ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

教育多様性の時代

2011-02-27 | 雑念
ルールとマナーとやる気。

文科省が「全国模試の全員参加」を検討しているらしい。

いかにも行政的で理不尽だ。

行政からすれば
「日本の学力を一定の基準で測り、対策や方針を決めたい」
思いがある。

しかしいままで学校側は
「学校の方針として、全国と学校の現状把握する時に任意で受験する」
という選択が出来ていた。

私の意見としては、日本の教育は北海道から沖縄までの地域で教育方針を自治体が決めるべきだ。

国(文科省)は大まかな基準を決めて、教育指針と定めて、学校側からの相談機関を作って、自治体の「教育の自由化」をすべきだと思う。

これは以前聴いた「オランダの教育」の講演の受売りだが、すごく理にかなっていた。

しかし日本は逆に逆に進んでいる。

日本の地域の「教育多様性」も認めていくべきだ。

学校は子供達にとって、あくまで自分が将来過ごす社会をより良くするためのトレーニング機関であるはず。結局自分のためなんだ。

いろんな所に移り住んで、教育の現場に少しずつ触れるにつけ、東京の教育指針と鹿児島の指針が同じであるはずがないと気づく。

今現在は地域の先生が「学びのクリエイト」が出来る状況じゃない。

ただの「絵本読み聞かせ」に過ぎない。

「絵本読み聞かせ」も学びは深いぞ!と考える人もいるでしょうが、

導入(幼児期)はそれでイイでしょう。

しかし学びにつなげる為には、
「振り返り」を行うでしょう?

たとえば「どう感じた?」
「もし自分だったら?」とか。

その部分は確実に読み聞かせている時間とは異の時間である。

そこ(振り返り)に学校や教員の手腕が問われる。

私が教員の初任者研修で「ネタ集め」に来ている教員に「違うやろ!」と恫喝するのはこういう意味である。

教員は「考え方」を学ばなければいけない。

「どう工夫したら教材から子供たちが考えてくれるか?」
「どんな質問をしたら、感じた事を普段の生活に活かしてくれるんだろう」

とかを考えるヒントのことだ。

授業を「ネタ見せ」と考える勉強不足の教員に「強制一律学力テスト」なんかぶつけたら、教員は何を学ぶ?

「ひとつの基準(評価)を参考にレベルアップ」

という独占的な基準に引き寄せられる。

ダメ!

教育多様性の時代なのだ。

行政と学校と生徒と保護者は

「ルール」と「マナー」と「やる気」をバランス持ってやれぃ!