その本と出会ったのは小学校5年生のときだった。
新潮文庫の「銀河鉄道の夜」。
表紙は加山又造。深い藍色の宇宙に銀色の鉄道が描かれている。
おそらく、それ以後に読んだ「銀河鉄道の夜」と違い、一番中身が濃い本だった。
宮澤賢治の代表作として「銀河鉄道の夜」を世に広めたのは、当時の解釈に基づいたこの本ではなかったか。
<午后の教室>、
<活版印刷所>、
<おっかさんの牛乳>、
<ケンタウル祭り>
<銀河ステーション>
<鳥獲り>
<ジョバンニの切符>
<青年とふたりの姉弟、さそりの火>
<カムパネルラと石炭袋>
<ブルカニロ博士>
<カムパネルラの死>。
おや、と思った人がいるかもしれない。ブルカニロ博士、って誰?
現在出版されている「銀河鉄道の夜」にはブルカニロ博士という人物は登場しない。
僕が最初に出会った「銀河鉄道の夜」は、現在出版されている「銀河鉄道の夜」とは違う。言うなれば「未分類版」。
1924年ころから執筆されはじめたと推測されている「銀河鉄道の夜」。
だが賢治が死の間際まで推敲をかさね続け、ついに完成することはなかった。賢治は他の原稿とともにこれらを令弟・清六氏に託し、この世を去った(1933.9.21、享年37)。
その後花巻空襲があり、燃えさかる蔵からやっと持ち出せた兄の遺品は、焦げたトランクひとつ。「銀河鉄道の夜」推敲原稿もそこにあった。
原稿は夥しい書き込み(推敲痕)でいっぱい(一部は焼失または減失)。素人目にはどの順番で加筆されていったのかわからない。推敲痕を整理するために、原稿用紙がいつ・どこで買われたものなのか、また推敲に使われた鉛筆またはインクがどういう順番で使用されているのか、長い長い時間をかけて丹念に調査された。
初出版の文圃堂版全集(1934年)では「銀河鉄道の夜」は未完成作品とされ、どの書き込みが最終的なものなのか未分類のまま収録されている。
これを底本として岩波文庫、新潮文庫から本作が出版されている(昭和36(1961)年)。
さらに昭和43(1968)年、岩波文庫、新潮文庫は「銀河鉄道の夜」について独自とも言える改訂を行った。もちろん、最初の原稿整理者、令弟・清六氏を交えた検討の結果である。
自分が初めて手にした「銀河鉄道の夜」はこれだ。
その表紙の絵の美しさとともに、紡ぎ出される幻想世界の絢爛さ、無限大の想像力に圧倒されて、いつしか僕の心に、「幻想」という概念が生まれた。そして「幻想」の荒野には、銀河鉄道の名もなき無人駅舎がぽつんとひとつ、できた。
賢治による「銀河鉄道の夜」の推敲痕は、その後の研究で初期形一~三と名付けられ、それとは別に所謂「異稿」が分類された。異稿はそれまでの記述を大幅に削除しており、初期形三までとはその内容が大きく異なる。現在「異稿」は「最終形(第四稿)」(1974年 筑摩書房版全集(校本)) と位置づけられている。
以後、新潮文庫も校本、つまり最終形「銀河鉄道の夜」を「新編」として出版している。それ以前に出版された未分類版は今や「幻の銀河鉄道の夜」となった。未分類稿はブルカニロ博士も親友の死もどちらも入っており、「いいとこ取り稿」といってもよい。これが幻となるのは惜しい、と正直思う。でもこれが賢治の意図に沿うものかどうかは知る術もない。一方で最終形が決定稿であるとは誰にも断言できない。むしろ多くの人が指摘するように未完成、つまりまだまだ改稿の余地があったのではないかと個人的にも思う。
