「人や銀河や修羅や海胆(うに)は」
この単語にピピンときてしまった。
これって宮澤賢治の「春と修羅」の序文じゃないですか。
あ、でもこれ演劇だ。どこの? TheatreGroup“OCT/PASS”? お、地元の老舗じゃないですか。
うわ、ど、どこで上演するの? あ、巡回講演なんだ。
情報を集めていたら、秋保のほうねん座さんからも案内が届いた。
OCT/PASSさん、秋保にも来るんだね。・・・よっしゃ。
秋保ではチャリティパフォーマンスを開催するらしい。ほうねん座さんもステージあり。お、これは楽しみ。
というわけで、平成23年7月24日(日曜日)、秋保のほうねん座さんのトコロ(正しくは久賀山荘前デッキ)に行ってきました。
ほうねん座さんには、一度「夏合宿」でお邪魔したことがある。太鼓叩いてなんだかスカッとした気分で帰ってきた記憶がある。
座長さんをはじめ、みなさんますますお元気で。なんだか震災があったのがウソみたく思えてくるくらい明るい明るい!
こうやってあらためて聴くと、民族芸能ってJAZZに似ているよな・・・。ソウルダンスかつソウルミュージックなんだよね。きっと根っこは同じなんだろうな。もちろん、今日のパフォーマンスには「ことほぐ」という役割があるから、あまり内面的にえぐりこむような空気は出していなかったけど。
その後、しばらく休演して、いよいよ「人や銀河や修羅や海胆は」開演。
「ハンムンムンムン・ムネネ村」の人々が、こんど赴任してくる中学校の教師・賢治さんの登場を、今か今かと待っているところからお話は始まる。
意外にも笑いが多かった。キャラも強烈なのばっかり。
宮澤賢治役の人だけがクールに好青年を演じ続けた。
劇中、「鹿踊り」のくだりがあった。タイ舞踊なども取り入れた鹿の独特の動きに魅了された。セリフ運びも気持ちいい。
今日に至るまでに相当濃密な稽古があったのだろうと想像した。
とにかく、子供が多かったせいか、客席からはしきりにゲラゲラ笑うこえが湧いた。
大丈夫かなぁ、劇というよりコントになりつつあるんだけど?
ところが、ふと、間をおいて、場面は「永訣の刻」へと展開する。
夜のとばりをごとごと走る軽便鉄道のその車輌に、ひっそりとすわる生き物たちの姿。
「ひかりの素足」の楢夫、「よだかの星」のよだか、「グスコーブドリの伝記」のブドリ、「なめとこ山の熊」の小十郎と熊。
やっぱり出たか。
みんなみんな、賢治の中の何かを伝えるために死んでいった、賢治の古い友人たち。
「だれも苦しまなくていい世界」
そのために邁進できた人、したくても出来なかった人、
でもみんな他者の苦しみが見えていた。そこへ寄り添う方法も知っていた。ただそれは、あまりに遠くにあった。
ばかで、めちゃくちゃで、てんでなってないドングリでいい。デクノボウと呼ばれてもなんでもかまわない。そこへいって寄り添える人、みんなそうなりたがっていた。それを望んでいた。
被災した人々がすぐ近くにいるのに、そこへ飛び込んでいけない僕の焦燥に、それはちょっと似ていた。
汽笛が鳴った。賞賛でもねぎらいでもない、ただすきとおるようにまっすぐぴいんと響く汽笛。
(そのほんとうの汽笛が僕にも聞こえるほど穏やかで涼やかな心持ちになるまでには、いったいどのくらい・・・。)
いま、永訣の刻が来ていた。そしてそれは、本当の永訣の始まりへとつながる・・・。賢治の目の前には、妹トシが座っていた・・・。
最後に、「ハンムンムンムンムン・ムムネ」は「ペンネンネンネンネン・ネネム」とも言い、それはいずれも「グスコーブドリ」を自己パロディした作品群です。それもかなりコメディ・タッチでね。
うん、面白かった。
キャラ強烈だったけど、それをこなす役者さん、すごいですね。
あのあと、みんなちゃんと「素」にもどれたかしら?
