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あいたか橋と懐かしい電車




 「あいたか橋」は、
博多湾の人工島・アイランドシティと
香住ケ丘をつなぐ海上遊歩道です。

歩行者専用海上橋としては日本最大級の長さを誇り、
御島(みしま)水域の美しい眺めが楽しめます。

先日、ウォーキングで行ってきました。
(西鉄、JR)千早駅から、約4キロのコースです。 
天気は良く、快適に歩けました。

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香椎浜北公園を通って、
先ずは「アイランドシティ」へ向かいます。


香椎潟の海の中に鳥居が建っている所は、
香椎宮の境外末社「御島(みしま)神社」です。
ここは、神功皇后伝説の地です。


「御島かたらい橋」の歩道を歩いて、アイランドシティに渡り、
写真は省略して、「あいたか橋」です。


全長約430m、幅4m、橋上からの眺めは抜群、
途中、休憩所?もあって、デートコースにいいだろうなぁ!
(野鳥観察も出来ます。)

クリックで大きくして見れば、
かしいかえんの観覧車が・・・、実は取り壊し中でしたが。


あいたか橋を渡りきりました。 
向こうに見えるのは、アイランドシティです。


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 ゴールは、「かしいかえん」でした。
今回のウォーキングは、
西鉄主催の「レールあんどハイク」です。
西鉄のウォーキングも、たま~に、参加しています。
ここは参加特典がいいです。
今回は、サントリードリンク、カゴメドリンク、森永乳業ドリンクを頂き、そして「かしいかえん」の入園料が無料でした。



園内で、北九州を走っていた西鉄電車に再会しました。



「折尾行き」の電車です。



こちらは、北方線を走っていた電車です。
北方線の廃止は、1980年(昭和55年)11月2日。

それは、
北九州市内の西鉄路面電車廃止の始まりでした。

北方線は狭軌(1067mm)だったので、
他の路線と繋がることはなく、
魚町~北方間の4.6kmでした。



この北方線の電車は廃止後、
土佐電鉄に譲渡され、活躍していたようですが、
色々あって現役引退、流れ流れて?
2012年に、ここ「かしいかえんに」移設されています。

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博多弁まる出しの「あいたか橋」、
ネーミングが気に入っています。
「恋人の聖地」には、ならないのかなぁ!

「あいたか橋」を渡るのは3回目ですが、
「かしいかえん」に入ったのは、全くの初めてです。
遊園地と花園(かえん?)ですが、狭いです。 
到津の1/10 以下かな?
遊戯施設の乗り物も数あり、家族で楽しめる場所です。


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ここが『発祥の地』、長崎


崎は、江戸時代異国との唯一の窓口として開かれており、
「 日本初 」 なら、
日米修好通商条約により開港した横浜にも負けません。

『ここが「発祥の地」、長崎を巡る』 JRウォーキングです。
5月14日、長崎まで行ってきました。

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長崎港で見た豪華客船、「サファイア・プリンセス」です。

2002年10月、三菱重工業長崎造船所で建造中の豪華客船に、
火災騒ぎがありました。 その時の船です。

当時、同規模の豪華客船2隻が建造中でした。
「ダイヤモンドプリンセス」と「サファイアプリンセス」です。
元々、この船は「ダイヤモンド」になる筈でしたが、
「サファイア」に変身しました。

旅客定員:2,670名、乗組員:1,100名、兎に角デッカイです。
(写真は全てクリックで大きくなります。)


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 発祥の地巡り、                 
 
先ずは、「ちゃんぽん発祥の店」 四海楼 です。
大浦天主堂へ行く坂道の下にありました。

 店の玄関横には、「ちゃんぽん」事始め の説明文が。 
「皿うどん」も、ここが発祥(店)でした。
ここのちゃんぽんを食べたかって? まだ時間が早かった。




「国際電信発祥の地」                     
四海楼の前の長崎全日空ホテルの敷地内、
大浦天主堂、グラバー園へ行く坂道の起点にありました。
明治4年(1871)長崎~上海、長崎~ウラジオストック間に、
デンマーク系の大北(たいほく)電信会社によって、
海底電信線が開通しました。
日本と世界が、初めて即時に情報交換ができるようになり、
ここが最初に設けられた通信所があった所です。