「銀河鉄道の夜」において、主題を主人公ジョバンニの心の成長に置こうとしていたことは明白である。親友との決別や妹の死などを掘り下げて、作品への反映度として推し量る研究が多くあるが、それらは一旦整理され・浄化された上で物語は構築されていると思いたい。「みんなのほんとうの幸」という、人類史上もっとも難しい課題を提言しているからである。そもそも、今になってこれほどまでに賢治の私的な部分が執拗にほじくり返されるのは何故だろうか。宗教のことはさておき、友人達に対する感情または妹への愛、さらには交流のあった女性にいたるまで、時には同性愛めいた、またはシスコンめいた推測までされている。しかし彼には世間の耳目をあつめるような醜聞があったわけでもなく、背任行為があったわけでもない。ただ真面目に、農民を想い、行者として生き、早逝した献身の詩人である。そんなにイジくらなくても・・・と思ってしまう。
いや、詩歌・詩篇などには心情や心理、立場が色濃く織り込まれることがあり、それをよく理解するために原作者の私事情を掘り下げることはあるかもしれない。では児童文学など少年少女を読者として想定している物語ではどうだろう。原作者の私事情を露わにすることで作品を解説するような事例はあるのだろうか。
話題が逸れた。
「銀河鉄道の夜」において推測される賢治の意図はただひとつである。
不安定な家庭環境(父親の不在=密漁と暴力沙汰や拿捕説まである!、母親は貧困と心労で病を得る)と、それゆえに同年齢の子どもたちとも上手くいかなくなっている孤独な主人公ジョバンニが、日常とは違う幻想四次元の世界に飛ばされる。孤独感に苛まれている彼だったが、そこで出会う人々の言葉や体験から次第に「みんなのほんとうの幸(さいわい)」について考えるようになる。自分のではなく、友の、誰かの、みんなの。
そんな物語なのだから、もう作家の私生活を暴いて、作品の背後に並べるようなことはそろそろやめたらいいのではないか。
むしろこのように利己を柵を乗り越えて、「みんなのほんとうの幸」を追求するようになった、そのような視点を、賢治はいつごろ、どこで獲得したのだろう。そこからジョバンニの決意に至るまで、どのような軌道を描いていたのか。そういった研究成果をいまこそ読みたい。
新潮文庫の「銀河鉄道の夜」。
表紙は加山又造。深い藍色の宇宙に銀色の鉄道が描かれている。
おそらく、それ以後に読んだ「銀河鉄道の夜」と違い、一番中身が濃い本だった。
宮澤賢治の代表作として「銀河鉄道の夜」を世に広めたのは、当時の解釈に基づいたこの本ではなかったか。
<午后の教室>、
<活版印刷所>、
<おっかさんの牛乳>、
<ケンタウル祭り>
<銀河ステーション>
<鳥獲り>
<ジョバンニの切符>
<青年とふたりの姉弟、さそりの火>
<カムパネルラと石炭袋>
<ブルカニロ博士>
<カムパネルラの死>。
おや、と思った人がいるかもしれない。ブルカニロ博士、って誰?