この単語にピピンときてしまった。
これって宮澤賢治の「春と修羅」の序文じゃないですか。
あ、でもこれ演劇だ。どこの? TheatreGroup“OCT/PASS”? お、地元の老舗じゃないですか。
うわ、ど、どこで上演するの? あ、巡回講演なんだ。
情報を集めていたら、秋保のほうねん座さんからも案内が届いた。
OCT/PASSさん、秋保にも来るんだね。・・・よっしゃ。
秋保ではチャリティパフォーマンスを開催するらしい。ほうねん座さんもステージあり。お、これは楽しみ。
というわけで、平成23年7月24日(日曜日)、秋保のほうねん座さんのトコロ(正しくは久賀山荘前デッキ)に行ってきました。
ほうねん座さんには、一度「夏合宿」でお邪魔したことがある。太鼓叩いてなんだかスカッとした気分で帰ってきた記憶がある。
座長さんをはじめ、みなさんますますお元気で。なんだか震災があったのがウソみたく思えてくるくらい明るい明るい!
こうやってあらためて聴くと、民族芸能ってJAZZに似ているよな・・・。ソウルダンスかつソウルミュージックなんだよね。きっと根っこは同じなんだろうな。もちろん、今日のパフォーマンスには「ことほぐ」という役割があるから、あまり内面的にえぐりこむような空気は出していなかったけど。
その後、しばらく休演して、いよいよ「人や銀河や修羅や海胆は」開演。
「ハンムンムンムン・ムネネ村」の人々が、こんど赴任してくる中学校の教師・賢治さんの登場を、今か今かと待っているところからお話は始まる。
意外にも笑いが多かった。キャラも強烈なのばっかり。
宮澤賢治役の人だけがクールに好青年を演じ続けた。
劇中、「鹿踊り」のくだりがあった。タイ舞踊なども取り入れた鹿の独特の動きに魅了された。セリフ運びも気持ちいい。
今日に至るまでに相当濃密な稽古があったのだろうと想像した。
とにかく、子供が多かったせいか、客席からはしきりにゲラゲラ笑うこえが湧いた。
大丈夫かなぁ、劇というよりコントになりつつあるんだけど?
ところが、ふと、間をおいて、場面は「永訣の刻」へと展開する。
夜のとばりをごとごと走る軽便鉄道のその車輌に、ひっそりとすわる生き物たちの姿。
「ひかりの素足」の楢夫、「よだかの星」のよだか、「グスコーブドリの伝記」のブドリ、「なめとこ山の熊」の小十郎と熊。
やっぱり出たか。
みんなみんな、賢治の中の何かを伝えるために死んでいった、賢治の古い友人たち。
「だれも苦しまなくていい世界」
そのために邁進できた人、したくても出来なかった人、
でもみんな他者の苦しみが見えていた。そこへ寄り添う方法も知っていた。ただそれは、あまりに遠くにあった。
ばかで、めちゃくちゃで、てんでなってないドングリでいい。デクノボウと呼ばれてもなんでもかまわない。そこへいって寄り添える人、みんなそうなりたがっていた。それを望んでいた。
被災した人々がすぐ近くにいるのに、そこへ飛び込んでいけない僕の焦燥に、それはちょっと似ていた。
汽笛が鳴った。賞賛でもねぎらいでもない、ただすきとおるようにまっすぐぴいんと響く汽笛。
(そのほんとうの汽笛が僕にも聞こえるほど穏やかで涼やかな心持ちになるまでには、いったいどのくらい・・・。)
いま、永訣の刻が来ていた。そしてそれは、本当の永訣の始まりへとつながる・・・。賢治の目の前には、妹トシが座っていた・・・。
最後に、「ハンムンムンムンムン・ムムネ」は「ペンネンネンネンネン・ネネム」とも言い、それはいずれも「グスコーブドリ」を自己パロディした作品群です。それもかなりコメディ・タッチでね。
うん、面白かった。
キャラ強烈だったけど、それをこなす役者さん、すごいですね。
あのあと、みんなちゃんと「素」にもどれたかしら?
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