(説明板より抜粋)



「ボウリング発祥の地」                        
大浦天主堂、グラバー園へ行く坂道の途中です。
 わが国最初の英字新聞、「ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー(The Nagasaki Shipping List and Advertiser)」の1861年(文久元年)6月22日の創刊号に、「インターナショナル・ボウリング・サロンがオープン」の広告が掲載されました。 日本ボウリング場協会はこの日を「ボウリングの日」に定めています。
 (説明板が無かったので、ネットで調べました。)




大浦天主堂 です、今回はパス。 
40年以上前に、一度入ったような気がするが、・・・?



グラバー園 、中に入りました。 (40数年ぶりかな?)
一番上に登りつめたとこのにある旧三菱第2ドックハウスです。 
ドックハウスとは修理のために船が造船所に入っている間、
乗組員たちが宿泊した施設です。明治29年に造られました。



旧グラバー邸        、                 
1863年に建てられた、現存す日本最古の木造西洋風建築です。
(世界遺産、国指定重要文化財)



グラバー園から見た停泊中の「サファイア・プリンセス」
総トン数:116,000t 全長:290m デッキ数:18階、 
まさに動くホテルです。
この日は、中国上海からの爆買日本観光ツアー客だったようです。



グラバー園内に、「西洋料理発祥の碑」 がありました。


説明板がありましたので、こちらをご覧ください。



グラバー園は、安政6年(1859年)の長崎開港後に、
長崎に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、
オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた
歴史的建造物を移築して出来た観光施設・庭園です。
勿論、グラバー、リンガー、オルトの旧邸は残っており、
いずれも国指定重要文化財です。

小高い丘の斜面で、
一番上の旧三菱第2ドックハウスまで登るには、
エスカレーターと、動く歩道(動く斜面道)で行けます。
1時間近くいたが、建物内部・展示物見学など、
全部廻りきれなかった。

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「鉄道発祥の地」 大浦海岸通りの長崎市民病院前です。
横浜-新橋間の(営業)鉄道の7年前、慶応元年(1865)のことです。 居留地の海岸通り(今の市民病院前から松ヶ枝橋まで)約600mを2両の客車に乗客を乗せた陸(おか)蒸気が走りました。




 以上で、発祥の地巡り は終わりです。
実はもう1ヵ所、「バトミントン伝来の地」 があり、
出島の近くだと思っていたら、後で気が付いたが出島の中だった。 出島に入る予定は最初からなかったのでパスしました。
(3年前に入っていたので、)

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長崎と言えば、眼鏡橋 です。
ウォーキングのコースを外れて、行ってみました。
前回来た時はパスしたので、3年ぶりかな

寛永11年(1634)に架設された日本最古の石造アーチ橋です。
水害で何度か破損しましたが、その都度、修復されています。
勿論、国の重要文化財です。 立派ですねぇ~!
残念だったのは、川の水は多かったが少し濁っていて、
鮮明な眼鏡型の写真が撮れなかった。



前回来た時、
川の石垣にあるハート型の石を1個見つけました。
今回、もう一度! 探したが、見付かりませんでした。
(数か所(数個)あるらしいです。)



下に降りて、探してみたが、・・・?



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家に帰って、3年前の写真で確認。 赤の矢印の所です。
ヒントは、堰の近くだった。(黄の矢印)
かなり、袋橋寄りだったのかな?





