙が徐々に消えてゆく速度までが思いだされる
この世にないものが美しい
みえないものがみえてくる
この重さが私を支配する
今宵この国でメロディーなんかなんでもいい
「八幡通りを憶えていますか?」
今宵これにすぐる詩の一行目はない
 *括弧内は小学校の同級生•氏香(うじ•かおる)さんの手紙の無断借用(原文の儘)。
 「並木橋駅」(詩集〈並木橋駅〉)部分(pp. 54-55)

 ロマンティックというのはこういうことだろうか。この女性のような手紙を送ってくれる友人は私にはいない(いなかった)けれども、そんな手紙には心が癒されるにちがいない。この詩の最後、「この世にないものが美しい/みえないものがみえてくる/この重さが私を支配する/今宵この国でメロディーなんかなんでもいい/「八幡通りを憶えていますか?」/今宵これにすぐる詩の一行目はない」の詩句は、あたかも抒情詩を書くことへの強い決意とその宣言のように思える。

町の家々に灯がともる頃
僕はみなし児にかえる
遠いいつの日にか見た
フクちゃんの漫画を思い出す
夕暮れの町の風景
あゝ良く似ているなあ
フクちゃんが露地から
とび出して来たよ
僕は僕で
屋根から屋根へ
とびまわったり
あの灯を見つめながら
一人で手をたたいたりする
お月様が
きれいだった
 「夕暮れの街」(詩集〈丘の秋〉)全文 (pp. 85-86)

 「フクちゃん」をいちおう知ってはいるものの、読んでいた新聞が違うのでそれほど馴染みはないのだが、夕暮れ時が妙にリアルな詩である。「僕はみなし児にかえる」ということがよくわからなくて困るのだが、子供時代の私には夕暮れ時はなぜか痛切に切ない時間だった。
 「お月様が/きれいだった」という最終2行の直截さには驚いた。衒いというものが皆無なのである。ここに國井克彦の本質が見えている、そんなふうに言いたくなる2行である。

(1)ベルナール・スティグレール(ガブリエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳)『愛するということ――「自分」を、そして「われわれ」を』(新評論、2007年)
(2)ベルナール・スティグレール(がブルエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳)『象徴の貧困 1 ハイパーインダストリアル時代』(新評論、2006年)



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