現在出版されている「銀河鉄道の夜」にはブルカニロ博士という人物は登場しない。
僕が最初に出会った「銀河鉄道の夜」は、現在出版されている「銀河鉄道の夜」とは違う。言うなれば「未分類版」。
1924年ころから執筆されはじめたと推測されている「銀河鉄道の夜」。
だが賢治が死の間際まで推敲をかさね続け、ついに完成することはなかった。賢治は他の原稿とともにこれらを令弟・清六氏に託し、この世を去った(1933.9.21、享年37)。
その後花巻空襲があり、燃えさかる蔵からやっと持ち出せた兄の遺品は、焦げたトランクひとつ。「銀河鉄道の夜」推敲原稿もそこにあった。
原稿は夥しい書き込み(推敲痕)でいっぱい(一部は焼失または減失)。素人目にはどの順番で加筆されていったのかわからない。推敲痕を整理するために、原稿用紙がいつ・どこで買われたものなのか、また推敲に使われた鉛筆またはインクがどういう順番で使用されているのか、長い長い時間をかけて丹念に調査された。
初出版の文圃堂版全集(1934年)では「銀河鉄道の夜」は未完成作品とされ、どの書き込みが最終的なものなのか未分類のまま収録されている。
これを底本として岩波文庫、新潮文庫から本作が出版されている(昭和36(1961)年)。
さらに昭和43(1968)年、岩波文庫、新潮文庫は「銀河鉄道の夜」について独自とも言える改訂を行った。もちろん、最初の原稿整理者、令弟・清六氏を交えた検討の結果である。
自分が初めて手にした「銀河鉄道の夜」はこれだ。
その表紙の絵の美しさとともに、紡ぎ出される幻想世界の絢爛さ、無限大の想像力に圧倒されて、いつしか僕の心に、「幻想」という概念が生まれた。そして「幻想」の荒野には、銀河鉄道の名もなき無人駅舎がぽつんとひとつ、できた。
賢治による「銀河鉄道の夜」の推敲痕は、その後の研究で初期形一~三と名付けられ、それとは別に所謂「異稿」が分類された。異稿はそれまでの記述を大幅に削除しており、初期形三までとはその内容が大きく異なる。現在「異稿」は「最終形(第四稿)」(1974年 筑摩書房版全集(校本)) と位置づけられている。
以後、新潮文庫も校本、つまり最終形「銀河鉄道の夜」を「新編」として出版している。それ以前に出版された未分類版は今や「幻の銀河鉄道の夜」となった。未分類稿はブルカニロ博士も親友の死もどちらも入っており、「いいとこ取り稿」といってもよい。これが幻となるのは惜しい、と正直思う。でもこれが賢治の意図に沿うものかどうかは知る術もない。一方で最終形が決定稿であるとは誰にも断言できない。むしろ多くの人が指摘するように未完成、つまりまだまだ改稿の余地があったのではないかと個人的にも思う。
「銀河鉄道の夜」において、主題を主人公ジョバンニの心の成長に置こうとしていたことは明白である。親友との決別や妹の死などを掘り下げて、作品への反映度として推し量る研究が多くあるが、それらは一旦整理され・浄化された上で物語は構築されていると思いたい。「みんなのほんとうの幸」という、人類史上もっとも難しい課題を提言しているからである。そもそも、今になってこれほどまでに賢治の私的な部分が執拗にほじくり返されるのは何故だろうか。宗教のことはさておき、友人達に対する感情または妹への愛、さらには交流のあった女性にいたるまで、時には同性愛めいた、またはシスコンめいた推測までされている。しかし彼には世間の耳目をあつめるような醜聞があったわけでもなく、背任行為があったわけでもない。ただ真面目に、農民を想い、行者として生き、早逝した献身の詩人である。そんなにイジくらなくても・・・と思ってしまう。
いや、詩歌・詩篇などには心情や心理、立場が色濃く織り込まれることがあり、それをよく理解するために原作者の私事情を掘り下げることはあるかもしれない。では児童文学など少年少女を読者として想定している物語ではどうだろう。原作者の私事情を露わにすることで作品を解説するような事例はあるのだろうか。
話題が逸れた。
「銀河鉄道の夜」において推測される賢治の意図はただひとつである。
不安定な家庭環境(父親の不在=密漁と暴力沙汰や拿捕説まである!、母親は貧困と心労で病を得る)と、それゆえに同年齢の子どもたちとも上手くいかなくなっている孤独な主人公ジョバンニが、日常とは違う幻想四次元の世界に飛ばされる。孤独感に苛まれている彼だったが、そこで出会う人々の言葉や体験から次第に「みんなのほんとうの幸(さいわい)」について考えるようになる。自分のではなく、友の、誰かの、みんなの。
そんな物語なのだから、もう作家の私生活を暴いて、作品の背後に並べるようなことはそろそろやめたらいいのではないか。
むしろこのように利己を柵を乗り越えて、「みんなのほんとうの幸」を追求するようになった、そのような視点を、賢治はいつごろ、どこで獲得したのだろう。そこからジョバンニの決意に至るまで、どのような軌道を描いていたのか。そういった研究成果をいまこそ読みたい。
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