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ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

嬉しいお誘い

2020-03-16 | 雑念







参加者の皆さんにお誘いを受けた。

何が嬉しいって、「グループ全員が集まって、ファシリテーターの僕も仲間に入れてくれたこと」

ある企業の新入社員の10人
どうやら年齢差があって部門も違う。
その「部署の垣根を壊す」のが、当時の研修(2泊3日)の目標だった。4ヶ月前のこと。

そして研修期間中も終了して残業をし始めている。そんな仕事も部署も違う10人が大切な日曜日に集まっていること。

僕はその価値は社会的な貢献度に匹敵するほどに煌めいて美しく感じた。

ただの同期の仲の良い人と食べる昼ごはんとはひと味違う。

僕は20年近く冒険教育の指導者として働いて、チームビルディングを行なってきた。

そのファシリテーター人生の中でもプログラム終了後(4ヶ月も経って)もう一度集合して、さらに指導者の僕も誘ってくれる経験はほとんどない。

その実行力、その繋がり。

このブログを読んでくれたり、YouTubeチャンネルを観てくれたり。

僕という人間にも少し興味を持ってくれたり。

そしてプログラム中に楽しんだモルックをリクエストしてもらい、みんなで3試合楽しんだ。

メンバーに恵まれていたのかもしれない。

さらにリーダーシップに長けたメンバーもいたこと。

その場に起きていた事を大切に扱ってくれていたんだろうと当時の研修での彼らの表情に想いを馳せた。

本人たちは何気ない会話と「別にたいしたことありません」みたいな表情をしているのだが、そのさり気なさに感動した。

当然幹事の人や買い出しの人達の苦労もある。

そんな彼らに「本当に呼んでくれてありがとう」と伝えることしかできなかった。

僕もちゃんと喜びを彼らに伝える事ができたのか不安だが、本当に、本当に嬉しかった。

そして彼らのことがますます好きになった。

残念ながら名前を忘れているという悪い癖が出て、もう一度名前を確認しないといけなかったという。

でもみんな好き。

大蔵海岸で

2020-03-15 | 雑念
寒い。

昨夜は湯船に浸かってのぼせたのに。
朝になるとすっかり寒い。

本当にBBQしますか?

寒いのでかなり億劫になってます。
どうやら大蔵海岸の手ぶらでOKのとこみたい。

主催は僕じゃないからとても楽ちん。

誰かのイベントに参加させてもらうのは最高だな。

しかししかし誰が来るのか知らない。
人見知りの僕は終始海を見続けるかもしれない。

本当に誰が来るのだ?

モルック持ってきてとのことなので、困ったらモルックすれば良いか。

寒いよきっと。

でも久しぶりだな大蔵海岸。
確か温泉があったよな。

お風呂セット持って行こう。

時々、息抜きを

2020-03-14 | 雑念
あまりに冒険教育のことばかりを書くと偉いもんでアクセス数が少なくなる。

ニッチな世界なんだろうなぁとヒシヒシと感じるのだ。

ただ僕の考え方の整理ができるのでとても良い。

3回連続で「冒険教育と僕」を投稿したので今日は力を抜いて別の話

実はAmazonプライムに加入して退会するのも勿体ないという事で、映画を観始めたらドツボにハマった。

昔の映画が観られるのは堪らなく嬉しすぎる。

全部とは言えないがバックトゥーザ・フューチャーとかプライベートライアンとか、僕が映画館大好き少年(青年か)の時代が目白押し。

当時はパンフレットも必ず購入していたもんね。

本日は雨

部屋で過ごすとつい。
映画を連続再生するとあっという間に1日が終わる。

それと同時に先日の研修のプログラムを実施したいという欲望も湧き上がる。

イベントが軒並み中止している時期だからなおさら。

雨でも体験学習できる。

こんな風に色々アイデアが湧き上がっては消える。

また全然違う話。

このままオリンピック無くなる?
僕は7/25のバドミントン予選のチケットを手に入れている。

その前後も予定を空けて応援に備えているのだが、延期か中止かと少し不安も過ぎる。

ま、その時期までイベント自粛が続かない事を祈る。

明日、BBQに誘われたので参加。
イベント中止の流れの中、雨模様も心配だが誘ってくれたことは嬉しいので中止にならないよう祈る。

祈ってばっかり

多分モルック@明石します。

冒険教育と僕017(その男、凶暴につき)

2020-03-13 | 雑念


結果として冒険教育は僕の今の生き方を発見するための道具だった。

何の資格もなく、経験もスキルも中途半端な僕がとても大切なお仕事を任されてお金をもらっている。

僕にとっては一点の曇りがなく、素敵なツールであることは間違いない。

さらには冒険教育に真摯に向き合う人はとても素敵な人が多いという事。

だから僕もその名に恥じないように素敵な人になりたい。

当然、冒険教育自体は数ある教育手法のひとつである事も知っている。

だがその捉え方は、他のフィールドをたくさんもっている人とは少し違うと思う。

それは甲子園で母校を応援するような感覚に近い。

僕は自分のアイデンティティを形作ってくれた冒険教育がただのプロジェクトのひとつとは思えなくなっている。

やっぱり大切な母校であって、アクティビティのひとつひとつは思い出のひとつ。振り返りや失敗の体験は母校の廊下や体育館の落書きと同じである。

確かに時と共に母校の姿は移り変わるが、僕にとってはかけがえのない礎(いしずえ)なのだ。

そしてその母校で出会った人達はやっぱり僕の同級生(年齢は違えど)である。

いくら経験が違うとか年数がどうのと言われても僕には関係ない。

正確には全員同窓生である。

小学生から大学までの同窓生との関係がほとんどない僕にとっては本当に大切なコミュニティなのだ。

(何と寂しい人間関係…)

