散策コースの池に、冬中は沢山の鴨が泳いでいた。聞いてところでは、6種類か7種類の鴨がいたらしい。
しかしこの時季になると、もはや数羽を残すほどに減っている。北へ向かって渡って行ったのだろう。
残っている数羽も、いずれは飛び去って行くのだろうか。
俳句の春の季語に、「残る鴨」、「残り鴨」がある。傷ついたり病気になったりしたため、北方へ帰れない鴨のことだ。
単に少しばかり旅立つのが遅くれただけかもしれない。だが私としては、旅立てない鴨のように思ってしまうのだ。特に1羽だったりすると、その思いは強い。
(もっとも私には、1羽なのか番なのか、判別はできていない)
1羽で泳いでいるからと言って、孤鴨かどうか分からない。だが悪い癖で、たった1羽で残されたのか、と思ってしまう。
だから、
胸底の暗き水色残る鴨 ひよどり
と、詠んだりしてしまう。やはりマイナス思考なのかもしれない。
しかし、同じ残っている鴨でも、番らしい姿を見ると、多少なりとも気が休まる。
このほうがいいなあ。
つい我が身を思ってしまった次第である。
共どもに寄り添ひ合ひて残る鴨 鵯 一平
カミさんがどのように思っているか知れないのに、思いこみが激し過ぎる。
やはり、私は甘いのですね。
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