タコに心があるらしい。
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『タコの心身問題ーー頭足類から考える意識の起源』(外部サイト)
その内容はとても興味深いのだが、タコが触れる事で意識を持って行動しているとする研究者の思いからふと浮かんだ事がある。
今回は「タコの心」からインスピレーションを受けた僕の独り言を
食べられるか食べられないかだけの判断ならば触って調べる必要がない。タコの動きはまるで何かを考えているかのようだと。
つまり意識の源泉は触覚にあるらしい。
僕は教育に関わる端くれで、最近の心無い事件や無関心な若者の奥に何があるのかを考える事が多い。
ひとつの仮説として、「心が育っていないのでは?」と。
「我思う故に我あり」
ヒトの遺伝子は心を育てるようにインプットされている。それは弱い哺乳類が生き残る進化の過程。
だから無意識なのか、赤ちゃんは何でもかんでも触ろうとする。
好奇心がそうさせるというより、好奇心を育てるために触ろうとしているのではないだろうか?
海に行くと何故か裸足で波打ち際に行きたくなる。
これも遺伝子のプログラミングなのかも。
自尊心、自己肯定感の低い若者に出会う事が多い。その理由もいろいろ考えたがそもそもが心自体が充分に育っていないのではないだろうか。
自然のものに触れる機会が少ない。
だから心自体が育たない。
無気力だったり、更には「行きている価値がない」とか言う人もいる。
最近はYouTubeでキャンプが人気である。
本物に触れるチャンス!
焚き火の暖かさ、釣りをしてピチピチ跳ねる魚の生きる力、川下りをして水流の激しさ、大きな木が触れると何か語りかけてくる、など
TVゲームの楽しさも僕は知っている。
ただあまりにリアル過ぎて、本物に触れている感覚は錯覚である。
心を育てるためにはやっぱり本物にも触れておきたい。
だからアウトドアにも足を運ぶ。
いつからか地面に落ちている木の棒を拾わなくなった自分に気づく。
もっと世界に触れたい。
インターネットで調べたら、触れるための方法を考えよう!
触れて心を確かめよう!
自分にしか感じられない心の動きを楽しもう!
みんなの感想も聴きたい!