この後、ウォーキングコースに戻って、
県庁 → 諏訪神社 → 長崎歴史文化博物館 → 長崎駅 で、
初めて歩くルートでした。
(今回のコースの県庁までのルートは、以前歩いたことがありました。)

「発祥の地巡り」は予想通り、石碑類があるのみで、
目を閉じれば、昔の栄華の頃が想像できる?
歴史に乏しい頭では、そんな事は全然ありませんでした。
まあ、もの好きさんのアリバイ?工作みたいものです。

長崎市内のウォーキングは、個人的なのを入れて4回目、
もう少し長崎の歴史を勉強して歩けば、味わい?があるかも。



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直方の桜とチューリップ


 毎年この時期に、
「直方チューリップフェア」が開かれています。
そして、ウォーキングも。
 
日曜日(3日)に、行ってきました。


(写真は全てクリックで大きくなります。)

桜は満開、申し分ないです。
ここは、遠賀川と彦山川の合流点の中洲です。





 こちらは、
その中洲にある「直方チューリップフェア」の会場、
咲き具合は? ご覧のとおりです。
 
チューリップは、フェアの期間中に見頃とは?
今年は、いかなかったようです。
(もう終わりじゃなくて、咲き始めでした。)








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これはJRウォーキングです。
駅をスタートして、まずは「もち吉」へ、
もち吉三連水車、もち吉のチューリップ園を見て、
「直方チューリップフェア」会場へ。

その後、直方歳時館 → 石炭記念館 → ゴール
満開の桜を見ながら、所によっては桜吹雪もあり、
春爛漫を感じたウォーキングでした。

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臼杵の石仏に逢いたくて、




 11月23日10時35分、臼杵駅に降り立った。
およそ50年ぶりです。でも、何にも思い出せない。
ここからバスに乗って、「臼杵石仏」を観に行った以外は。

その石仏さん、
駅前に出張?していて、出迎えてくれました。



しばらく歩いていくと、お城(臼杵城)が見えました。
大友宗麟が、臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城した海城で、
当時は断崖絶壁で海に囲まれた城として有名だったそうですが、
現在は、埋め立てにより地続きで、
臼杵公園として整備されています。
下から眺めただけで、中には入っていません。



臼杵は、
臼杵藩(稲葉氏)5万石の城下町として栄えた町です。

ここは昔の町並みを残した町人の町(商店街)かな?
他にも、数多くの城下町の面影が残っているようでした。
今回は、チラッと!

目的が、紅葉と石仏を訪ねる「ウォーキング」ですから。
時間があれば、ゆっくりと城下町の散策もいいようです。



♪*:・’゜♭.:*・♪’゜。.*#:・’゜.:*♪:・’.:♪*:・’゜♭

今回の目的地の一つ、臼杵の紅葉の名所「白馬渓」です。



「白馬渓」の説明です。(クリックで大きくなります。)


この渓谷の一番高いところに、
伊勢神宮の外宮豊受大神の御分霊が祀られています。



ちょっと急な坂道(参道)を、渓流に沿ってジグザグに、
小さな石橋を渡って登っていく。
周りの紅葉を鑑賞しながら、とは、いかなかったです。










小さな石橋が多いなぁ! 後で、説明看板を読んだら、
天保4年(1833年)の作で、現在8基残っているそうです。
(撮った証拠写真は足りないです。 見落とし?)

♪*:・’゜♭.:*・♪’゜。.*#:・’゜.:*♪:・’.:♪*:・’゜♭

れより、国宝の臼杵石仏の見学です。



(クリックで大きくなります。)


石仏群は4群に分かれ、
ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、ホキ石仏第2群、
山王山石仏、古園石仏、と名付けられています。
(各々、そこの地名だそうです)

ちゃんと標識(看板)があったのですが、
メモしてないので、どれがどれだか?(写真は一部です)







臼杵石仏は、
すべて切り立った岩肌に彫られた磨崖仏です。
昔は無かったと思うが、屋根付き建屋で保護されています。
けっして、観光用の為ではなく、風化を防ぐ為です。

また、地衣類(コケやシダ)が生えないように、
紫外線(殺菌灯)照射で、クリーニングも行っているそうです。
その準備で、やぐらが組まれた石仏もありました。



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昔、ここを訪れた方なら、見覚えがある石仏だと思います。
古園(ふるぞの)石仏と言い、中尊は大日如来像です。

本当のことを言えば、
この石仏さん・大日如来像に、再会したくて来ました。


>


上の写真を見ても、思い出せないですか?