だから母校(冒険教育)を大切に扱わないことに対してかなり感情的になることもある。

それは母校(冒険教育)を扱う施設に対しても牙を剥いたこともあるくらいの凶暴さも持っている。

確かに僕は極端で凶暴なのかもしれない。

だから「それはホクトマンだからできるんだよ」と言われることもある。(見放されているで寂しい)

それは同窓会で「熱くなるなよ」「大人になれよ」と言われているような感じ。

(ちなみに本当の同窓会は1度も参加したことはない)

僕はいつまで経っても大人になれそうもない。

感情的になる事が良くなくて、冷静に物事を論理的に判断する事を推奨しようとするのは冒険教育の伝えたい事とはかなり距離があると思う。

遊び心や感動、悲しみや寂しさなどの感情をグループで共感したり、みんながハッピーになる方法を見つけ出そうとする事を通して、個々の成長を促すプログラム

それが冒険教育だと僕は思う。

冒険教育と僕016

2020-03-12 | 雑念
(この数字の打ち方は100まで?)

と、いうものの僕だってどんな風にファシリテーターとしてスキルアップしたらいいか?とかネタが足りねぇ、誰かいいネタねぇのか?とか

理論はいいからゲーム教えろや!とガラの悪い時期もあった。

その時期を黎明期とするなら
その時期の僕のラッキーは死ぬほど現場があったこと。

バイトでスタッフしてたから、考える暇もなくネタ集めと失敗を繰り返してファシリテーション?というかゲーム指導を身体に染み込ませた。

しかも責任感もあまりなかったから楽しかったし、ただただ興味あるものに飛びついていたのだ。

冒険教育の指導者として「子どものような」学び方。砂場で、ブランコで、ジャングルジムで、遊び方を身につけた。

僕は元々、論理的な数学が大好きで大学も建築を専攻して、小説も読まない典型的な頭デッカチの理論派である。

しかも喋らない理論派の僕は、他人が馬鹿騒ぎしていたら冷めた目でみて、心から人を蔑(さげす)んだ。

やっぱりそんな人生は寂しいもので、友達も少なく孤独を感じていた。

本当は仲間と遊んで考えずに馬鹿なことをしたいという願望があるのに出来ないのだ。

僕は論理的に会社を辞めた。
辞めた方が自分のためになると知っていたと思う。

このままでは自分はロボットのように生きることになる。

そして旅人になった。

その時に僕の中の回路がスパークした。
生まれ変わったような感覚がした。

如何に馬鹿馬鹿しく、楽しく、自分が興味あることに忠実に生きる事の大切さを旅を通して体感した。

いくら人に言われても、そんな風には思わない。

僕にはやっぱり危機感があったのだろう。

友達もいない人生、
正論ばかり言う事の寂しさ、
ルールや世間体ばかり気にしてしまう窮屈さ、
本や研修で学んだ気になる頭デッカチな人生、

学びとは、『本人(自分)が学びたいと思うこと』が目的なのかもしれない。

だから冒険教育はFUNを大切にしている。

でもそのFUNの捉え方も人それぞれ。

「振り返りが大切だ!」と難しい顔で長時間話をする指導者を見ていると、いくら笑顔で説教たれても目的には近づかないのでは?と首を傾げてしまう。

やっぱり指導者として
「何か教えてあげよう」とか「間違ったことを修正しよう」とか、「(ファシリテーターとして引き出して)料理してやろう」とか

少なからず大人が次世代について考えることは大抵そういう方法になってしまう。

そしてそれは染み付いていて、体験学習の指導をしている最中にも論理的で体系的な知識を与えようとしてしまう。

暗黙知、暗黙知と口で言いながら結局やっている事はただの押し付け。

その無意識のファシリテーターとしてのエゴや勘違いを防ぐ方法は唯一

多様なファシリテーターと価値観をぶつけ合うことである。

そして「体感してみよう!」と頭ではない方法を一緒に楽しいと感じられるメンバーと。

いや友達の少ない僕だから、僕以外みんなはやっているのかもしれないけど。

優秀な人材がたくさんいるのに、研修では何故かネタ集めしかしない。

絶対「指導者哲学」がしたい。

教材としてゲームをするもいいが、考え方をたくさん触れ合うのがいい。

やっぱり単発ものには限界がある。

詳しくはないが、松下村塾のような形式がいいのでは?

「体験学習を通して未来をつくる集団」

僕の理想は、やっぱり楽しくクリエイトできる環境がいい。

内容は
参加者に楽しく学び方を伝えるには?
人と関わる事ってこんなにも楽しいんだと感じるには?
新しいことを生み出す時にシナジーを生み出すには?
孤独を感じる時に救いの手をどのように生み出す?

色々浮かんでは消える。
それもみんなで議題を考えて

夢は膨らむ。

どうしたらいいんだろう?

やっぱりモルックホクトマンカップ開催するかな?モルックして楽しんでアイスブレイクした後に、最近どう?みたいな。

密かに、しれーっとゆるゆる募集しようかな。

3月中に日中モルック大会で遊んで、一緒に夕食食べて、ファミレスでファシリテーター談議したい人、連絡ください。

あっ、ファシリテーターとかやってない人も一緒に「未来の学び」の話しませんか?

日程調整は後ほど調整さんとかでやります。