《2016年2月12日》
こんなニュースをネットで見つけた。
間もなく新政権が誕生するベルギーが、2025年までの脱原発へ一歩を踏み出した。10月30日の組閣交渉の中で結ばれた主要6政党間の合意に基づき、現存する2カ所の原子力発電所は全て閉鎖される方向だ。ただ代替エネルギー源の確保が条件となっており、調整には時間がかかりそうだ。複数の国内メ ディアが伝えた。
ベルギーは北部ドエル(Doel)と東部ティハンジュ(Tihange)の2カ所に原発を抱え、共に仏公益事業大手GDFスエズ傘下の電力大手エレクトラベルが運営している。合わせて7基ある原子炉のうち最も古い3基を2015年まで、残りを2025年までに廃炉とする計画。2003年に脱原発に向けた関連法が既に成立しているが、今回の合意でこれを堅持することが確認された形だ。
福島事故を受けてドイツが脱原発に踏み切ったことはよく知られているが、チェルノブイリ事故後にはオーストリアは建設した原発を一度も使うことなく閉鎖し、イタリアも1990年にすべての原発を閉鎖した。また、オランダでも2基中1基を閉鎖し、残る1基については耐用年数を全うさせるか早期閉鎖にするか政治的に議論されているものの遅かれ早かれ原発は閉鎖されることになる。スウェーデンでも2010年に全原発廃棄するという政治的決断がなされたこともあり、原発大国フランスが残っているとはいえ、ヨーロッパが脱原発へ向かって進んでいることは確かだ。
こうして先進国では脱原発が進むが、経済成長を夢見る後進国においては原子力エネルギーへの幻想は続いているだろうし、そのような国に原発を売り込もうという悪辣な国もある(日本だが)。このような流れから、いずれ、原子力エネルギーをめぐる周辺国化が始まるのではないかと想像される。福井や福島や青森など経済的に恵まれない農漁村に原発を集中させたように、これからはグローバリズムの名のもとに貧しい国々に原発を集中させて原子力の周辺国化が進められていくのではないか。
日米安保条約や原子力協定ばかりではなく、安倍政権が進めている集団的自衛権行使を可能にする安保法制やTPPによって、日本そのものの周辺国化、属国化が徹底されようとしているとき、その日本が原発輸出を目論んで後進国の原子力に関する周辺国化の先兵的役割を果たそうとするのは、私たちにとっては悲劇であり、世界から見れば喜劇そのものだろう。周辺国の人々からの憎しみは日本に向かい、周辺国から吸い上げた経済利益は日本を素通りしていくことは目に見えている。
原発を止められない日本は、もうすでに周辺国化された東アジアの後進国の一つに過ぎない(いや、経済的にはともかく、政治的・文化的には先進国になったことなど歴史上一度もない)。なのに、愛国主義者たちの嘆きの声が聞こえてこないのはとても奇妙だ。
かつて世界の二大核開発拠点だった米国のハンフォードと旧ソ連のマヤ-クの歴史を批判的に描いた『プルトピア』の著者、ケイト・ブラウン米メリーランド大教授(歴史学)が朝日新聞のインタビューに答えて、次のように話している。
当時〔1950年代〕、原子力発電の技術開発でソ連に後れをとっていた米国は、日本に原子炉を輸出することにしました。広報戦略の一環です。ソ連は、米国の原子炉を「マーシャルアトム」(軍事用の核)だと言ってばかにしていました。米政府はこれを恥じ、アイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」を唱え、原爆被爆地の広島にあえて原子炉を置こうとしたのです。ビキニ事件を受けた日本の反核運動の盛り上がりもあって「広島原発」は実現しませんでしたが、ともあれ、米国製の原子炉が日本に設置されました。それは、原子力潜水艦用に開発された軍事用の原子炉を転用し、民生用の原子炉としては安全性が十分確認されたものではありませんでした。しかし、改良に余分なコストや時間をかけたくなかった。米国は非常に危険でやっかいなものだと知りつつ、ソ連をにらむ西側陣営の日本に輸出した。日本にはエネルギー資源がなく、米国に支配された国だったからこそ実現したのでしょう。
原発を巡るアメリカと日本の関係や、過酷事故を運命づけられたかのような日本の原発の歴史の始まりが、疑いようもなく、簡潔に、明晰に述べられている。「米国に支配された国」に「非常に危険でやっかいな」原発が押し付けられたのである。
しかも、そのように周辺国化というよりも植民地化された日本で、安倍自公政権は福島の人々の犠牲に目を向けようともせず、そのアメリカだけに忠誠を尽くすように日本の原発を守り続けようとしているのだ。
私たちは、日本の無残な政治的状況という点においても、原発に反対してデモを続けるしかないではないか。そのように行動している私たちは、言葉の正しい意味で「愛国者」ではないかと思う(「愛国者」という言葉は歴史的・思想的に薄汚れていて嫌いだが)。愛国主義を標榜する人々のほとんどは安倍自公政権を支持している。そのことは彼らの愛国精神に反しないのであろうか。まあ、彼らの「愛国」とは単に政治権力に従順というだけなのかもしれないが……。
《2016年2月19日》
ベルギーは国として2025年までに7基の原子炉全ての廃棄を目指して着実に進んでいるとばかり思っていた。ところが、ティアンジュ(Tihange)原子力発電所の完全廃炉に向けての作業の中で、2号機を2015年3月に再稼働させたという。そのことに対して、国境で隣接するドイツ西部のアーヘン市が、老朽化したベルギー国内の原発の安全管理が適切に行われていないことを理由に、近々訴訟を起こすと発表した。そんなニュースがあった。
2025年に完全廃炉を目指すといっても、それまでは機を見て運転するということらしいのだが、問題のティアンジュ原発2号機はコンクリートブロックに亀裂が発見されて停止措置が取られていたにもかかわらず、何の手当もなしに再稼働させたということだ。どこの国でも、原発を再稼働させるためには、どこかで安全性を犠牲にするか無視するかしかないようだ。どこまで何をやっても安全を担保することなどができないことを原発推進側も先刻承知なのである。
いまや、原発の危険性は国境を越えた訴訟も辞さない深刻な問題となっている。何の手当もできず、大量の放射能を太平洋に流し続けている日本が環太平洋諸国から訴えられる日がいずれ来るのではないか。そうなれば、取り返しようのない膨大な汚染量に対して補償などの経済的な対応はほとんど不可能だろう。ベルギー原発の訴訟は、EUが定めた原子炉の安全管理基準を法的根拠としているが、そのような協定、条約が環太平洋諸国にないことで安穏とできるような問題とは思えない。
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