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皿倉山山麓を歩く


 今回は皿倉山には登らず、山麓の散策。
昭和30年代に存在した「帆柱動植物園」の跡を訪ねてです。

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北九州都市高速に「高速帆柱ケーブル」のバス停が出来ています。 停まるのは、西鉄高速バス 福岡天神~小倉線の「いとうづ号」と、快速、香月~小倉駅線 だけで、他は通過します。

バス停付近から見た皿倉山。(眼の真ん前です。)



 バス停から急な坂を、
2~3分も歩けば、帆柱ケーブル山麓駅です。
ケーブルの開業は昭和32年3月、
旧八幡市の市政40周年記念事業として建設されました。



ケーブル駅の近くにある「ふもと茶屋」
この店も、随分古いです。

あまり利用したことはないが、山小屋風で洒落た雰囲気、
夏のかき氷、コーヒーも飲んだことがあったかな。



ちょっとPRです。 食事ができます。
だんご汁定食(コーヒー付)、チャンポン、うどん類も。
夏期はバーベキューセットも人気とか。

反対側の窓・ベランダからは、
洞海湾や若戸大橋などが望めます。

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「ふもと茶屋」のすぐ前が、
昭和30年代の一時期にあった「帆柱動植物園」の跡です。
実は先月の、「皿倉山山麓(帆柱町と天神町)」の記事で、
caramelpapaさん、kuntarouさんから頂いたコメントから、
そう言えば・・・、で思い出しました。

 だが、実際はどんなんだったか?あまり覚えていません。
何回か横を通っていて、外から見ていますが、
中に入った記憶は? 今は公園化され、昔の面影は、・・?

この辺りが、園の「入り口」だったかな?

 公園の石畳の道を進むと、奥には円形の広場が、
そして、旧八幡市長の「守田道隆」氏の銅像がありました。

 昭和22年から3期12年、
八幡市長として戦後復興・近代都市づくりに活躍され、
特に青少年運動・社会教育に情熱を注がれました。



昭和26年に建設された八幡中央公民館は「都市型公民館」
としては全国で初めてだったそうで、
その後、中学校区単位に、次々と公民館が建設され、
地域に於ける社会教育などの中心の場となりました。
(今の公民館の名称は、市民センターに変わっています。)

  八幡中央公民館(建物)は、今はありませんが
  その跡地には、記念碑が建てられています。


 又、青少年運動では、
渡り鳥運動(ワンダーフォーゲル)の推進者?で、
夏休みに、市内の中学2年の代表数十名?が、都市交歓で、
お互いの都市(熊本市?)を訪問して、そこの中学生と交流し、
キャンプと、今風で言うホームスティで、お互いの家に泊る。
そんな運動があったことが、記憶に残っています。





(皿倉山)一般登山道に出ました。
右側のコンクリートの塀が動植物園の名残?
登山道を挟んで向こう側に行く、陸橋があったような??



登山道の曲がり角から、ケーブルの駅が見えます。



1合目の標識の前が、「北九州ユースホステル」です。
確か、ここも動植物園の園内だったと思う。

 実は・じつは、ユースホステルの会員として、
ここの開所式に参加し、初日に宿泊しました。
昭和47年5月です。



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麓・ケーブル駅の近くに戻りました。
「帆柱動植物園」は、手前の右側(山側)の一帯でした。
この動植物園のことを覚えている人は、少ないだろうな?

昔の面影は? ひょっとしたら、
見上げるほどに高い数本の「メタセコイアの木」かもしれない。
2番目の写真を参照して下さい。真ん中に高い木が写っています。


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