ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

僕のパワーはどちらへ

2019-12-03 | 雑念
コミュニティに参加すると芽生える感情
自分という人間は?と言うことを見つめ直す。

『チャレンジバイチョイス』

自分で行動は選ぶこともできるし、その成り行きには自分の責任である事を自覚すべし

すべてが自分次第なのだ

僕の性格というか考え方、感情の起伏に敏感な部分も感じ取ることができた。

しょうもない事でイラッとしたり、
同意を得ない意見に没入して止まらなくなったり

本当に人間味という意味でキャラが濃い自分

もう自分で「キャラなんてないですよ」と言う意味がないことも自覚しています。

キャラは濃くてすみません

さてファシリテーターという役割は人によりアレンジされ、「こうあるべき」なんぞ死語になっているのかも。

そう感じた。

では何を勉強会で学ぶのか?

悩み相談は1番わかりやすい。
答えやすい。

そして僕がひとつの意見を言うとかなり「こうあるべき」を印象付けていることが判明。

決して「価値観の押し付け」をしているつもりはない。つまりパワハラの図式に聞こえているんだなぁと感じた。

感じない人もいる。
しかしパワハラ的に感じている人がいるのも事実。

しかも僕はある意味、理解しようとせず「はぁ?何言ってるの?」と見下していた。

悪い癖だなぁ。

その時思った事を口に出してみたものの、何やら居心地が悪くなってしまった。

僕が「怖い」と思われるのも、その勢いなのか言いくるめようとするパワハラ的な圧力なのかもしれない。

僕が何かのスポーツ協会理事になったら、かなりの謝罪会見で叩かれるのだろう。

SNSで叩かれている人達の精神力は素晴らしいし、自分の意見を持って軸がブレない突き抜けている人が世の中を引っ張っている。

そして憧れなのか妬みなのか、批判する。

匿名ならば汚い言葉で、顔が見えればオブラートに包むか陰口で文句を言う。

蔓延ってるなぁ。

多くの人が幸せに生きるのには、どうしたら良いのだろう。

僕にとっては本音で語り合う世界が多くの幸せを生むと信じている。

議論もできる。
キャンプも、川遊びも
仕事も

こいつとなら一緒にと思える人を増やす。

それにはやっぱり言いたい事を飲み込んだら前に進まないなぁ。

ネガティブリスト(◯◯をしない項目)で自分を縛れば安全だけど、仲間は増えないだろう。

失敗するし、叩かれる(陰口も)けど自分の考えを前面に打ち出すことが僕にとっては幸せなのかもしれない。

そう言う社会をも目指したい。

議論が嫌いな人にとってはシンドい世界なのかなぁ。