北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
八幡の東西境界線を歩く
八幡東西区の境界は?
大体、分っていたがMapionで確認して、歩いてみました。
旧電車通りから八幡中央高校までです。(歩ける範囲)
八幡の今、東西の境界辺りの風景をご覧下さい。
地図上の番号の位置と、写真の番号は対応しています。
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そのー1
①、旧電車通り、西鉄バス停【桃園】より西寄りの所
(この道路が境界線です)
写真左側が東区(桃園2)、右側が西区(陣山1)です。
②、右に曲がって、西の方向に向かっています。
左側が東区(桃園公園)、右側は西区(陣山1)
この道路は、旧電車通りの一つ上の道です。
③、旧電車通りからの道と交差、道の向こうが西区(陣山2)
これより左に曲がって、南の方向に進みます。
④、左側が東区(桃園3)、右側が西区(陣山2)
(下の写真は、陣山市民センター(旧公民館)です。)
陣山は西区だが、
東区の桃図に陣山市民センターが、この辺がややこしい。
⑤、さらに進むと、山手(線)のバス道路へ、(陸橋がある所)
⑥、陸橋から東区を望む(左:桃園公園 右:桃園陸上競技場)
⑦、陸橋から西区を望む(左:清納1 右:陣山3)
⑧、陸橋を下って、左は桃園陸上競技場(東区)右は西区清納1
⑨、道脇から桃園陸上競技場(東区)が見えました。
⑩、さらに上っていくと、花尾中学です。
⑪、花尾中学は東区(桃園4)、右は西区(清納1)
⑫、門が開いていたので、ちょっと門の内側に入りました。
校舎は10数年前、建て替わっています。
旧校舎前にあった記念碑です。
(この画像はクリックで大きくなります。)
⑬、中学の裏側です。右は西区(西川頭町)
右手を見たら、ごうとう山です。
昔は石を採掘していて、山肌がむき出し(ハゲ山状態)でした。
⑭、桃園球場が見えました(東区)
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そのー2
⑮、正面の山、皿倉山です。 左(東区祇園4)、右(西区東川頭町)
⑯、さらに進んで、左:東区祇園原町、右:鳥野神社(西区東川頭町)
⑰、さらに上って行くと、突き当たった所が八幡中央高校、
中央高校を含めて右側が西区元城町です。
⑱、正門が開いていたので、ちょっと入り込みました。
境界線は高校の敷地を西区に入れて、道らしきものはありませんでした。
(この画像はクリックで大きくなります。)
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八幡の行政の歴史を調べてみました。
・明治22. 4. 1 八幡村の誕生(尾倉・大蔵・枝光村が合併)
・〃 33. 2.15 八幡町に昇格
・大正 6. 3. 1 八幡市となる
・〃 14. 4.28 企救郡板櫃町の一部(槻田及び板櫃の一部)を編入
・〃 15.11. 2 遠賀郡黒崎町を編入
・昭和12. 5. 5 遠賀郡上津役村を編入
・〃 19.12. 8 遠賀郡折尾村を編入
・〃 30. 4. 1 遠賀郡香月町・鞍手郡木屋瀬町を編入
・〃 38. 2.10 北九州の五市が合併し、北九州市となる
・〃 39. 4. 1 政令指定により区制施行(八幡区に)
・〃 49. 4. 1 行政区再編成により八幡区を東西に分区、
八幡東区・八幡西区を新設
最近、八幡西区の分区が問題になっています。
合併でも分轄でも、一番問題になるのが名称(名前)です。
さて、どうなるだろう?
参考にした「Mapion(八幡の東西)」をリンクしました。
写真ばかりでウンザリでしょうが、最後に皿倉山からの、この辺りの写真です。
(クリックで大きくなります。)
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