それなら、傍にあったこの写真は?
以前は、落ちた仏頭が仏体下の台座の上に安置されいました。
平成5年に、保存の為の修復に合わせ、仏頭も復位されたそうです。
(クリックで大きくなります。)


仏頭が落ちた状態の大日如来像、
長く人々に愛され続け、世界的にも有名だったそうで、
それなりに、良さはあったと思うが、
完全な大日如来像に戻り、喜ぶべきだと思います。

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ウォーキングは約10Kmでしたが、
4時間以上も経かった。 それだけに、疲れました。
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帰りの臼杵駅ホームです。石仏さんがお見送り(お出迎え)、
行きは気が付かなかった。(反対側のホームでしたから) 



同じホームに、「早春賦」の歌詞を書いた碑がありました。

   春は名のみの風の寒さや

作詞の吉丸一昌氏は臼杵の出身だそうです。


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平戸の草原を歩く


 先月(9月)のウォーキングです。
JR佐世保駅から、シャトルバスに乗って1時間、
「平戸港交流広場」から、スタートしました。



平戸といえば、キリシタンの島、
『長崎の教会群とキリスト教関連遺産』 として、
来年の世界遺産登録を目指しています。

今回のウォーキングでは、そこを歩くのが目的ではなく、
教会類は、横目で見ながら進みました。
(平戸港近くのザビエル像)



途中、寄った最教寺です。(ひときわ目立つ三重塔)
ここでは毎年、節分の日に、「子泣き相撲」が行われます。
「泣く子は育つ」 早く泣いた方が勝ち! 
1歳前後の赤ちゃんたちが参加します。
テレビのニュース等で、お馴染みですね。



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長い長い、あまり変化のない坂道を、黙々と登って、
やっと、たどり着いたところは、緑の草原でした。
今回のウォーキングは、ここからが本番かな。



爽やかな風が 吹いていた 
少し汗ばんだ体には 心地よかった
しばし 休憩して
若者?は また歩き始めた

  風にふるえる 緑の草原      
   たどる瞳かがやく 若き旅人よ









今年は、西海国立公園60周年 だそうです。
平戸の1/5は、「西海国立公園」に指定され、
美しい海と大自然が広がっています。

西海国立公園内の 「川内(かわち)峠」、
大草原が広がり、海や島が一望できる絶景地でした。



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川内峠より下って、千里ヶ浜に到着

鄭 成功(てい せいこう)像、平戸生まれのアジアの英雄、
中国の歴史には詳しくないが、明朝の復興に清と戦った?
その成果(結果)は?
 
近松門左衛門作の人形浄瑠璃『国性爺合戦』のモデルとか。



千里ヶ浜の海岸線(砂浜)を、約2キロ近く歩きました。



突如、騎馬隊?を発見! 乗ってるのは、外人さんでした。



ここにも、鄭 成功 がいました。 生誕の地です。
現在の住所は、平戸市明の川内町(あけのかわちちょう)



ウォーキング・ゴールの鄭成功記念館、
生家を復元したとか。 
母・マツと一緒の像(鄭成功、旅立つ7歳の時かな?)



 母・マツは、
1645年鄭成功の招きにより中国泉州に渡りますが、
やがて清の攻撃による泉州城陥落に際し、城内にいたマツは、
降伏することなく泉州城内で自害し日本女性の意気を示したそうです。




この日(9月12日)天気は曇り空、
午後から青空も見えて、ウォーキング日和でした。

平戸に草原があって、
そこを歩くとは、思ってもいなかった。
(相変わらす、下調べをしてないなあ!)

それに、鄭成功 なんて、全然知らない。
近松門左衛門の「国性爺合戦」、聞いたことはあるが、
その内容までは? 
今回、ほんの少し勉強になりました。

帰りは、川内町からシャトルバスで佐世保へ。
乗った途端、大粒の雨が。 平戸大橋付近まで雨でした。


シャトルバスから、チラッと見えた市役所?へ渡る橋、
ウォーキングコースには、入っていませんでしたが、
コースを外して見てきました。 幸橋(さいわいばし)です。
歴史的に古い石橋で、国の重要文化財に指定されています。



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